蜚蠊

翠野とをの

蜚蠊

「あんたって、なんでそんなに頭いいの?」


 急にそう言われ、なんだ、という顔を向ける。


「だってさー、あたしたちと遊んでんのにあんただけ頭いいじゃん。才能かなあ」

「そんな訳ないよ。私勉強するし」

「って言ったってそこまでしてる感じないじゃん」

「えー、ワークとか周回してるよ」

「ほら、それだけじゃん。やっぱ元が違うんだなー。才能だわ。才能」

「いや……」

「ほとんど何もしてないのに点数取れるとかマジ羨ましいんだけど! いいなあ」

「……」


 本当は前日まで夜遅くみっちりやっていた。でもこんなこと言ったところで、やっぱり天才様は違うなあ、って言われるに違いない。

 人の努力知らないで、勝手に才能とか決めつけやがって……。

 嗚呼、イライラする。言いたいことぶっつけてやりたい。


 でも言わなかった。


 もし言って傷つけてしまったら申し訳ない。


 喉の奥で何かがもぞっと動いた。


 ◇◇◇


「ただいまー」


 帰宅。

 扉を開けて家に入る。

 リビングからは軽快な音楽と効果音が聞こえる。

 多分弟がゲームをしているのだろう。

 ちょっと覗いた。


 弟はコントローラーを忙しなく動かしながらジュースを啜っている。

 テレビに繋いだ画面2次元上では可愛い女の子キャラがイベント入手のレア装備を持って戦っていた。


 ───へえ、なかなかいい武器持ってるじゃん。


 しかしそこでとあることに気づく。


 あれ、アイツってあのイベントの時やってなかったような。


 一瞬にして恐ろしい可能性に辿り着く。


「あ、お姉ちゃんおかえり」

「ちょっとどいて!」


 乱暴にコントローラーを奪う。


 ああっ……!これ私のデータだ……。

 てかなんで弟がやってんの!?


 辛うじて装備の売却などはなかったが、やりたかったイベントは攻略した後だった。


「……なんで。……なんでやったのよ!?」


 思わず怒鳴る。


「だ、だってママがやっていいって……」


 目を震わせた弟が答える。


「ちょっとママっ!」

「何? 大声出して」

「何って、なんで弟に私のゲーム触らせてんの! あいつもゲーム持ってたよね?」

「あー。ごめんね」


 面倒くさそうに謝られる。


「掃除してる時に弟のゲーム機落としちゃって壊しちゃったの。それで代わりに貸してもらったわ」

「だからって勝手に使わせないでよ! そのせいで大切なイベント見逃しちゃったじゃん!」

「だからごめんねって言ってるじゃない。そんなゲームごときで怒らないの。弟の事も泣かせちゃって。お姉ちゃんなんだからこれぐらい我慢しなさいね!」

「なっ……!」


 この時母に思いっきりバカだのアホだの悪口言って、言えなくてもせめて、貸すなら一言欲しかったと言えばまだ良かったのかもしれない。

 しかし、疲れた雰囲気の母が弟に駆け寄ったのを見て、また飲み込んでしまった。


 咽頭あたりで何かが這い上がってくるのを感じた。


 ◇◇◇


「ちょっとさ、宿題見せてくんね?」

「別にいいけど」


 とある日。

 宿題が終わらないからと見せるようにせがまれた。

 あまり知らない男子だったが承諾する。


「はい、これ」


 ノートを手渡す。


「あざっす」


 パッと取られ、貸してやっているのに不釣合いな軽いお礼をされた。


「私も使うから終わったら早く返してね」


 と一言添えるが、その後暫くしてもノートが返ってくることはなかった。


「───ハァ? 貸したノートが返って来ない?」

「うん。……多分忘れてるだけだと思う」

「えぇ……。それ言ってこようよ」

「いや、そのうち戻ってくるだろうからいいよ!」


 止めるも友達は行ってしまう。しょうがないのでついて行く。


「ねえ、お前さぁ。この子に借りたノートどうしたのよ?」

「え、あ、覚えてたの?」

「覚えてたのって……。何その反応? まさかまだ写してないわけ?」

「そうじゃなくてさ……。えーとごめん! 無くしたわ」


 絶句。

 空いた口が塞がらなかった。

 普通人から借りたものを無くすだろうか? いや、無くさない。


「サイッテー! 君みたいな人に貸さなきゃ良かった! バーカ!!」


 ───なんて言えたら良かった。

 クラスの人気者度はあちらの方が上だし、下手に言って虐められでもしたらたまったものじゃない。

 でも腸が煮えくり返る。

 私だって普通にまだ使うのに。なんでっ……!

 言いたい。言いたい。言いたい!

 言ったらどうなるかわからない。

 怖い。怖い。怖い。

 我慢。我慢。我慢。我慢!!


 そうしたら喉から舌根に蠢きを感じた。


「うっ!」


 飲み込もうとする。


「もーマジお前最悪。人のモン無くすとかガチないわー!」

「だから謝ってんじゃん!」

「は? 全然誠意が感じられないんだけど!? ほら、あんたも黙ってないでこいつになんか言いなよ!」


 しかし口から溢れそうな何かを抑え込むことに必死でとても言えるような状況では無い。

 ただ口をもごもご動かすだけであった。


「あのさあ口動かしてるんだからホントは言いたいことあるんでしょ?」


 うん。それは勿論。でも……。


「だったら言いなよ」


 でも今言ったら、きっと……。


「はぁ。前から思ってたけど、あんたさ言いたいこと黙る癖、直しなよ。だから今みたいに舐められるんだよ」


 ぽとっ。


 あ───。


 抑えていた指の隙間から遂にそれが漏れ出した。

 それは大きい、黒光りの、丸くて、触覚の生えた、紛れもなく……虫。

 裏返しに産まれ落ちたあと、空中に手足をばたつかせ(その行為はとても滑稽だったが)正常な体勢へ戻った。

 そしてカサカサと二人へ向かっていった。


「ねえ、ちょっと。口抑えてどうしたの……キャッ!?」

「なんだコレ!?」

「どうにかしてっ!!」


 ごめん。もう無理みたい。


「うげえっ! おえっ! ごぼっぉぉおお!!」


 一匹出たらもう止まらなかった。

 私の口からとめどなく湧いてくる虫は黒いうねりと化して阿鼻叫喚のクラスの全てを飲み込んでいった。


 その後も決壊した様に止まることを知らず隣のクラス、学校、ひいては町をも覆い尽くした。


「おぇー」


 真っ暗なクラスで最後の一匹を出し尽くした私は笑っていた。


「アハハハハッ!」


 こんなに清々しい気持ちは何時ぶりだろう!

 なんて気持ちがいいんだ。

 なんて嬉しいんだ。

 確かに黙っていただけではつまらない。よし、これからは自分の思ったことをちゃんと言おう! そうしよう。


 その時、蠢く波の中から一匹の虫がやってきた。


 びだっ、


 と私に張り付いた。


 ガリっ、


 と噛みやがった。


「やっ、やだ!」


 なんで。なんでなんでなんで!?


「離れてよっ!」


 着いた虫を剥がそうとしているうちに虫が他にも現れる。


「来ないで!」


 届くはずもなく忌々しい虫共は私の脚を、腹を、腕をそして顔をっ!

 埋めつくした。


 私は人型の黒い何かに成り果て倒れ込み、痛みにのたうち回る。


 集っていた虫が取れた頃には私は虫喰だらけだった。

 そして穴だらけの視界で憤怒の表情を捉えていた。


「ははっ!」


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蜚蠊 翠野とをの @MIDORINO42

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