「海の歌、歌うんだったら海沿いの駅とか、アットホームそうな駅選ぶとか、もっとあったと思いますけど」

 駅前の広場は、子どもが喜びそうな丸いベンチや遊具があるわけではない。ただの鳩の溜まり場と化している小さな広場だ。

 そこに白色の半袖Tシャツを着たラフな格好をしている壮年の男が錆びれつつある人工木材で作ったのであろうベンチに座っている。

 そして、手にはアコースティックギターを持って、先程まで弾き語りをしていたのだ。だが、梅代に声をかけられて演奏していた手を止めた。

 梅代も同じく淡いブルーが涼しげな五分袖カットソー、ややゆったりシルエットのデニムを身につけていることから、二人ともラフな格好をしていることが伺える。

 しかし、根本的な性格は違いそうだ。壮年の男はユニークで行動力に富んだ人と評されることが多い。チャラそうな印象を受けるデザインのピアスを両耳につけている。一方で、梅代は冷静沈着でクールな印象が漂う。

「いい歌でしょ?」

 壮年の男は青年の言葉に共感するわけではなく、質問で返した。

 辺りは帰宅するサラリーマンや学生が多く、壮年の演奏は耳で聞き流すBGMのように聞こえているのだろう。

 梅代はそのひとりだった、というわけでは無さそうだ。

「いや、自分あんまり音楽詳しくなくて。アーティストとかも興味ないんで」

「そうかい」

「でも、あんたがいい曲歌ってるっていうことだけはわかります。なんか惹き込まれるような感じで」

 お世辞ではなく本当に梅代は感じたままを正直に言った。

 壮年の男はその言葉に気分を良くしたらしく、口元に微笑みを浮かべていた。

「そうかい、そりゃよかったよ」

 壮年の男はギターを一度片付け、梅代に話す時間があるかを訊き、二つ返事で承諾した。壮年の男の隣に腰を下ろす。

「それで、話ってなんですか?」

 梅代がそう口にすると壮年の男は、あっと気づいた様子で言い忘れたことがあることを話し始めた。

「俺の名前、皆本みなもとって言います」

 ヘラッとした笑い方には、好かれそうで、癒しの効果でもあるのではないのだろうかと梅代は思う。心の中で自分と比べて少し惨めになった。

「オレ、梅代です。さっきの海の歌ですよね?」

「そうだね、タイトルは『海の歌』じゃないけど、海のことは確かに歌ってる。なんだい? この歌、流行ってるんかい?」

 陽気な口調で聞いてきたが、梅代は皆本のテンションにつられる様子は無さそうだ。若干引き気味である。

「いや、多分流行りじゃ無いと思いますけど」

「そうかあ、最近十年前の歌とか、二十年前の歌とか聴く学生って多いらしいよなあ」

 話しをする時間はあるかと訊いた割には、初対面の梅代に世間話を話している。普通は身の危険を感じたり、面倒臭い親父だなと感じるのかもしれないが、梅代はそのどれもに当てはまる感情にはなっていなかった。

「はあ」

 梅代はただ生返事をした。

 皆本は梅代の気の抜けた返事に、頭の後ろをかきながら説明を始めた。

「いやさ、俺ね最近、古い曲を漁って聴いてるんだよね」

「そうっすか」

 梅代は、興味があるわけでは無さそうな返事を返す。

「何で、梅代くんは海の歌? っての、知ってたの?」

 梅代はまだ産まれていない頃の歌だ。大ヒットしたわけでもないこの歌を、どうして知っているのだろうか。皆本は、柔らかな表情をして梅代を見る。

「オレの祖母、戦後大きな港町の下宿屋の子だったらしくて、それで下宿屋を切り盛りしていたみたいです。下宿屋に海軍の人が来ていたのか、なんらかの関係を持っていたのか……とにかく、兵隊さんが歌ってたらしいです」

 皆本は、夕日が沈んで、薄暗くなりはじめている夏の空を見上げた。

「へえ、お祖母ちゃん子だったんだねえ」

「別に普通じゃないですか?」

 梅代はなぜ皆本に祖母について訊かれているのか、理解できなかった。

 皆本は続けた。

「でもさ、お祖母ちゃんが自分の子どもに歌ってあげるってことが一番の思い出の曲なんじゃない?」

「……まあ」

 梅代は確かにそうだと思った。

 物心ついた頃に母親を亡くなっていたためだからなのか、家族で旅行へ行ったことや学校行事でなにかを家族揃ってした記憶があまりない。小学校低学年の夏休みは、学童保育所にいるか、祖母の家にいることが多かったな、と梅代は頭の中で振り返った。

 また、下宿屋を切り盛りしていた祖母は父方である。そういうこともあり、母親の親族とは縁が薄くなってしまっていた。

 梅代は祖母のことを考える。祖母は時代が変わっていっても、対応できる人との関わり方や、話が尽きないネタを持ち、コミュニケーション能力があるためだからか、色んな人から好かれていた。大学生になった梅代が振り返ってみても、人柄が愛されているという人であったなと思う。

 梅代は祖母が大好きだったし、尊敬もしていた。

 しかし、その祖母が亡くなってから、どこか心にぽっかり穴が空いたような気持ちになっていたのも否めない。

 現在も、大学で経済学を学びながら、講義が耳から耳へ通り過ぎていく感覚がしている、と思っている。だが、恐らく講義と祖母の死は関係ないだろうと、梅代は自分で自分へ静かにツッコミを入れていた。

 梅代は、心を整理してから祖母の話をする。

「でも、オレにとっては祖母との大切な思い出の曲なんです」

「そっかあ」

 皆本は、少し切なそうな表情を浮かべて言った。

「だから、この歌に共感できる人って少ないと思うんですけど……なんで、皆本さんはこんな古い曲知ってんですか?」

 そんな表情をする理由がわからない。梅代は不思議に思った。

「海の歌、俺は海軍兵士だった祖父が歌っていたんだよ」

 皆本は、電子タバコを口に咥え、ひっそりと煙草を吸った。

「梅代くんのお祖母ちゃんと関係があったのか、下宿屋に俺の祖父が行っていたのかは知らない。けれど、祖父が『どっかの下宿屋では、毎朝海に向かって、この歌を歌っていた』と言っていた。だから、俺は海の歌が好きになったんだ」

 皆本は懐かしむように遠い目をしながら続けた。

「その祖父も亡くなってしまったから、もう聴くことはできないけれどね」

 梅代はそんな話を聞いて、少し切なくなった。しかし、同時に自分の祖母との唯一の思い出の曲が、自分以外の人にも共感できる曲であることに嬉しさを感じていた。

「結構、グロい歌だろ? なんせ、戦中に歌手業志望してた兵士が歌ってたらしい」

 皆本は電子タバコをポケットにしまい、ニコッと歯を見せて笑った。その笑顔から漂う爽やかな印象にはそぐわない内容だ。

 梅代は少し面食らってしまったが、確かにその通りだった。

「まあ、たしかにグロいっすね」

「だろ?」

 梅代の正直な返答に、皆本は気を悪くした様子もないようだ。逆に気分が良さそうであった。

「でもさ、戦争の悲惨さとか知るには一役買う歌ではある。この曲は歌詞も意味深な部分もあるしね」

 皆本は改札口より遠い時刻表の方を見つめて言った。そして、梅代の方に向き直り、まっすぐに目を見つめる。

 梅代は、なんの抵抗もなくすっと心に入ってきたような気がした。

「新しいものに注目するのも、昔に執着しすぎるのも俺はよくないと思う」

「え?」

 梅代は、皆本からそんなことを言われると思ってもいなかったため、驚きを隠せないでいた。

「俺はね、新しいものや今流行っているものに執着しすぎると、その時代の人になってしまう気がするんだよ」

「でも、周りの話についていくためには知らないといけないような気がします。それなりの人間関係を築き上げて、それなりの流行りに乗って。そういうことが、自分にとってつまらなくても、そうしないといけないような気がします。じゃないと、人間が本当に嫌いになりそうなんです」

 皆本は、梅代の心情を見抜いているかのような目をしていた。

「周りに合わせるだけってつまんなくね? 恥ずかしいから、注目されるのが嫌だ、やる気が起きない。今時の梅代くらいの子たちって自分の中身が空っぽの子って多いよね」

 梅代は、図星を突かれたようで反論もできずにいた。

「国際信号旗って知ってる?」

 皆本が話をガラリと変えてきた。

 梅代は、国際信号旗のことは知らなかったため、首を振った。

「まあ、そうだろね」

 皆本は少し笑った。そんな突飛な話になるとは思ってもいなかったのだ。

「信号って赤は止まれとか青は進めとかあるでしょ? あれの海に関連する旗バージョンみたいなやつでさ。『人が海に落ちた』とか『ご安航を祈る』とか色んな信号があるんだよ」

「へえ」

 そんな信号があることを梅代は初めて知った。

「それで、俺さその国際信号旗のこと調べててね。結構面白いんだよ」

 皆本は興奮気味に話すが、その信号機の何がそんなに面白いのか、理解しかねていた。

「あんな時代もありましたねえって、俺らおじさんとかが笑って話す日が来るかもね」

 そんな日は来ないだろうと梅代は思った。そして、この話と自分の祖母の話や流行の話と、どう結びつくのかもわからなかった。

「で、K旗ってのがあるんだよね」

「K旗?」

 K旗という言葉は聞いたことも無かった。

 皆本もそこまで詳しいわけでもなかったようで、スマホを取り出し調べ始めた。

「ほら、これ」

 皆本が差し出してきた画面を見ると、黄色と青が縦に半分に塗られている旗の画像があった。

「この旗、通信の必要性があったり、避難信号する時とかに掲揚することがあるんだって」

 梅代は、皆本が何を伝えたいのかさっぱりだった。

「そろそろ帰らないといけないです」

 話を聞くのが面倒になり始め、少し困った顔を皆本に見せると、悪いなと言わんばかりに、ニコッと微笑んでいた。

「ありがとう。じゃあね」

 梅代は、小さくお辞儀をして、その場を振り返ることなく立ち去った。バイト店のある駅から自宅へ向かう駅のホームに向かって歩いた。 

 電車を待っている間、皆本が K旗の話をしてきたことに疑問を抱く。皆本は何を伝えたいのだろうか。

 『海の歌』の歌詞にK旗が関係しているのだろうか? K旗と祖母の話がどう結びつくのか、さっぱり検討もつかなかった。

「ただいま」

 玄関を開けるとリビングからテレビの音声が聞こえてくる。どうやら父が産婦人科が舞台のドラマを見ているようだ。今の時間に放送している番組ではないため、サブスクで視聴していることがわかる。

「おかえり」

 父はドラマから目を離すことなく、梅代の帰りを迎えてくれた。そしてまたドラマの世界へと入っていった。

 梅代は、直行で風呂場に行きシャワーを浴びに行った。

「K旗の意味聞いてないや」

 シャワーを頭かけて、そういえばと思い出した。

 K旗の画像が出てきたのだから、検索すれば意味も出てくるものなのだろうと信じ、部屋着に着替えてから、タオル置き場の上に置いていたスマートフォンで検索をかける。意味は簡単に出てきた。

「本船は貴船との通信を求める……」

 数秒フリーズしていたが、「ああ、そういうことか」と納得していた。皆本は梅代と同じ部類なのかもしれない。梅代は話をした理由が伝わったらしい。表情がやれやれと物語っていた。

「意味は、二つかな」

 まず、頭をタオルで拭きながら、ご飯に誘ってくれた同じ学部の女子のメールに承諾の返事をした。

 一つ目は、他人を怖がる前に他者のことを知りコミュニケーションを取る努力をすること。


 それから、リビングでドラマを見続けている父に話しかけた。

「お祖母ちゃんの下宿屋、今度見に行って来てもいい?」

 父はどうぞご自由にとでも言いそうな声色で「いいよ」とだけ返した。

 梅代は、髪を乾かしてからスマートフォンを枕元に無造作に置き、扇風機のスイッチを入れる。風が身体にあたると涼しくて心地よい。そして、ベッドに横たわった。

 二つ目、先祖の過去を知り、現在の行いに生かすこと。


 梅代が祖母のことを思い出すと、いつも優しく微笑む祖母の顔が浮かんできた。

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K旗 千桐加蓮 @karan21040829

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