第2話 留守の間に

 香澄の部屋は元々広くなく、大きな本棚もあるのでかなり狭苦しい。畳で、小さな机が置いてありそこで執筆している。毎年の猛暑に耐えかねて、去年エアコンをつけたところだ。


「今、印刷するね」


 そう言って、香澄は立ったまま棚の上にあるプリンターを用意し始めた。

 みのりはチラリと時計を見る。トメは昼前に帰ってくる。急に部屋のドアを開ける人ではないが、同じ家屋にいるときに男同士でそんなことをしてると知られたら、トメの心臓に悪い。



 みのりは香澄に後ろから抱きついた。ソフトな雰囲気からはイメージできない、しっかりとした体つき。自分の家とは違う、洗剤の匂い。


「どうしたの?」


 香澄は手を止めて、肩越しにみのりを見た。


「……さっき二人きりでご飯だったから、新婚さんみたいって思って……」


 みのりは香澄の背中に顔を押し付けて、深呼吸をした。


「言われてみればそうかもしれない。早く言ってよ。私もそういう気持ちでご飯食べたかったな」


 香澄は笑いながらみのりに向き合うと、ぎゅっと抱きしめた。


「私の、可愛い奥さん」


 香澄にそう言われて、みのりは顔が熱くなった。耳までじんじんする。一生言われることのないその言葉を、一番好きな人に心をこめて言ってもらえた。香澄の胸元に頭をぐりぐりさせる。

 香澄に頭をなでられる。くそう、なでなでで済むか。


 みのりは香澄の首に腕を回し、顔を引き寄せた。シャンプーの匂いを嗅ぎつつ、香澄の唇を奪う。


 唇なんて、大して形に違いがないと思っていたが、一回目よりは二回目。二回目よりは三回目の方が香澄とぴったり合っていく気がする。なんだろう、弾力?リズム?動き?

 香澄と唇で遊びながら、そんなことを考えていた。


「……考え事してるの?」


 バレてしまった。


「うん……。なんで香澄さんとキスすると気持ちいいのかなって……」


「ふふ。気持ち良くなってくれてるの、嬉しい」


 そう言って、香澄はさっきより強くみのりの唇を貪った。キスの合間の吐息すらも舐めるように。


 ちゅぱっ……と鳴らして、ぬるりとした唇がようやく離れる。みのりはすっかり出来上がって、架空の猫耳と尻尾が生えてくる。



「したいの?」


 と、香澄が真顔で訊く。見てわかるはずなのに、こういうとき香澄は意地悪をする。


 みのりも無駄に意地があって、そのまま、うん、とは頷かない。香澄の下半身にそっと指先で触れる。ジャージの柔らかい布地ごしに、香澄の興奮を確認する。


 鼻と鼻を触れ合わせて、「まあ僕はそうでもないけど香澄さんがしたいなら仕方がないなぁ」みたいな見栄を張る。いつも香澄は優しくリードしてくれて、理性が飛んでいる様子はない。自分の色気が足りないのだろうか。たまには、あの作品たちのように強引にしてくれてもいいのよ……なんて思ってるんだけど。



「最近、筋肉がついてきたよね」


 ぎくり、とする。確かに力仕事をするようになり、丸みを帯びていたフォルムから、筋肉の形が感じられるようになってきてしまったのだ。あまり痩せないようには気をつけていたが、この調子で男らしくなってしまったら……。香澄の好みじゃなくなるんじゃないかと、心配していたところだった。


「あんまり……男らしい体だと、萎えますよね……」


「はは。みのりさんがボディビルダーみたいな体になってきたら、複雑な気持ちになるかもね」


 香澄は、みのりのほんのりと浮き出た腹筋に指を這わせると同時に、みのりの首筋に優しくキスをする。


「……ちょっとくらい、男らしくなっても大丈夫ですか……?」


 自分でも、なんでそんなことを聞いたんだろうと思った。なんていうか、農作業で自然と触れ合っているうちに中性的であろうとする”儀式”がちょっとしんどくなってきたのだ。


「みのりさんは、どんなみのりさんでも可愛いから、大丈夫だよ」


 香澄が耳元で囁く。

 心の中で、ふにゅぅぅ……という謎の擬音語が生まれて、みのりは香澄にもう一度勢いよくキスをした。が弱く見せかけて女みたいにされるのも好きだが、好きな気持ちを勇ましくぶつけたいところもあるのだ。


「男らしいみのりさんも楽しみだよ。いっぱい、いろんなことしてみようね」


 香澄はそう言ってキスを返してくる。

 香澄の手が、みのりのお尻をなでる。二週間前に二人でラブホに行き、枕を抱きしめながら散々鳴いたことを思い出して下半身がキュンとなった。


「……したいんですけど……おうちでうるさくするのはちょっと……」


 万が一にもトメには聞かれたくない。


「じゃあ今日は控えめに?」


 控えめだとぉ?


「せ、せっかくなので、なんて言うか、全力で短く、っていうか」


 控えめにされて、残り半日を正気でいられる自信がない。


「そうだね、たまにはそういうのもいいかもしれないね」


 香澄は相変わらずの笑顔を見せてそう言った。

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