第2話
ハリーお兄様との待ち合わせの場所は、広場にある像の前だった。私は馬車から降りると、久しぶりに会えるその人の元へと小走りで急いだ。
「お兄様ー! 久しぶり! 元気そうで良かった!」
久しぶりに見た兄は、長髪になって後ろに括っていた。妹だからわかってしまうけれど、あれは絶対に髪を切るのが面倒で、無精して髪が伸びてしまっているだけで、伸ばす気なんて全くなかったはずだ。
まあ、若く見える人なので、お洒落で伸ばしていると言っても信じてくれるだろう。
「ああ。ニコル! 久しぶりだ。妹のお前の結婚式に、出られなかったなんて! 本当に、僕の運命は残酷だ」
大袈裟な物言いで嘆いた兄は手を広げたので、私はそこに飛び込んだ。
兄とは年齢が離れていて六つ上なので、私は兄というよりも、父に近い存在として彼を見て居た。
彼は勉強ばかりしていて腕っぷしはあまり強いとは言えないけれど、何かと厳しい父とは違い、私には何よりも安心出来る存在だ。
私が彼の胸に甘えるように頭を擦り付けると、兄は頭を撫でて言った。
「そうかそうか。ニコルも人妻になってから、色々あったんだろう。今日は俺がとことん聞いてやろう! 飲み明かすぞー!」
ハリーお兄様は明るくそう言ったので、私は彼に離婚して間借りさせて欲しいとお願いしなければと思っていた心の重荷が、少し軽くなったような気がした。
これはお願いすれば聞いてくれそう。
お兄様は男爵の跡継ぎだから社交シーズンになれば、どこかの令嬢に求婚しなければならない。けれど、仕事で忙しくしていて、極めつけは三年間の留学。
そういう訳で、まだ意中の女性すら居ないので、私が彼の邸を管理すると言えば、同居することをすんなり許して貰えるかもしれない。
「ええ。そうしましょう! 良い店があるのよ。お兄様。王都でも一番美味しい……」
「失礼。ニコル。こちらは?」
私は思っても居ない人に強引に肩を引かれ、驚いた顔をしている兄の元から引き剥がされた。
「ライアン? 貴方、何しているの?」
やはりそこに居たのは、夫ライアンだった。
本来ならば、ライアンはまだ城で仕事中のはずで、それに彼が発した疑問もよくわからない。
だって、私は今朝兄に会うと伝えているはずだったのだから。
「ああ! これはこれは。アンドリュース公爵ライアン様ですね。こんな立派な人が義弟になるだなんて、なんだか信じられませんが、俺の妹を選ばれた貴方は本当にお目が高い。どうも、ニコルの兄のハリー・モートンです」
「妹……ニコルが、ですか?」
信じられないと言わんばかりのライアンは兄の挨拶を聞いて、兄と私の顔を見比べていた。
……兄と妹だから、似ているかを確認しているのかしら?
とは言っても、私は母似と言われるし、兄はどう見ても父似だと思うけれど。
「あの、ライアン。貴方は仕事の時間のはずでしょう。一体、どうしたの?」
いつになく焦っているライアンが、私は不思議だったし、兄だって訳がわからず怪訝そうにしている。
ライアンは質の良い外套を着ていて、いかにも彼らしい紳士な装いだけど、職場である城からの帰りであれば、もっと質素な格好になっているはず。
もしかしたら……何か、この辺で用事でもあったのかしら? そして、私たちを見つけた?
「いや……そうなのか。ニコル。すまない。なんでもない。そういえば、レストランを予約していると聞いたが、僕も参加する。人数を変更しておいたんだ」
「え……人数を変更? あ。そうなの。私たちは、別に構わないけれど」
ここから近い予約をしているお店はとても人気なので、公爵家の要請からだとしても、数日前からの予約が必要なのだ。
王都で一番であることは間違いないし、久しぶりにあの店の味が食べたくなったのかもしれない。
兄は会ったばかりのライアンの様子がおかしいことには一切触れずに、留学時の面白かったことや興味深かったことを話してくれ、三人での食事は大いに盛り上がった。
けれど、私は兄を送り届けた帰りの馬車の中で、ため息をついてしまった。兄にライアンと別れた後に同居をお願いするのは、また次回にしなければ。
「……ニコル」
「何かしら。ライアン」
不意に前に座っていたライアンが名前を呼んだので、考え込んでいた私は顔を上げずに彼に返事をした。
「あの、ハリー殿についてなのだが」
「……はい」
ついさっき別れた兄のことかと私は頭を上げて、何気なく頷いた。何。ライアンの顔が赤いわ。どうかしたのかしら。
「彼は、以前髪が短かったか?」
「ああ……そうですね。だらしないですね。申し訳ありません。兄には注意しておきますわ」
後頭部で括っているとは言え、流石にあの長さはみっともなかったかも知れない。
容姿にあまり気を使わない兄のことを私が恥ずかしそうに言い片手で口を隠せば、ライアンはそうではないと首を横に振った。
「君たちは、あんな風に距離が近くて……抱擁し合う事も良くあったのか?」
「……? ありますわ。だって、私たちは兄妹ですし。それに年齢差も大きいので、兄というよりももう一人の父に近いのです」
ライアンが声を掛けて来た時に、私たち二人は久しぶりの感動で抱き合っていたし、彼からすれば兄妹であれをする人が少なく珍しいと言われれば、私はその通りねと頷くしかない。
けれど、兄と私の間では普通のことだったのだ。
「あの、どうしたの? ライアン。貴方、今日おかしいわよ」
私は今思っていることを、率直にそう言った。
ここ二年近く彼と暮らしていて、ライアンは無闇矢鱈に意見を押し付けるような横暴な男性ではなかったし、理由を言えば私の提案に耳を傾けてくれた。
だから、私もこうして面と向かって、自分の感じた疑問を投げ掛けることが出来る。
二年間で培われた信頼関係だった。
「……僕は君に、謝らなければならない事がある」
ライアンは両手で顔を覆ってから、私のことを見た。緑色の美しい目だ。彼に見つめられて、ドキンと胸が跳ねた。
何……? 何なの。急に。こんな……どういうこと?
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