#3

 ガタンガタン。貨物車の大きなずた袋に凭れる。ふかふかしており、中には藁か何か入っているのかもしれないが、どうでもいい。ただもうへとへとだった。機関車に向かって飛び下りた瞬間に意識を失い、次に気付いたらここにいた。どうやら無事に機関車に乗り込めたらしい。腕もお尻も痛いけど。私をここまで運んだとは、ヨウヘイは意外と力持ちなんだなやっぱり男の子なんだなと、とろんとした頭で思った。

 そんなぼけっとして何も分かっていない私に、ヨウヘイはここ数日の説明をしてくれた。私は白目剥いて涎たらしてたから、それは自分の頭を整理するためだったのかもしれないけど。

 三日前、十代後半から二十代半ばの男女はそれぞれ、男女別に近隣の学校施設などに集められた。

「政府から通知が来てたけど、サクラは行かなかったの?」

 と訊かれて、首を横に振った。ハガキかメールか分からないが通知など知らないし、知ってたとしてもわざわざ人の集まる場所まで行くはずもない。

 そこで、彼らは説明を受けたらしい。

 これから世界が滅亡すること。生き残るためには、「運命の相手」と世界の果てまで逃げ延びること。

 そうして、一人ひとり、運命の相手の顔写真と名前がモニターで発表されたらしい。

 訳の分からない冗談だと首を捻りながら、その日は一同宿舎に宿泊させられた。翌日、地鳴りとともに世界は廃墟となったらしい。一瞬の出来事で、ヨウヘイもどうしてこうなったのか分からないという。ミサイルの被弾か、はたまた宇宙人の侵略か。ただ、「扉が開く」、前日の説明会ではそんな表現をしていたらしい。

 現実に理解が追いつかないまま、ただ生存本能で彼らは運命の相手を探して進んできた。順に相手を見つけた仲間が抜けていく中、最後まで残っていて不安だったから、サクラに会えてよかった。彼はそう言って笑った。胸がきゅっとなった。

「なんで運命の相手とペアで逃げなきゃならないの?」

「ノアの箱舟と同じ理屈じゃないの。世界が崩壊した後に新天地でまた人類を繁殖させるようにとか。知らんけど」

「なんだ、ヨウヘイも詳しく知らないんじゃん」

「うるせー」

 そう言って、口を尖らせる。

「それで、ヨウヘイは運命の人には出会えたの?」

「えっ……」

 なるべくさり気なくしたつもりだったけれど、彼は絶句した。きょろきょろ視線を泳がせている。嘘のつけない奴だな。仕方ないのでそのまま私が続ける。

「だって、運命の相手なら、顔と名前を知っているはずでしょ」

 なのに、初めて会った時、彼は私に名前を聞いた。運命の相手ではなかったから。

 現在、日本の人口は男性よりも女性の方が多い。世界規模で見ても同様だ。だから、私はひきこもっていたから説明会に参加できなかったのではなくて、そもそも選ばれなかったのだ。箱舟に乗る生き残りのメンバーに。

 存外淡々としている私の様子に、ヨウヘイは気が抜けたのかはあと息を吐いた。

「……会えなかったよ。その前に相手は死んじゃってたから」

 嘘だ。私は胸がちくりと痛んだ。

 ヨウヘイが他人より耳がいいように、私は嘘を見抜くのが得意だ。その精度は、直感とかなんとなくというレベルではなくて、いわゆる特殊能力並み。だから、幼少期は無邪気に他人の嘘を指摘しては気味悪がられた。長じて自分が変わっているということに気づいて以来は指摘こそしなくなったものの、学年が上がるごとに周りの嘘は増えていき、集団生活がだめになった。そんな中でも両親が向けてくれる愛は真実だったし、アカネちゃんもミナミちゃんも嘘がない子達で居心地がよかった。ヨウヘイもそうだ。彼は嘘をついていたけれど、嫌な感じじゃなかった。だいいち嘘をつき通せないほどの正直者だ。

 だから、彼が運命の相手に会えなかったというのは、うそ。彼は、彼の運命の相手に出会った。その上で、相手とお別れしてしまったのだ。彼の嘘は、相手への想いをまだ吹っ切れていない証だ。

「私は、よかったよ」

「え?」

「ヨウヘイが迎えに来てくれなきゃ、私は独りぼっちで死んじゃうところだった。ううん、アカネちゃんやミナミちゃんさえ、私一人残していくのが心配で出発できなかったかもしれない。だから、嘘でもヨウヘイが迎えに来てくれて、私は本当にうれしいと思ってる」

 ぽろぽろと絞り出した私自身の言葉に嘘はない。彼がどう思ったのかは分からない。ただ、「うん」と言った。

 ガタンゴトン。西へ向かっているという機関車は猛スピードで線路の上を走る。窓の外は真っ暗で、今どの辺りなのか検討もつかない。漆黒の空に、いつもなら街から見えるはずもない満天の星々が輝いていて、不気味なほどだった。私とヨウヘイは手を繋いだまま、束の間の眠りに落ちた。

 私はヨウヘイのお蔭で助かったけれど、私は彼に何を返してあげられるのだろうか。箱舟の乗船資格さえ与えられなかった私と一緒にいたって、彼にメリットはない。つがいでないといけないといったところで、私でなければならない理由などない。彼がそうだったように、この先、運命の相手を失った有資格者と出会うこともあるだろう。その時には、私はさっと身を引こう。そんな心うちを知ってか知らずか、目が覚めた時も私の手はぎゅっと彼の大きな手に握られたままだった。

 朝日が私達の瞼を射す。

 窓の外が白々と明けていく。機関車はいつの間にか山中の田舎道を走っている。振り返ると、通り過ぎた景色がガラガラと灰色に崩れていくのが見える。世界の崩壊が迫っている。

 機関車はトンネルを抜け、山岳地帯に入る。この辺りはまだ穏やかな緑色をしている。けれど、灰色が山を越えてここまで来るのもじきだろう。だが、この暴走機関車のスピードならなんとか逃げ切ることができそうだ。そんなことを考えていると、視界の隅に赤色が過ぎった。その赤色に目を凝らして、私は窓から身を乗り出した。

「アカネちゃん!!」

 赤い自動車が後方に消えていく。灰色が迫ってくるのに!

「サクラ!」窓から飛び出さんばかりの私の体は、ヨウヘイの手で車内に引き摺り戻された。

 アカネちゃん! アカネちゃん! それでも窓枠にしがみつく私を、引き剥がす。離して! なんで! 助けに行かなきゃ! 離してよ! 泣き叫ぶ私に彼は言った。

「逃げる時は振り返るなって、震災の時に学んだ」

 彼がぎゅっと噛み締めた唇には血が滲んでいた。その台詞を聞いて、これはやはり、異世界なんかじゃなくて現実の出来事なのだと。ああ、もう父さんにも母さんにも会えないんだと。私は彼の腕の中でわあわあ泣き続けた。彼はただ黙って抱きしめてくれた。

 泣き果ててようやく、ふと思う。

 彼が運命の相手を失った時、誰か彼の痛みを癒してくれる人はいたのだろうか。そう思ったけれど、私にできることなど何もないから、ただぎゅっと彼の体に腕を絡めていた。せめて温もりだけでも伝わりますようにと。そうして機関車が目的地に到着するまでの三昼夜、私達は一つに繋がったまま過ごした。

「もうすぐ世界の果てに着く」

 ヨウヘイの言葉に、私も体を起こす。進行方向の先に海が見える。そこに箱舟が係留されているらしい。私は乗ることができないかもしれない。けれど、何としてもヨウヘイだけは乗せなければ。ぼんやりとそんなことを考えていた。

「ねえ。ところでこの機関車、一向スピードが落ちないんだけど」

「はは。そりゃあ暴走列車だからね。乗るのも降りるのも自力だよ」

 荷物をまとめながら、ヨウヘイが事もなげに言う。

「最後尾からの方が降りやすいと思う。知らんけど」という彼の言葉を信じて車列を移動する。なんとか最後尾にまで辿り着いたものの、全然無事に降りられそうな気はしない。ただ、引く手を信じて、彼に続いた。飛び下りる瞬間に投げたずた袋がクッションになって、かろうじて地面に着地した。機関車はそのまま港を走り抜け、海の藻屑と消えた。ヨウヘイに抱えられた私は無傷だったけれど、彼は擦り傷と打撲が痛々しい。そのくせ「大丈夫」だと笑う。

 海岸を進む。二人手を繋いで砂浜を歩く時、なんだかしあわせな気がした。この人は、本当に私の運命の人なのかもしれないと思った。彼もそう思ってくれればいいなと。

 ようやく目の前にした箱舟は、想像よりも小さかった。何組のカップルが乗るのか知らないが、果たして本当に全員乗れるのだろうか。自分達が何番目に到着したのか分からない。けれど、何人か先に乗っている人達がいる。また、箱舟の周りにはぽつんと佇む男達もいる。ゴールしたものの、パートナーと逸れて乗れない人達だろうか。その中に見覚えのある姿を見つけた。熊みたいにガタイのいい男性、ミナミちゃんの運命の人だ! その傍にミナミちゃんはいない。そんな! 声にならないまま、熊さんの視線を辿る。見つめる先の箱舟の窓にミナミちゃんの顔があった。箱舟の内と外で、二人はじっと見つめあっている。かなしそうに、いとおしそうに。よく見ると、箱舟に乗っているのは女の人ばかりだ。

「さあ、行って」

 ヨウヘイが私の背中をそっと押す。さっきまで繋いでいた手はいつの間にか解けている。「一緒に行こう」と伸ばした私の手を、彼は避けた。代わりに真っ直ぐに見つめて、大きな温かい手を私のお腹に当てて、やさしく言った。

「箱舟に乗れるのは、新しい命だけだ」

 彼のその言葉には一欠片の嘘もなかった。

 それで、箱舟を仰ぎ見て、私はすとんと納得した。ああそうか、我々は失敗したんだ。だから、世界は新しくやり直すことを選んだのだ。まっさらな命をいちから教育することで、新しい世界を創造することを。必要とされているのは、私でも彼でもない。不甲斐ないし、情けない。くそったれ。

 私は顔を上げて、一歩を踏み出した。

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ファンタジーのしっぽ 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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