第17話 炎の中のルトロヴァイユ

 それ以来、氷雪卿はユベールの優秀な剣として、盾として活躍している。ユベールが特注した軍服と軍帽、サーベルは氷雪卿によく似合っていて彼が秘めていた美しさを引き出していて、ユベールは今この上なく満足していた。

「手放したくないものだな……」

「元首、どうされました」 

 氷雪卿がわずかに眉を動かしてユベールに問う。

「あ、いや……声に出てしまっていたか。つくづく、君を手放したくないものだなと思ってね」

「何をおっしゃいます。私は主に忠実な男だと自負しております」

「もちろんだとも。気を悪くしないでくれたまえ。私がひとりで勝手に不安になっただけだ」

 氷雪卿の仕事ぶりは申し分がない。自分にも忠実だ。だが、これが仮初の忠誠であることはユベール本人がよくわかっている。

 ユベールは、産まれながらに妖精に嫌われる性質の持ち主で、妖精の加護が強いものは、彼が触れれば一瞬でガラクタになってしまった。だから、ジャンが作ってくれる魔法菓子は、ユベールにとってはただ甘くて美味しいだけで、体を癒す効果などはすべて消えてしまう。

 妖精の加護を受ける人々も同様で、だから妖精たちに愛され護られていた王家の人々は簡単に殺すことができた。

 ノエルもまた妖精に愛されて加護を強く受けているので、その分の力はユベールは消すことができ、ノエルが身につけた後天的な生身の身体能力や知性はそのまま残されて、文句のない近衛兵ができあがったのだ。

 しかし、もしまたノエルが妖精の強い力をエルことがあれば、ノエルは記憶を取り戻すだろう。彼を、本当に心の底から自分に惚れ込ませたい。過去の記憶を取り戻しても、どうか自分のもとで働かせてほしいと思わせたい。ユベールにとって氷雪卿は、まるで古くからの親友のようにかけがえのないものとなっていた。

「元首。次の仕事が終わりましたら、パティシエに菓子でも頼んでは? 気が紛れるかもしれませんよ。」

「うむ、そうだな……」

 ユベールは氷雪卿の言葉に頷き、立ち上がった。

「もう少しお休みになっては?」

「いや。早めに仕事を終えてしまって、君とゆっくりお茶でも飲もう。あの森に向かう。こんな仕事にまで君を付き合わせて悪いね。人払いも済んだから大丈夫だと思うが、一応ね……」

 困ったような笑顔で、その実、申し訳ないとはさほど思っていなそうなユベールに対して氷雪卿の態度は淡々としていた。

「いえ、魔獣が出たという危険な森です。焼き払っても、万一炎を乗り越えてくる化物が現れたら事です。その時は私が仕留めます」

 ユベールはにこりと笑った。街の殆どが人工で整備された首都の中で、唯一人間の手が加えられていなかった森林がある。そこには妖精や魔獣がまだ住んでいて、王家は大切に保存していたが、魔獣が出るので森ごと駆除してほしいと市民から苦情が来ていたのだ。

 ユベールにとっては、ノエルが妖精と接触するチャンスを潰す絶好の機会だった。これで氷雪卿の存在を脅かす者は、いなくなる。


 カフェーで涙をこぼしてしまったアンセルの背を、ジャンはそっと擦って言った。

「アンセル、大丈夫? 事件があったここじゃ、落ち着かないか……」

 とは言ったものの、ジャンにとってはここがもっとも落ち着ける場所であり、それ以外に友達と話せるところなど思いつかず内心困っていると、アンセルが言った。

「ジャン、どこか……森とか、泉とかはあるかな。人工の庭とかじゃなくて、自然にできているところが、いいんだけど……」 

「ああ、それなら、ここから少し歩いて街から離れたところにあるよ」

「ありがとう。……大地や水や、風の力が感じられるところに行ったら、落ち着けそうなんだ」

 アンセルとジャンは知らなかったが、そこは、かつて亡き王妃が、公務の合間にノエルと語らい、菓子をほおばっていた森であった。

 今は人は誰もおらず、妖精たちが密かに息づいているのが、アンセルにはわかって、落ち着いた。深呼吸を一つする。パティスリー・ボワを出て、ベコー港から、やっと息を吹き返したような、そんな心地だった。

「アンセル、変わったね。前は、とにかくがむしゃらで、眠るのも惜しくて前しか見てないって感じだったのに」

 ジャンの言葉に悪意はなく、純粋な驚きだけがあった。ジャンは、製菓学校でアンセルと一番親しかったのは自分であるという自負があったが、彼とのんびり自然の中で座ったことなど無かった。アンセルは昼も夜も製菓の勉強に明け暮れていて、常に夢に向かって走り続けていた。そんな彼をジャンは尊敬し、好意的に見ていたのだが……今、森の中で深呼吸をしているアンセルは、あの時より穏やかで、いい顔をしていると思った。

「……うん、ありがとう。ジャン。おかげで落ち着いたよ」

 ここは、首都の中ではほぼ唯一と言っていい、妖精と魔獣の生息地で、規模は小さいながら、パティスリー・ボワがある森の中に近かった。何故か妖精たちは近寄ってこないが、そういう気分の日もあるのかもしれない。

「ノエル師匠のパティスリーは、ここよりもっと鬱蒼とした森の中にあってさ……年に1度しか咲かないアルジョンテの花をとるために泥だらけになったり、ベリベリベリーの果実を採るために、魔獣に追いかけられながら傷だらけになったりとか、本当に散々で……休めって言ったかと思えばいきなり人遣いが荒くなったり、師匠本人はだらしなくて暴力的だし、本当に……本当に……」

 ノエルとのろくでもない思い出を語って笑い話にしようとしたのに、胸に込み上げてしまうものがあって、アンセルは言葉を継げなかった。

「……だからさ、僕もう師匠のことは見つけられなかったことにするよ。本当のこと言うと、お前はもう好きにしろって言われてたんだ。だから僕もどこかで再就職先を探して――」

「本当にそれでいいの? 君らしくもない!」

 ジャンは、アンセルの肩を思わずつかんでいた。目を伏せたまま語るアンセルの言葉が、本心から出ているものとはとても思えなかったのだ。

「ジャン……」

「自分が欲しいもののためにはどんな努力も惜しまない、時には強引な手段も辞さずに、周りの目など気にせずに、自分の願いを押し通そうとするのが、アンセル・ルブランじゃないか!」

「えっそれ褒めてる???」

「半分くらいはね!」

 何だか聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたが、ジャンに反撃する隙はアンセルに無かった。

「アンセル。本当の気持ちを、大事にしたほうが良いよ。ユベール様に気後れして、聞き分けの良い言葉で言い訳ばっかりの君なんて、君らしくない」

 ジャンに言われて、アンセルは目が覚める気がした。

 ユベールの隣で近衛兵として立つノエルの姿があまりにも立派で。ノエルの隣に立つのは、自分よりもユベールのほうがふさわしいのではないかと、思ってしまって。パティシエという、お菓子を細々と作る仕事よりも、軍人としてユベールを守る仕事のほうが、立派だと思ってしまって。

 聞き分けの良い大人なら、諦めて次の道を探すほうが賢いと思う。だが、それでも自分は――。

「あっ、君たち何してるんだ!」

 突然、見知らぬ軍人たちがやってきて2人に声をかけた。

「君たち、今からこの森を焼き払うんだ。早く出なさい」

「あっ、今日でしたっけ……すみません、今出ます」

 ジャンが謝ってすぐに立ち上がるのでアンセルは驚いた。

「えっ……!? いや、でも、こんなに妖精達が住んでいるのに」

 アンセルが驚いていると、軍人たちのほうが呆れる。

「なんだ、君もしかして首都の人間じゃないのか。ここは魔獣が時々現れて危ないから、焼き払って魔獣を駆除することが以前から決まっていたんだ」

「そんな……」

「さ、早く森を出るんだ」

 軍人たちはノエルとアンセルを森の外の安全なところまで避難させた。そこには、なんとユベールも来ていた。ユベールの後方では、彼を見守るように氷雪卿が控えていた。

「おや、ジャンじゃないか。どうしたんだこんなところで。」

「ユベール様……はい、ゆっくり自然の中で友人と語らい合いたいと思って。今日が森を焼き払う日だったのをすっかり忘れていました、すみません」

「この森が無事に焼けたのを見届けたら、君の菓子を食べてから休憩をしたい。帰ったらよろしく頼むよ」

「はい、承知いたしました。……それで、ユベール様。お仕事が終わりましたら、氷雪卿のことで少しお話が……」   

 ジャンは、氷雪卿の話をユベールに言おうとしたところで、アンセルが言った。

「どうして、この森を焼くのですか」

 一介の若者でしかないアンセルの言葉に、ユベールは気さくに答えた。

「ここは、魔獣が出て危ないと市民たちから苦情があってね。市民たちの安全の為だよ」

「……世の中の生き物は、自分だけに都合のいいようにはできていないというのに」

 アンセルがぽつりと言った。ユベールは、人好きのする微笑みを浮かべたまま、否とも応とも言わなかった。だが、アンセルの言葉に、氷雪卿の眉がわずかにピクリと動いたことは、その場の誰も気がついていなかった。

 ユベールは周囲の安全を確認して「よし、火を放て!」と命じた。アンセルは、何もできずに、燃え広がる炎を見つめることしかできなかった、が――。

『あついっ、あついよお!』

『たすけて! だれかたすけて!』

 森の中から、妖精たちの悲鳴が聞こえてしまった。ユベールも、ジャンも、気がついている様子はない。

「妖精が、助けを求めてる! 僕、行かないと!」

 アンセルは、放っておくことができず、燃え盛る森の中に飛び込んだ。

「ええっ!? 無茶だよ! アンセル、アンセル!!」

 驚いたジャンがアンセルを追いかけようとするのを、氷雪卿が追い抜かした。

「……俺が、連れ帰ります。パティシエは下がってください」

「氷雪卿、いくら君でも無茶だ……!!」

 今度はユベールが止めようとしたが、部下の軍人たちが慌てて引き止める。

「アンセルー!!」

「氷雪卿!!」

 ジャンとユベールの叫びは虚しく、二人は業火の中に飲み込まれていった。軍人たちは慌てて消火活動を開始するが、火はどんどん燃え広がっていく……。


『こわいよー』

『たすけてー』

「げほ、げほ、げほ……!! ぼくの服の中に入って! もう大丈夫ですよ……」

 アンセルが言うと、妖精たちは安心したように、彼の上着の中に潜り込んだ。

(とは言ったものの……)

 アンセルはぐるりと周囲を見回した。一面火の海で、逃げ道が見つからない。

「妖精さんたち、逃げ道はわかりますか? このままじゃ僕ごと黒焦げだ」

『エエッそんなのぼくらにもわかんないよー』

『あ……待ってなにかくる』

 アンセルの背後に、何物かの気配を感じた。

 振り返ると、頭が2つある熊のような魔獣が、こちらを睨んでいて、アンセルめがけて襲い掛かってきた。

「……!!」

 アンセルは思わず目をつぶった。魔獣の鋭い爪が、アンセルの体を切り刻む……そう思ったのだが、全く痛みがない。

 アンセルが目を開けると、魔獣が袈裟斬りにされて死んでいた。アンセルの目の前には、黒い軍服姿の男。

「師匠……!」

 アンセルはなりふり構わずに、ノエルに駆け寄って、その背に腕を回した。

 小さな青年の必死さに、氷雪卿は頭の中の宝箱の鍵が開きかけた気がしたが、軍帽をかぶった頭を振ってその思考を振り払う。

「俺は、君を弟子にしたつもりはない。軍人として一般人を守るのは当然のことだ。それにしても随分無茶をしてくれたものだな」

「あ……ごめんなさい……」

 アンセルがたじろいた。だが……。

『……あれッ、オマエ、むかしルイーズ王妃にくっついてたノエル坊じゃないの』

『なんだ小僧オマエ! 妖精殺しのユベールのニオイなんかつけて!』

 急にアンセルの懐に入っていた妖精たちが一気にノエルを非難し始めた。

『軍帽、にあわないのよアンタ! ユベールなんかにもらった軍服と帽子なんて脱いじゃいなさい!』

『ちょっと、火の妖精いるー!? こいつに粉を直接お見舞いしちゃって!』

「えっ、ちょっと、そんなことしたら……!」

『りょーかい! ブーー!』

 アンセルがかくまった妖精のうち、髪の赤いひとりが火の妖精だったらしい。煎じても薄めてもいない火の妖精の粉が、ノエルの顔に一気に吹き付けられた。

「あだだだだだ!? 何すんだてめえ!? あ……アンセル? なんでこんなとこにいるんだ。って、なんだこれ山火事……!?」

「師匠……!!」

 アンセルは、ノエルの身体に抱きついた。

「師匠、師匠……もう離しませんよ。僕、やっぱり、あなたと離れたくありません!!」

 顔を埋めて涙がぼろぼろこぼれるのも構わずに上ずった声で言うアンセルに、ノエルは何かを察した。

「……ああ――そうか、俺は……復讐に失敗して、お前を巻き込んじまったのか。……悪かったな、俺のことなんか、放っておいてもっといいパティシエに師事してもよかったものを」

「僕くらいになれば、師匠はいくらでも選べますので。……その上で、あなたじゃなきゃ、駄目なんですよ。わかってください、ノエル師匠」

 アンセルなりの、想いを伝えたのだった。

「……取り敢えず、早くここから逃げるぞ」

『あ、まって。そっちだとユベールのヤロウのとこに戻っちゃうわ。コッチよ』

『ノエル、アナタの力をアタシに貸してくれたらこの先の火をアタシの水で消せるわ!』

「え……この火事、自力で消せたんですか……? 僕が命がけで助けに来た意味は……」

『ちがうの! ユベールが近くに引っ越して来てからほんとうの力が出せなくてこまってたの! あなたが助けに来て、ノエルを連れてきてくれなかったら、みんな死んでたわよ! ほんとよ!?』

「おい! くっちゃべってる場合じゃ!!」

 ノエルが怒鳴ると同時に、炎をまとって火柱になった大木が、こちらに向かって倒れてきた。

「アンセル――!!」

 ノエルは、弟子を突き飛ばして、倒れる大木から彼を守り――。 

 

 森の消火活動が終わった頃には、辺りは黒焦げで、何も残っていなかった。

 火が消えたあと、現場の軍人に、ジャン、ユベールが必死にアンセルと氷雪卿を探したが……何も、見つけることができなかった。

「氷雪卿も、アンセル・ルブラン君も、見つかりません、どこにも……」

「そんな……」

 絶望する軍人たちとジャンに対して、ユベールは言った。

「……いや、遺体ひとつ残らないというのは、おかしい。どこかに逃げおおせたのかもしれない……」

「あんな火の中で生きるなんて無茶ですよ……それに、どうして僕らから逃げる必要があるんです?」

「……わからない。だが、氷雪卿はかつて誰もが死んだと思った中、ひとりで生き延びたことがある男だ。今度は、二人まとめて生き延びたとしても、私は驚かないよ。……また探し出してみせるとも。絶対にだ」

 こうして、アンセルと氷雪卿ことノエル・イヴェールは炎とともに姿を消してしまった。

 ユベールはノエルを諦めていなかったが、新聞は、魔獣駆除の森林焼き払いにともない、尊い2名の命が犠牲になってしまったと悲劇的に報じた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る