最終話
拝啓、これは貴方にケンカを売る手紙です。
とはいえ、文でケンカを売るというのも思いの外難しく、早速何を書こうか迷っております。
今隣に茂部がいるので、聞いてみたのですが、
『ねぇ、もっちゃん。手紙で相手にケンカを売るのってどうしたらいい?』
『はぁ? そりゃ相手にも寄るだろうが、悪口言ったり、過去にその人にした悪事をあえて告白したりとかすれば‥‥‥まあ、普通は怒るだろうな』
だそうです。とりあえず、そういったことを、思いつくままに書いてみようと思います。
ひとつ。先日の貴方。とても臭かったです。見かけたとき、背中にカメムシがたかっていました。まわりの人たちがすごく何か言いたそうにしていたのは、私の気のせいじゃなかったと思います。
ふたつ。貴方のプリン、食べたのは私です。そちらに行ったとき、居間においてあり、おいしそうだったので、私のもずく酢と入れ替えました。おいしかったです。
牽牛は読んでいた手紙を持つ手に力が入り、そこだけグシャリと潰れた。
「ンの野郎‥‥‥ッ! 人のプリンを勝手に食うな。どういう神経してんだ。カメムシも、気づいてたんなら、その場で教えてくれよ。なにそれ、泣きたいわ」
一気にそうまくしたてると、息はあがり肩が上下する。
はー、と一息ついて気持ちを落ち着かせて、手紙に戻る。
―——みっつめ。私はあなたが嫌いです。
織姫馬鹿で、彼女のことになると少しのことで一喜一憂するくせにまわりの気持ちには鈍感な所も。
子供みたいに笑う所も。
世話好きで私のことをいつまで経っても子供あつかいしてくる所も。
ほんとは、ぜんぶ‥‥‥嫌いです。
『夜分に申し訳ありません。貴方に届け物を』
———さて、これは貴方にケンカを売る手紙です。
『‥‥‥鵲が牽牛を外の世界に連れ出し、あまつさえ七夕を妨害しようとしました。それは、我ら一族の掟に背く大罪なのです』
仲直りは許しません。
『七夕の橋渡しへ行く前に、いえそのずっと前から書いていたようです。『もしも』の時に備えて』
ですから、貴方は「なんだこいつは」と、ひとしきり怒ったあと、私のことはさっぱり忘れてくださればいいのです。
『横笛が死にました』
寝苦しい夢を見た朝が、妙にさっぱりしたものであるように。
『わかっています。たとえどんな事情があったとしても、裏切り者は制裁されてしかるべきです。‥‥‥それでも!』
思い出すことも、どうかしないで。
『それでも、あれは私の大切な友人なのです』
牽牛様、これは貴方に‥‥‥
『牽牛様、私が言えたことではありませんが、どうか横笛のことを‥‥‥』
———わたしを、忘れてもらうための、手紙です。
『忘れないでください』
「————‥‥‥馬鹿だなぁ‥‥‥。こんな紙切れ一枚で、何にも変わりはしないのにな」
そう呟いて、牽牛は読み終えた手紙を丁寧に折りたたんだ。
七夕が終わった翌日は、一日中雨が振り続ける。
今年も朝から雨が振り続いており、牽牛は憂鬱とした気持ちで今日の仕事を終えた。
七夕の夜は一睡もせずに翌日を迎えたので、今夜はよく眠れるはずと寝床に入った。
しかし、雨音のせいなのか、なぜか今夜は寝苦しくなかなか寝つけなかった。
ふと気配を感じて雨戸を開けると、土砂降りの雨の中に傘もささずに男が一人立っていた。
その男が、横笛の話の中によく出てきた『もっちゃん』と呼んでいた人物であることはすぐにわかった。
横笛が死にました、と言って手紙を差し出された。
雨が降っていて身体がびしょ濡れにも関わらず、目の前に立つ男が涙を流しているのがわかった。
なんだ、いるじゃないか、と思った。
お前のすぐ近くで、お前のことを想ってくれている男が。
あったんじゃないか。
すぐそばに、気づかないで一度も見ずにはねのけていただけだろ。
なんで俺だったのだろう、と牽牛は何度も自問自答した。
それなら、死ぬこともなかったのに。
わかっていた結末のはずだ。
牽牛はどうあっても織姫以外は選ばない。
横笛の気持ちに応えることはないのだ。
牽牛は縁側に寝転がって、空を見上げた。
相も変わらず、雨は降り続けている。
「なぁ、横笛」
―——お前を死なせたのは、この俺だ。
「俺もお前のことが嫌いだ。だから、嫌いな奴が一番嫌がることをしてやる」
―——忘れてなんかやらない。
「もう二度と俺の前に姿を見せるな」
―——生まれ変わったら、また会いに来い。
気持ちには応えられないけど、大切だった。
―——大好きだった。
「そろそろ、夜も終わるかな」
そう独り言をつぶやいた牽牛の頬を、何かが伝っていった。
鵲のわたせる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける―———
届かぬ心 小槌彩綾 @825
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