最終話 この菓子を口にしたあなたが、幸せな気持ちになれますように

「で、何故、焼死したはずのお二人がうちにいらっしゃるんでしょうかね???」 

 カミーユは目の前のアンセルとノエルの二人と、一ヶ月前の新聞をわざとらしく交互に見比べた。さすがに申し訳なさそうに二人は身を縮める。

 あのあと、アンセルを突き飛ばして大木を回避させたノエルは、水の妖精の加護を受けていたので、自分も難なく倒れてくる大木を避けて、妖精の導きで森を抜けていた。それから誰にも見つからぬように首都を抜け出したのだが、警備の厳しい港町を避けるために人気のない山道や崖を通らねばならず、ベコー港まで船で2時間の所を、陸路で一ヶ月かけて戻ってきた。

 そのままボロ雑巾のような姿で、アンセルとノエルがカミーユの屋敷に転がり込んだ時は、流石にカミーユは腰を抜かした。

 根がお人好しのカミーユは二人をうっちゃることができず、取り敢えず風呂に入れ、着替えを用意し、休ませて、食事をとらせて……現在に至る。

「どうするんですか!? 元王家の近衛兵で、その上ユベール・モレ元首の護衛だった男なんて、私、かばいきれませんよ!?」

「面目ない……」

 ノエルは、自分でも、まさか首都から帰ってくると思っていなかったので、その後のことは何も考えていなかったのだ。

「……カミーユさん。パティスリー・ボワの店と土地って売ったら海外への渡航費くらいにはなりますかね?」

「えっ、まあ片道切符くらいには……って、ルブラン君、まさか」

「あんなに大々的に死亡記事が出ちゃった以上、パティスリー・ボワにも戻れないじゃないですか。ずっとカミーユさんのお世話になるわけにもいきませんし。ユベール様だってさすがに外国にまでは追ってこれないと思うんですよ。あと、僕がこの国で一流パティシエとして有名になるのはしばらく難しそうなので、これを機に師匠といっしょに外国の菓子の勉強をしてみたいです。」

「アンセル、お前なに勝手に決めて……」

「今師匠が僕に何か言える立場ですか? 僕、師匠のせいで死にかけたんですからね」

 ノエルはぐうの音も出ない。アンセルがノエルを探すために、命の危機に何度もさらしてしまったのだ。一度目はカフェーの強盗、二度目は森の火事、あとはここまでたどり着くまでに何度も、何度も……。

 カミーユはため息をついた。

「君等、堂々と渡航券を買って出国できるような立場だと思いますか。……近々、隣国行きのうちの貨物船が出ます。貨物に紛れたら、まあ、バレずに外国に出られる可能性はありますよ」

「シモンさん……いいんですか?」

「いいわけないでしょう、絶対にバレないでくださいよ……元近衛兵の国外逃亡に手を貸したなんて知れたらうちはおしまいだ……」

「そんなに気負うことないですよ、カミーユさん。たかがパティシエ二人が国外に出るだけじゃないですか」

 やけに肝が据わっているアンセルにノエルとカミーユは呆気に取られてしまった。

「ただ、心配なのは、師匠がいなくなったら、あの町にパティシエがいなくなってしまうことなんですけど……あの町の人たちはどうなってしまうんでしょうか」

「それは問題ないでしょう。首都での競争が激しすぎる今、落ち着いた田舎でパティスリーを出したいという職人には何人か心当たりがあります」

 カミーユの言葉にアンセルは目を丸くした。

「えっ、そうなんですか」

「それも、もっと交通の便が良くて、客が集まりやすい場所を、我らシモン社がご案内しますよ……ルブラン君、あまり思い上がらないほうがいい。君等は所詮パティシエ、ただの菓子職人だ。代わりの者などいくらでもいます」

 カミーユの皮肉も、それはノエルとアンセルを安心させるためなのだと、今ならアンセルにもわかった。

「あの店と土地は仕方ないから私が買ってあげましょう。大した額は出せませんが、向こうでの生活費の足しにでもなさい」

「……カミーユさん、本当にありがとう御座いました。貴族だからって反抗的になっててすみませんでした」

「気にしないでください。君はまだまだ若いんです。前しか見ないで突っ走ってしまうのも若さゆえ、ですが。師匠によくよく見張っておいていただかねばなりませんね?」

 カミーユは釘を刺すつもりで言ったのだが、アンセルは、何故か少し嬉しそうに笑っていた。

 アンセルが、早速旅支度をしますと言って部屋を出ていったので、カミーユはノエルを引き止めた。

「ノエル殿、ルブラン君とまさか何かあったんじゃないでしょうね。彼まだ十六歳ですよ」

「はい……? いやいや、何を勘繰ってるのか知りませんが、やましいことなど何もありゃしませんよ」

「本当ですね……? ところで、モレ元首への復讐は、結局成し遂げられなかったのですよね。よかったのですか? いや、国家転覆なんて私は御免なのでいいのですが……」

「あぁ……未練が残らないと言えば、嘘になります。ただ……アンセルのやつが、目を離すととんでもないことをやらかしそうなんで、もう復讐のことばかり考えてもいられなくなりました」

 森の奥深くで、ひとりきりでパティスリーをやっていた時は、時間がたっぷりあったので、ずっと復讐のことばかり考えていた。

 だが、アンセルという目を離せない存在ができてしまった今、もう復讐のことを考える時間など、訪れることはないような気がした。王妃には申し訳ない思いがあるのだが。

「いいんじゃないですか? 忙しければ、悩んでる暇などありませんから。ルブラン君は仕事中毒のきらいがあるが、あなたは逆にちょっと忙しいくらいのほうがきっと良い」

「あぁ、そうかもしれませんね」

 廊下から、アンセルがノエルを呼ぶ声がする。

 その声が、以前よりわずかに上気していることに、ノエルは気づいているのかいないのか。

 カミーユは厄介事に巻き込まれた事態にため息をつきつつ、しかし何故か彼の顔にはほっとしたような笑みが浮かんでいるのだった。

 


 そして今、ノエルとアンセルは隣国に向かう貨物船に乗り込んで、無事にアントルメ共和国を出発し、海をただよう船の中にいた。

「……すまなかったな、アンセル。お前の、国一番のパティシエになって出世するって夢を、俺のせいで潰しちまった」

 潮風に吹かれながら、改めて詫びるノエルに、アンセルは、鼻で笑った。

「いいんですよ。数年経てばきっとほとぼりも冷めてるでしょうし、その間に僕は外国の菓子を勉強して、世界一のパティシエになりますから」

 アンセルが威勢よく言うので、ノエルの顔も思わずほころんだ。

「それでその……実は、船に乗る前に、カミーユさんのお屋敷の厨房を借りて、作ってきたんです。食べていただけますか」

 アンセルは、そう言って、小さな包を取り出した。中には、厳重に包装された魔法菓子のマドレーヌが入っていた。

「この菓子を口にしたあなたが、幸せな気持ちになれますように――そう祈って、作りました。僕の想いを、ありったけ込めました!」

 それは、パティシエとしてはほぼ愛の告白だった。ノエルがマドレーヌを手にとって、齧る。アンセルは今まで受けたどの製菓コンクールよりも、試験よりも、ドキドキして心臓が口から飛び出しそうだった。

 咀嚼したノエルの、アンセルへの言葉は――

「……生地が固い」

「えっ」

「力が入りすぎてるんだ。まだまだだな、お前も」

「そっ……、そこは、弟子の心遣いに感動して、技術はまだまだ磨けるけど今まで食べたお菓子の中で一番美味しい!とか言うところじゃないですか!?」

「世界一のパティシエになる男の師匠なんだろ、俺は。そう甘いことが言えるか」

 淡々とした師匠の言葉にアンセルは顔を真っ赤にして怒った。

「あーもう! わかりましたよ! もっと練習して近いうちに師匠をあっと言わせてみせますからね! ……だから、もういきなりいなくならないでくださいよ」

「……ああ、わかってるよ。俺をあっと言わせる菓子が作れるようになるまで、いくらでも待っててやるから」

 そう言ったノエルの顔は穏やかだった。

 二人の門出を祝うように、太陽の光を受けた波面がキラキラと輝いていた。




「炭より苦くて蜜より甘い」完



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炭より苦くて蜜より甘い〜ワーカホリックの魔法菓子職人見習いは都会に疲れて、静養先の田舎町で脳筋三十路パティシエに出会う 藤ともみ @fuji_T0m0m1

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