第四話「新たな出会い」

何かに揺られている、そんな感覚がする。ガタン…と体が大きく揺れた衝撃で、目を開けてしまった。


「……?」

「ん?おう、目が覚めたか」


知らない男だった。年齢はおそらく三十台半ば程で、頭に白い帽子を被っていて、褐色の肌には薄い白髭が生えている。周囲を見渡して、馬車の中にいることを理解したが、自分が一体どこへ向かっているのか分からない。いつの間にか雨はやんでおり、よく晴れた空の下、ゆっくりと馬車は進んでいるようだ。


「……誰、ですか?」

「お前、さっきの事覚えていないのか?」


……彼の言葉を反芻する。再び彼の顔を凝視すると、微睡んだ頭が少しずつ鮮明になってくる。


あれは、"あいつ"を見つけた時のことだ。


茫然自失になった僕はもう何もかもがどうでもよくなり、どこへ行くでもなく歩き回っていた。腹が減っていたので、食糧店から食べ物を取って食べる。美味しい。

罪悪感など感じない。人として何か大事なものを失ってしまったような気がするが、それすらも今の僕にはどうでも良いと思えた。


 再び歩き始めた。今度は町を外れのほうまで行ってみる。町はずれには本来森が広がっていたが、今は街と同様に焦土と化している。


そこで見つけた


厚い鎧で体を覆った獣人の死骸と、そこにたたずむ数名の大人たち。いずれも倒れている獣の返り血で赤く染まっている。


気が付けば僕は集団に向かって走り出していた


「あああああああああああああああ!!!」


もう何が何だか分からないが、怒りに身を任せ、短剣を振りかざしながら突撃した。


やっとこの感情の捌け口が見つかった。僕の大切な人を奪った、僕の人生をぶち壊しにした犯人がようやく見つかった。僕はこの時、安堵に似た感情を抱いていた。


「返せよ!!町を!バロさんを!!アイネを返せよ!!」

鎧を着ている方の一人が振り返り、剣を振りかざした。


「よせ!オスカー、子供だぞ!」

もう一人が鋭い声でそれを諌めたが、振り翳した剣は僕に向かって飛んでくる。


辺りに金属同士がぶつかる甲高い音が響いた。鈍い音がして短剣が地面に刺さった。


「……何だ?小僧」

剣を鞘に戻しながら鷹を思わせる鋭い目で僕を睨みつける。僕はその凄みにたじろいだ。手が震える。


「…僕たちが、何をしたって言うんだ。僕たちが…なに、したって」


気付けば僕は泣いていた。理不尽な現実にも、弱い自分にも嫌気が差す。やはり僕の力では皆の仇討ちもできない。それどころか僕一人では碌に生きていくことすらもできない。


僕に飯が作れるか?僕に歌が歌えるか?僕に戦う勇気はあるか?


自分の不甲斐なさを嘆き、それでも僕は涙を流すことしかできなかった。


「手荒な真似をしてすまなかったな。ああ…私もこいつが憎くて堪らない…」

そんな僕を見かねてか、兵士はそう言いながら僕の頭を撫でた。僕は感情のダムが決壊したように情けなく無様に、ただひたすら赤子のように泣いた。



「……家は?両親はどうしたんだ?」

僕が泣き止んだのを見て、兵士が語りかけてくる。

「…父さんも、母さんもいない。昔、船の事故で死んだんだ。僕だけ助けられて、それからは町の教会で暮らしてた。育ての親は牧師のバロさん。けど…その人も死んだ」

「孤児か…お前、名前は?歳はいくつだ?」

「…クライネ。8歳」

「そうか。クライネ、いい名前だな」

「ありがとう…お兄さんは?」

「オスカーだ。王都で兵士をしている」

「そうなんだ」


「…それじゃあ、お前住むあてが無いんじゃないか?おまけにひどい怪我だ。そんなのでよく立っていられるな。手当してやるから付いて来いよ」


オスカーの隣にいる男が驚いたように言った。

言われてみれば確かに、どうして僕は動けているんだろう。体中から出血している。


もう何も分からない。意識が朦朧としてきた。

次の瞬間、視界が大きく揺らぎ、焦土が鼻先に触れる直前で視界が完全に暗くなった。

そこからのことはよく覚えていない。気付けばこの馬車の中にいた。


「あんまり動くなよ。傷が開く」


言われて初めて自分に包帯が巻かれていることに気が付いた。顔の左半分と、首、肩、左足。

自分の満身創痍具合に思わず呆れ笑いが出てしまう


「俺の名前はランスだ。これから向かうベレって名前の町に住んでいる。色々聞きたいことはあるだろうがひとまずは寝とけ。話はまた後だ、着いたら起こしてやるよ」

「…わかった」


僕は天井を見つめている。この男の素性がどうであれ、どのみち従うことしかできないので今はとにかく眠ることにした。


次に目が覚めた時、僕はベッドの上に寝かされていて、窓の外は月の柔らかな青白い光に照らされたある一室だった。ベッドの横にはテーブルと、一つ椅子が置いてあり、部屋の壁には帽子が三つ掛けられている。よく見るとそのうちの一つは僕が先程まで被っていたものだった。

耳を澄ますと波が寄せ返す音が聞こえてくる。きっとここも海辺の町だろう。そしてここがあの男の家なのだろう。

 起き上がろうとしたが、できなかった。体を動かせない、何も感じないのだ。自分の身に何が起こっているのか全く理解できないまま、再びやってきた睡魔に誘われて僕は眠った。


 次の目覚めは、太陽が昇っていてとても清々しい朝だった。僕の住んでいた地方は寒冷な気候だったため朝は布団が欠かせなかったのだが、ここはやけに暖かい。右頬に当たる生暖かい感触で、そのことに気が付いた。


一体ここはどこなのだろう。そして、僕はどうなってしまうのだろう。


その時、誰かがドアをノックした。突然の来訪に思わず身構えようとするが、動けないことを思い出した。


やがてドアが開く。

入ってきたのは、見知らぬ少女だった。アイネと同じくらいの年齢で、肩まで伸びた赤みがかった髪に、翡翠のような瞳が特徴的な背の高い少女だ。手には粥のような何かが盛られた皿を乗せたお盆を持っており、てっきりあの男が来ると思っていた僕は狐につままれたようなそんな気持ちになった。


「きゃっ……!」

 少女と目が合った。少女はその綺麗な目を大きく見開いて、持っているお盆を落とした。大きく皿が割れる音がし、少女が慌てふためきながら落とした皿を拾い始めた。拾うのを手伝おうと体を動かそうとする


「まって、大丈夫だから!動いちゃダメ!まだ傷が治りきってないの!自分の体、よく見てみなよ!」


言われて自分の体を見てみる。体には何か所にも包帯が巻かれていて、腕には点滴の管が通されている。しかし、不思議にも重症であるにも関わらず痛みはほとんど感じない。


「あなた、七日間も眠り続けてたのよ。本当に驚いた!お父さんが帰ってきたら、傷だらけのあなたをおぶっていて、ここに寝かせたの。ひどい熱だった。今は熱も引いているみたいだけど、まだ激しく動いちゃだめだからね。私の名前はクロエ、よろしくね、クライネ」


顔を近くで見るとやはり瞳の色が綺麗だと再認識し、思わず顔が熱くなる。


「よろしく。…どうして僕の名前を?」

「町のお医者さんがあなたの傷を治療するときにお父さんと話しているのが聞こえたの

クライネ、不思議な響きね。私、好きよ」

「あ、ありがとう」

「ちょっと待っててね、今お父さん呼んでくるから!」


そう言って彼女は足早に部屋を出て行った。部屋が静寂を取り戻したのも束の間、今度は間違いなく馬車で見た男と共に彼女がやってきた。


「おお!やっと起きたか!」

男はそう言って笑みを浮かべた。

「ちょっとパパ!ケガに障るでしょ!ここは病室なんだから静かにして!」


少女はそう言って頬を膨らませた。

「すまんすまん、そんな怒るなって」

目の前で繰り広げられる会話に、僕は全くついていけなかった。


「っと、すまない。自己紹介がまだだったな。俺はランス、この町の道場で師範をやっている。こっちは娘のクロエだ。俺と違ってよく気の利くやつだから、まあ、仲良くやってくれよ」

「これからよろしくね!クライネ」


そこまで聞いて、僕の中に一つの疑問が生じた。

「僕は、ここにいていいの?」


僕には身寄りがない。あのまま、あの町で命運が尽きるものだと思っていた。彼らに僕を養う理由なんてない。

僕のその問いに対して、二人は目を合わせてからこう言った


「おいおい、俺たちが身寄りのない怪我人を外へ放り出すと思うか?お前はもとより俺が引き取ったんだ。だからもう家族みたいなもんだ、何も気にすることはないんだぜ」


彼はそう言って豪快に笑った。その笑顔を見て、一瞬口から出かかった言葉を飲み込んだ。


「うん、よろしく。ランスさん、クロエさん」

「おいおい、さん付けなんてよしてくれよ!言っただろ?家族みたいなもんだって。まあ初めのうちは慣れないだろうが、困ったことがあればすぐに言ってくれ。俺たちはお前を助けても、見放すことはしない。気楽に行こうぜ!はっはっは!」


暖かい人たちだな、そう思った。そして、この人たちとの生活が、僕の記憶に残る中で、初めての所謂〈家族〉だった。バロさんは家族のいなかった僕に気を使ってそういうことは言わない人だったから、家族という言葉を使ってくれるのは、新鮮で嬉しかった。


 それから僕は身体が動かせるようになるまで、しばらくベッドの上での生活を強いられた。ベッドの上での生活は退屈だったが、食事は彼女が食べさせてくれたし、少し恥ずかしかったが風呂に入ることが出来ない僕の体を拭いてくれた。彼女に余裕がある時は、二人でよく話をした。椅子に座って話してくれる彼女は父に似て気さくで、彼女がいなければ生活もままならないと思うと本当にぞっとした。話していて分かったが、彼女は数年前に流行り病で母を亡くしているようだった。そして、幼い頃から父の道場で稽古を付けてもらっているらしく、柔術剣術共にかなりの腕前だということも分かった。しかし当の本人はそのことをあまりよくは思っていないらしかった。


「私、ほんとはこうやって誰かのお世話とかしてる方が好きなんだけどね」

「そうなんだ、確かにクロエは楽しそうだね」

僕がそう指摘したように、僕の看病をする彼女の表情は心なしか普段よりも生き生きとしている気がした。

「そう、見える…?うん!そうなんだ!私のしたことが誰かの助けになれる感じが好きなの。だから将来はお医者さんになりたいんだ!」


楽しそうに語るクロエの思いに、どうしてだかアイネの姿を投影してしまった。

「…クロエは優しいし、なれると思うよ」

「えへへ、ありがとうね」

嬉しそうに笑う彼女を見て、少し心が騒めいた。

「やっぱり君は…」

「帰ったぞー!」

「あ、パパおかえりー。夕飯の準備、できてるよ」

「おう!いつもありがとう!すまないな、最近碌に稽古をつけてやれなくて」

「…いいの。気にしないで。それより今日もご飯食べたら出かけるの?」

「…ああ、すまないな。今日も師団会議だ。俺がいなくちゃ話にならないからな」

ランスは最近忙しそうだ。僕がここに運ばれてくる前までは、家にいることが多かったそうだが、最近は食事の時間以外はほとんどの時間家を空けている。実際僕も彼の姿を見ることは少なかった。食事の時に帰ってきて、少しだけ僕の顔を見たり、そうじゃない日もあったり。そんな感じだった。クロエの話によると、彼は道場の師範をする傍ら、この地方の自警団の師団長をしているそうで、近辺での異常現象の対応に追われているそうだ。


「クライネも、ずいぶん回復したみたいだな!」

「そうそう、あともうちょっとでちゃんと歩けるようになりそうだよ」

「本当か!そりゃあよかったな、クライネ!」

「うん、二人とも本当にありがとう」


言いかけた言葉は、誰にも気づかれなかったので、そのまま置いておくことにした。

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アイネ・クライネ・ナハトムジーク 鍛治谷 彗 @natukaze_novel

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