第15話 皇女VS聖女②

 唐突な一言に、教室内の空気が一変する。周囲の生徒たちの顔色は一瞬にして青ざめ、静まり返る。

 ルナフレーナも聞き流そうとしたが、軽く眉をひそめながら、聞き違いかどうかを考えているようだった。だが、相手はさらに悪態をつき続けた。


「あんな神輿を担がないといけないとか、私なら死にたくなるわ」


 その言葉に、ルナフレーナの頬が引きつり、アイリスとメイベルも同時に顔をしかめた。


 声の主は、セルリアンブルーの美しい髪を持つ少女だった。

 髪の毛はまるで絹糸のように滑らかで、肌は透き通るように白い。

 その端正な顔立ちは整っており、見た目だけならば高貴な雰囲気さえ漂わせている。だが、その薄笑いと軽蔑の表情は、ルナフレーナに向けた敵意を隠すことなく露わにしていた。

 隣にいる取り巻きの生徒は、焦った様子で彼女をなだめようとしていた。


「やめた方がいいですよ。聞こえてますって!」


 だが、少女は取り巻きの言葉を無視し、肩をすくめながら嘲笑を浮かべた。


「別に構わないわよ。聞こえるように言ってるし。どうせ、あんな野蛮人は何もできないでしょ?」


 その一言で、ルナフレーナの我慢は限界に達した。

 彼女はゆっくりと立ち上がると、アイリスが小声で制止するのを無視し、少女の方へまっすぐ歩いていった。

 その足音は、教室内の静寂に響き渡り、他の生徒たちは全員息を呑んだ。

 少女の隣に立ったルナフレーナは、相手の顔をじっと見つめながら冷たい声で言い放った。


「何もできないかどうか、ここで試してやろうか?」


 その鋭い目つきと冷たい声音は、普段の奔放な態度とは一線を画していた。教室内の全員が緊張の糸を張り詰めたかのように動けなくなった。

 少女は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに気丈に笑みを浮かべる。


「え~と、ディオザニア帝国のルナフレーナ皇女殿下ですよね? どうされたのですか? そんな怖い顔をして」


 甘ったるい声で、まるでとぼけたように問いかけてきた少女。

 その声色と態度には、明らかに人を馬鹿にする意図が含まれており、教室内の空気はさらに重くなった。


 ルナフレーナの眉が一層険しくなる。


「お前がさっきからごちゃごちゃ言ってるからだろうが」


 鋭い声で言い放つが、リーリエは眉一つ動かさず、無邪気な笑顔を浮かべたまま応じた。


「ごちゃごちゃ? 何のこと? リーリエちゃん、難しくてわっかんないなぁ」


「お前、喧嘩を売ってるのか」


「えっ、売ってないけど? 商売相手くらい選ぶよ」


「ディオザニアの皇族を侮辱して、ただで済むとは思っていないだろうな」


 ルナフレーナの言葉には怒りが込められていたが、リーリエはまるで効いていないかのように、涼しい顔で応じる。


「思ってるけど。それが何?」


 ルナフレーナがさらに言葉を続けようとしたその瞬間、リーリエは自分の長いミルキーブロンドの髪をさらりと肩に流し、優雅に微笑みながら言った。


「それにね、リーリエちゃんの姓はヴィクトリアだし、教会から聖女の称号もいただいてるの。だから、ゴロツキのあんたも手出しできないでしょ?」


 ルナフレーナの拳はきつく握り締められ、アイリスがそっとその腕を抑える。


 リーリエ・デュ・ヴィクトリア。ベルナール大公国の大公ヘンリーの長女であり、その家系は教会と深いつながりを持つ超名門である。

 ベルナール大公国は近隣諸国の信奉する宗教の聖地を領内に抱え、精神的支柱としての役割を果たしている。


 また、ヴィクトリア家はこれまでに5名もの教皇を輩出しており、その権威は並ぶものがないとされる。

 ディオザニア帝国のラヴェンブルク家は確かに広大な領地と強大な軍事力を持つが、権威においてはヴィクトリア家に一歩譲るのが実情だ。


 リーリエの言葉には、自分たちの家系が持つ権威に対する揺るぎない自信と、皇女ルナフレーナを軽んじる態度が如実に表れていた。


「お前……クソ生意気だな」


 ルナフレーナの声は震えを含み、感情を抑え込むように低く響いた。


「ヴィクトリアだろうが、教会だろうが関係あるか。ぶち殺す、表出ろ!」


 彼女の瞳は怒りに燃え、リーリエに向かって詰め寄ろうとする。その瞬間、アイリスが彼女の前に立ちはだかった。


「ルナフレーナ様! 落ち着いてください!」


 一方で、リーリエは取り巻きたちに怯えるような表情を見せたが、すぐに余裕の笑みを浮かべた。

 その微笑みには、高みから相手を見下す冷たさがあり、ルナフレーナの怒りをさらに煽るかのようだった。


「やっぱり野蛮人って何をするかわからないから怖いなぁ。檻にでも入れておいた方が、皆のためになるんじゃない」


「……このくそ女……!」


 アイリスが、強引にルナフレーナを押し戻すようにして冷静に説得を試みる。


「ルナフレーナ様、ここは引きましょう。ヴィクトリア家の令嬢に手を出すのは、後々本当に面倒なことになりますよ」


  一方で、リーリエはそのやり取りを見ながら、小さく肩をすくめると取り巻きたちに視線を向けた。


「そういうことだから、さっさと消えちゃってくれる?」


 その言葉には、嘲笑とも取れる軽さがあり、教室の空気をさらに険悪なものにした。

 ルナフレーナの手が小さく震えたのを見たアイリスは、さらに声を低くし、彼女の肩に手を置いた。


「どうか冷静になってください、ルナフレーナ様」


 しかし、ルナフレーナは一瞬動きを止めたかと思うと、次の瞬間、小さく笑い出した。


「はははっ……確かに冷静に考えてみれば、これしきのことで腹を立てるなんて、私も器が小さいな」


 その言葉は意外なほどに軽く、教室内の緊張がわずかに緩んだように感じられた。


「私としたことが、過ちを犯すところだった。アイリス、メイベル、そう思うでしょ?」


 アイリスは目を細めながらも、「まあ、そうですね」と言葉を濁す。

 メイベルは彼女の機嫌を取るように「さすがルナフレーナ様、大きな器ですね! 凄いです」と調子を合わせた。


 そのままルナフレーナは微笑みを浮かべながら、軽やかな足取りでリーリエの元へと歩み寄った。その態度はどこかフランクで、先ほどまでの緊張を全く感じさせないものだった。


「何、急に?」


 リーリエは警戒するように眉をひそめた。翡翠色の瞳がじっとルナフレーナを見つめている。


「もしかして、握手でもするつもり?」


 リーリエは口元を歪めて笑った。


「残念だけど、私はする気ないからさ」


 ルナフレーナも笑顔を保ったまま、静かに言い返す。


「私もお前と握手する気なんてないよ」


 次の瞬間、ルナフレーナの手が握りこぶしに変わり、勢いよくリーリエの顔面に突き刺さった。

 鈍い音とともに、リーリエは後ろに倒れ込み、驚愕の表情を浮かべた。取り巻きたちは声にならない悲鳴を上げながら彼女に駆け寄る。

 教室内は完全に静まり返り、誰一人として動けなかった。


 アイリスは頭を抱えるようにして深いため息をつき、すぐにルナフレーナの腕を掴んだ。


「ルナフレーナ様! 本気でやりましたね……何を考えているんですか!」


 メイベルは半分笑いを堪えながら、半分は呆然とその光景を見つめていた。


「さすがルナフレーナ様、肝が座ってる……いや、でもこれは不味いのでは」


 リーリエは顔を抑えながら立ち上がり、その目に怒りと羞恥が混じった鋭い光を宿してルナフレーナを睨みつけた。


「よくも……リーリエちゃんの顔を、本当に殴ったのね……! この野蛮人!」


 その言葉に周囲の空気が再び凍りつく。生徒たちは息を呑み、教室内の緊張が再びピークに達していた。

 ルナフレーナは肩をすくめながら、表情一つ変えずに平然と答える。


「何もできないとか言ってたのはそっちでしょ? 私はやれるって証明しただけ」


 リーリエは震える拳を握りしめ、低い声で吐き捨てるように言った。


「野蛮人のくせに……本当にムカつくなー!」


 ルナフレーナはその言葉に軽く鼻で笑い、逆に煽り返すように一歩前へ出た。


「だったらどうした? やれるもんならやってみなよ。お前に一体何ができるんだ?」


 ルナフレーナは一歩一歩とリーリエに近づき、その冷たい視線を容赦なくぶつけた。

 その瞳には、皇女としての誇りと、自分を侮辱した相手を許さないという強い意思が宿っている。


「私は栄えあるディオザニア帝国の皇女よ。お前みたいな宗教屋とは格が違うんだ。権威? 確かに立派だよ。でも、権力の方が強いんだよ。それが現実ってやつ」


 そう言うと、ルナフレーナは不敵な笑みを浮かべた。彼女の表情には余裕すら感じられる。


「そういうわけで、ムカつくし今からお前をボコボコにするわ」


 その言葉に、リーリエは思わず歯ぎしりをして悔しそうな表情を浮かべた。しかし、次の瞬間――。


「……冗談だよ、冗談!」


 ルナフレーナが一瞬驚くほど、リーリエは急に表情を変えた。先ほどまでの怒りに満ちた顔はどこへやら、彼女は柔らかな笑みを浮かべ、どこか親しげな声で続けた。


「隣国同士なんだから、仲良くしないとね? ね?」


 その変わりように、ルナフレーナたちは一瞬呆気に取られたように目を細める。

 自分が不利になるとすぐに媚びを売る。どこかで見たような光景だ。


「……急にどうした? 怖気づいた?」


 リーリエはそれに同意するように小さく頷きながら、しどろもどろの言い訳を始めた。


「だ、だって……ルナフレーナ様があまりにも美しかったから……」


 教室内がざわつく。聞いていた生徒たちは、これが本心なのか、それとも別の意図があるのか測りかねているようだ。


「嫉妬しちゃって……つい、酷いことを言っちゃいました。本当にごめんなさい」


 そう言いながら、リーリエはルナフレーナにゆっくりと近づいてきた。


「だから……仲直りしてもらえませんか? こうして、握手をして――」


 リーリエの言葉に込められた穏やかな声色は、一見本心からの謝罪に聞こえた。しかし、その計算された瞳の奥に光るものは、ただの謝罪とはかけ離れた企みのようだった。


 ルナフレーナはその瞳に一瞬違和感を覚えたものの、特に気にすることなくその場に立ち続ける。彼女はむしろ、その余裕を楽しむようにして、肩を軽くすくめた。


「どうしようかしらねぇ……アイリス、どう思う?」


「ルナフレーナ様、リーリエ様もこれだけ謝罪を申し出ているのですから、殴ったことを謝るべきではありませんか?」


「どうして私が謝らないといけないのよ? あいつが先に侮辱してきたんじゃない!」


 怒りを込めた声とともに、ルナフレーナはアイリスに顔を向け、反論しようとした――その瞬間。


 リーリエは不敵な笑みを浮かべながら、一歩踏み出した。

 その動きは一瞬の隙を突いたもので、次の瞬間には、ルナフレーナの腹部に膝を叩き込む音が響き渡った。


「……っ!」


 ルナフレーナが反応する間もなく、続けざまにリーリエの拳が彼女の顔面を捉えた。強烈な衝撃で、彼女は一歩後退し、ぐらついた足でなんとか踏みとどまる。

 教室内が息を飲むような静寂に包まれる中、彼女は息ひとつ乱さず冷静に言い放った。


「馬鹿じゃないの。高貴なリーリエちゃんがお前のようなゴロツキに何の意図もなく頭を下げるわけないじゃない」

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ディオザニア帝国物語~自由奔放な皇女様はトラブルメーカー~ 柿うさ @kakiusa

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