第3話

「ニコル。僕はモートン家に君の縁談を申し込んだその日、ニコルが広場で男性と抱き合っている姿を目撃してしまった」


「……何ですって? どういうこと?」


 私はライアンと結婚するまでに男性と付き合ったことなどないし、不貞があるように言われてしまっては、ちゃんと否定せねばと思ったのだ。


 私の気色ばんだ空気を感じ取ったのか、ライアンは慌てて両手を出した。


「いや、すまない。少し待ってくれ。違うんだ。それが、先ほどのハリー殿だったんだ」


「……私には兄が居たことは、貴方だって、知っていたでしょう?」


 愛のない結婚とは言え、相手側の家族構成くらいは、頭に入っているはずなのではないかしら。


「けれど、三年間の留学に行っていると聞いていた。遠方の異国だし、まさか僕が見かけた時に、偶然帰って来ているとは思わなかったんだ」


 確かにあの時、兄は強行軍でとんぼ返りの数時間だけの帰国だった。実家に寄っている時間もなかったのだ。


「あの……ごめんなさい。ライアン。はっきりと聞くわ。何が言いたいの? 兄と私が抱き合っているところを見たとは聞いたけれど、それが何で私に謝らなければならないか、わからないわ」


「わからないか……君は、少々鈍感なところがある。そういうところも、可愛いと僕は思っていた」


 ライアンは急に真面目な表情になったので、私はとても狼狽えてしまった。


 私たちは夫婦になって二年近く一緒に住んでいるというのに、何をと言われてしまいそうだけれど、彼からこんな風に『可愛い』と言われたことなんて一度もなかったからだ。


「なっ……何なの。私、本当にわからないんだけど……ちゃんと言って。ライアン」


「僕は君なら是非にと思って、あの時に、結婚を申し込みに行ったんだ。ニコル。けれど、その帰り、君が男性と抱き合っている姿を見てしまった。そして、僕は君と恋人を引き裂くようなことをしてしまったのではないかと、その時に絶望してしまったんだ」


「……ああ。それがあの兄であったということでしょう。貴方は何も……」


「そうだ。だが、公爵家からの縁談をモーリス男爵が断るはずもない。君だって何も言い出せないはずだ。だから、君を彼に返さねばならないと思っていた。二年の間だけは、僕の傍に居てもらおうと……」


 私のことをじっと見つめる彼は、今までの夫ライアンではない。別人になったようだ。今までの彼は一定の距離を空けた、善き隣人だったもの。


 そして、私もようやく自分が今居る状況が掴めてきた。


 ライアンは私に、是非と言って縁談を申し込んでくれた。けれど、その日の帰り兄と抱き合う私の姿を見て、恋人が居ると誤解してしまった。


 誤解してしまったから、私と結婚しても『白い結婚』として肉体関係なく過ごし、二年後には解放してあげようと思っていた……?


「あの……その、ライアン。これって、もしかして……」


「そうなんだ。僕がずっと、勘違いをしてしまっていて、すまなかった……君の事が好きなんだ。ニコル。こんな僕と結婚してくれて、ありがとう。二年間、不安な気持ちにさせてしまって、本当にすまなかった」


「ライアン。私の事が好きなの……? 本当に?」


「こんなことで、嘘なんてつくはずないよ。ニコル。それに、君は理想的な妻として、僕のことを支えてくれた。実は僕は今までそういう素振りのなかった君が、例の恋人と、いよいよ会うのではないかと思っていたんだ。時期的に、おかしくないからね」


「あ……覚えていたのね」


 あまりにも変わらない普通通りの態度だったので、ライアンは、もしかしたら二年の約束を忘れていたのかと思っていた。


「忘れるはずなんてないよ。僕が作った期限だったからね。けれど、君と暮らしている内に、どうしても離したくなくなったんだ。ニコル。君を愛するライバルが居るならば、正面からぶつかれば良いと……奪い取ろうと思ったんだ」


「それで、あんな風に兄に攻撃的な態度を? ライアン……」


「ああ。全て僕の誤解だったんだ。本当に恥ずかしい。君との日々も、二年も無駄にしてしまって……」


 ライアンは可哀想なくらいに落ち込んで、項垂れてしまっていた。


 私はそんな彼の姿を前に、心の中には様々な感情が湧いて来た。


 初対面の時の冷たい態度、白い結婚で良いと言い放った気のない言葉。


 あれもこれも、私に恋人が居ると思い込んでいて、自分が縁談を申し込んだことは翻せないから、せめて二年で解放してあげたいと思ってしたことだったの?


「……貴方って、とっても優秀なのに、大切なところで、とんでもない勘違いしていたのね。ライアン」


「ごめん。ニコル」


 私は落ち込んでいる彼の大きな手を取って、それを握った。


「私は……別に構わないわ。それに、二年間も貴方と恋人気分で居れて、楽しかったわよ。今までは夫婦ではなかったものね。私たち」


 少しだけ距離を空けた良くわからない関係。使用人たちだって、不思議だっただろう。別に仲が険悪という訳でもないのに、別々の部屋で寝ているだなんて。


「あの……そのことなんだけど、ニコル」


「何? ライアン」


「早急に、僕たちの問題を、解決するべきだと思うんだ。つまり、その……今夜」


「……待って。ライアン。今夜なの?」


「こういうことは勢いが大事だと聞くし……結婚式は二年前だ。もう、今夜しかないよ。ニコル」


 私はつい数時間前まで二年間もの間、目の前の夫と別れる覚悟を決めていたのだ。


 だと言うのに、今度はそんな彼と幸せになる覚悟を、ほんの短時間で決めなければいけないようだった。


Fin

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本日はお日柄も良く、白い結婚おめでとうございます。 待鳥園子 @machidori

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