本日はお日柄も良く、白い結婚おめでとうございます。
待鳥園子
第1話
それは、私の人生で一番の晴れの日になる予定の日だった。
「ご結婚、おめでとうございます。ニコル様。ドレスも似合われて、とってもお綺麗です! 今日は本当に良いお天気で、晴れた青空もお二人の明るい将来を喜ばれているかのようですね」
にこにこと微笑む彼女につられて空を見上げた私は、太陽の明るい光に目を細めた。
「あら……そうかもしれませんね。ありがとうございます」
何年かぶりに会った貴族学校の同級生に、結婚祝いの言葉を貰い『私の白い結婚にお祝いの言葉、ありがとうございます!』と、心の中で大きな声で叫んでいた。
周囲はこんなにも喜ばしいと、思ってくれている。身内ならば尚更だろう。私の両親は涙して参列者にお礼を言っているようだ。
……まさか、娘の私が今から夫に愛されることのない事が決定した『白い結婚』を。本日することになったなんて、思ってもいないはず。
今も隣に、仏頂面で佇んでいる新郎。金髪に緑の目と整った顔立ちの長身男性。裕福な公爵家の当主として、貴族令嬢に人気の貴公子であった彼。
彼側から縁談を持ち込まれ結婚することになったアンドリュース公爵ライアンは、縁談が決まって早々に『僕は君と子どもを作る気はないので、二年後は君の好きにして良い』と、淡々とした口調で初対面の私へと伝えて来たのだ。
これは、肉体関係のない夫婦として『白い結婚』にしようと、そういう意味だ。
ライアンは開口一番に、私にそう告げたのだ。
私たち貴族の結婚はその家の血を繋ぐことこそが重要で、肉体関係のない結婚になど何の意味もない。二年間ほど子どもが出来なければ、女性側は実家に返されてしまう。
そして、夫婦生活の実態がなく、このまま子どもを授かることもないのならば、結婚自体を無効と教会へ申請することが出来るのだ。
だから、私はライアンに結婚をするにはするけれど、肉体関係を持つことなく、二年後には別れようと言われたも同然だった。
まさか初めて会ったばかりの彼にそんな事を伝えられるなんて思ってもみなかった私は、ライアンの白い結婚宣言を聞いて大きく混乱した。
それに、とても屈辱だった。私はライアンから妻にと望まれていると聞いていたし、傲慢にも彼から愛される価値のある人間であると勘違いしていた。
彼には何か事情があって、仮の妻を必要としていただけかもしれない。
一言も話してもいないというのに、自分の事を軽んじられてしまっているという言葉に出来ぬ切なさで、何日も何日も眠れぬ日々を過ごした。
男爵家の娘が、公爵家に嫁ぐのだ。
同じ貴族同士ではあるけれど、彼は王族の血を汲む公爵家。こちらは数代前しか遡れぬ新興貴族。二人は身分が釣り合わぬ者同士なのだからと納得するしかなかった。
公爵家当主でどんな令嬢だって選べたであろうに、ライアンは私のことを妻になんて、迎え入れたくはなかったのかもしれない。
やがて、うじうじと悩んでいることが、何の意味もない行為だと私は気がついた。
泣いても悲しんでも、父にそうしろと言われれば、私はあの人と結婚するしかない。
モートン男爵令嬢として生まれ育った私は、結婚相手を自ら選べる訳でもなく、父から指示された通りの相手ライアンに嫁ぐしかないのだ。
そして、肉体関係のない白い結婚を理由に、結婚の無効をライアンに主張され、私は家に戻される。結婚した事実は無効に出来ても、公爵家から戻された女として私は肩身の狭い思いをして生きて行かねばならない。
今ある現状を思えばそうするしかないし、覚悟を決めるしかなかった。
泣いても笑ってもどう転んでも、愛のない日々を、二年間を耐えるしかない。
だとしたら、出来るだけお互いに嫌な思いをすることなく、離婚までの二年間の日々を過ごせるようにしよう。そんな気持ちを誓った結婚式は終わり、宣言通りにライアンは夫婦の寝室には来なかった。
それから、お互いに割り切って、期間限定の同居人と過ごす日々が始まった。
◇◆◇
結婚式から時は流れ、一年十ヶ月後。
意外にも穏やかな生活の中で、新生活に慣れたり、何かと忙しくしていたら、そろそろ、私たち夫婦が離婚する日は近付いていた。
白い結婚宣言を初対面で言い出したライアンは、私をそういう意味で愛していない以外は、完璧な夫だと言っても良い。
態度は常に紳士的で、乱暴な言葉を使われたこともない。
おまけに広い領地を持つ裕福な公爵で、何を買っても構わないと告げられ、私は何を我慢することもない贅沢な暮らしをさせて貰っている。
実は私は結婚するまでライアンには、私と別れた後に結婚をしたい本命の女性でも居るのかしらと思っていた。
けれど、それにしては城勤めを終えた後は、すぐに邸へと帰って来ているし、仕事の休日だったり空いている時間があれば、妻である私を伴って外で食事したがったり演劇を観に行きたがった。
ライアンは唯一の趣味が食べ歩きの美食家で、美味しい食事には目がなかった。妻の私を伴って王都に美味しい店があると聞けばすぐに行き、有名な店は制覇していると言っても過言ではない。
外交で陛下に同行する以外には、外泊をすることもないし、女性からの手紙だって一度も見たことはない。
愛していないはずの妻をそれなりに大事に扱ってくれるし、女性の影などがちらついたこともない。それに、話してみれば誰もが思う通り、ライアンは真面目な性格で、妻が居ながらにして女遊びをするような男性ではなかった。
だから、私は半年経った辺りから『なんだか、おかしい』と、思うようになっていた。
けれど、ライアンとの結婚は最初から『白い結婚』だと言ってくれているので、それはそれで良いし、二年後には何もなかったように解放してくれるのならそれも良い。
結婚してから社交にも慣れて来た私がアンドリュース公爵夫人として、そつなく社交をこなしていることは、社交界では既に知れていることだし、これで言うと縁談相手には困らないかもしれない。
女主人として邸を任せることが出来るというのは、求婚者を募る際に大きな売りになるのだ。
初対面で『白い結婚』を宣言された時には、この私だってそれなりに衝撃を受け愛されないことに傷ついたりもしたけれど、今ではそれも良いと考えている。
二年ほどお付き合いした中でライアンは良い人で幸せになって欲しいし、私が邪魔だと言うのなら、笑顔で去ろうと心に決めていた。
そして、その日は二ヶ月後にまで近付いていた。
「……ニコル。君は今夜は何か、用事はあるのか?」
食堂で向かい合うライアンは、朝食を終えて、登城前に私にそう確認した。
食道楽の彼のこと。もしかしたら、気になる新しいレストランを見つけたので、今夜は私と一緒に行きたかったのかもしれない。
「あ。ごめんなさい。ライアン。今夜は私、予定があるの」
「そうなのか……珍しいね。ニコル」
私がこれまでに彼の食事の誘いを断ったことがないせいか、ライアンは軽く驚いているようだった。
ライアンとの食事の時間は私にも楽しいものだったので、彼が食事に誘ってくれそうな週末の前の夜は、予定を入れていなかった事は意実だけど。
彼と離婚すれば、そうすることももう、なくなってしまう。
寂しい気持ちはあるけれど、最初から決められている期限なのだから、仕方がなかった。
「ああ、ライアン。貴方にはまだ、言って居なかったかしら。モートン男爵家の跡取りハリーお兄様が、先日ようやく三年間の留学から戻られたのよ。だから、その兄に会いに行ってくるわね。もしかしたら、その後は実家へ泊まって来るかもしれないけれど、気にしないで」
兄ハリーは留学中、一度か二度、重要な書類を取りに来たきりで、本当に私もゆっくりと会うのは久しぶりなのだ。
頭の良い聡明な兄で、国から文官としての将来を嘱望されて、異国にある大学に留学していたのだ。
……とは言え、もうすぐ離婚してしまう私の家族のことなど、ライアンが気にする訳もない。
けれど、夫婦として生活している以上、この日の予定を彼に報告しないのもおかしいし……複雑な思いを抱えたままで私がそう言えば、ライアンは目に見えて面白くなさそうな表情になった。
「いや。それは、まだ聞いていないな。僕も一緒に行こうか。義兄にも是非、ご挨拶をしたいし」
私はこのライアンの申し出を聞いて、困ってしまった。
実は私は今夜兄に、彼と離婚してからの仮の同居を頼もうと思っていたのだ。
兄は近い将来モートン男爵を継ぐけど、城で高給取りの文官として働いているので、今は実家より大きな邸を構えている。
これまでは建てたばかりの邸を放って留学して住んで居なかったけれど、気難しい両親の住む実家に行くより、兄の家へ住まわせて貰って、次の嫁ぎ先を探す方が私にとって精神的に楽な気がしていた。
だから、今夜だけはライアンを連れて行く訳にはいかない。彼だって話の流れで、私の家族に会おうかと言っただけだろうから。
「そう言ってくれて、本当に有り難いわ……けれど、兄も三年間の留学から帰って来たばかりだし、家族水入らずで話したいこともあるから。それに、貴方ならば、きっとすぐに会う機会があると思うわ」
ハリーお兄様は高級文官として城で働いているし、公爵位を持つライアンだって王太子の傍に居る。
きっと、彼らが仕事で近く会うこともあるだろう。私はそう思って言ったのだけど、ライアンは何故か、不機嫌な態度になってしまった。
これは常に感情が安定している彼にはとても珍しいことで、私はこれまでの会話で何か気に入らない事があったのかと慌ててしまった。
……久しぶりに会う兄と話をしたいからと言っただけよ。
仕事へ向かう去り際、兄と会う予定の店の名前まで確認したので、いつもは温和な彼を怒らせてしまったのではないかと不安になってしまった。
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