第29話 最終章.2
あれから数ヶ月後。季節は春になった。
「パレス、すごく素敵よ」
「それを言うなら、リリーアンのほうがずっとずっと綺麗よ」
狭い寮の部屋は、ボリュームのあるドレスを着た私とパレスでいっぱい。
ベッドやチェストは部屋の隅においやり、できるだけスペースを作ったというのに、気をつけなければお互いのドレスを踏んでしまいそう。
今夜開かれる夜会に出席するため、私の部屋でお互いを着飾りあっているけれど、つい数日前までは目も回るような忙しさだった。
騎士団がシードラン副団長を捕縛し、罪を連ねた供述書を作ったのはそれから数時間後のこと。
それを持って、私達は各領地へと馬車を走らせた。
領主は王太子のパレードで全員王都に集まっていたため、書類を隠したり処分する間もない。
私達を出迎えた執事や使用人は顔を青くしおろおろするばかり。
なかには「主人がいないときに勝手なことはできない」と頑なに首を振る強者もいたけれど、国王陛下の印が押されている証書を見せれば引かざるを得ない。
使用人の中には税率を偽っていたことを知っている者もいて、証拠を隠されそうになったりとすべてが順調にいったわけではないけれど、最終的には大量の不正の証拠を持って帰ることができた。
できたのはいいけれど、そこからが大変。
まずは領民から徴収した税がいくらかになるかを調べ、それと国へ届け出た金額を比べ、いくら横領したかを計算しなくてはいけない。
符合する年もあれば、そうでない年もあったりで、二十年遡り確認することになった。
突合する項目は多種多様に及び、目も頭も痛い。
私達が必死で、それこそカンテラの灯を頼りに膨大な数字と格闘している間、騎士によって軟禁状態になった領主達は脂汗を流していたそうだ。
すべてが終わり、まとめ上げた書類を宰相様が議会に挙げたのが一昨日。
昨日には騎士団が軟禁していた領主含め、不正に加担した使用人を捕縛した。
捕まった領主は六人。領地持ちの貴族の数が四十名なので、約七分の一に当たる数だ。
我が国には三大公爵についで五大侯爵がいる。
その一人がシードラン副団長の実家のドラフォス侯爵家。
どうやら今回のことは、ドラフォス侯爵家が自分の派閥を増やし、貴族議会においての地位を高めるのが目的だったらしい。
美味しい話――税金の横領の仕方を教える代わりに、自分の派閥に入るよう貴族を囲っていったようだ。
現ドラフォス侯爵様はシードラン副団長のお父様。
高齢のため数年後には息子に爵位を継がせるつもりだったようで、それまでにドラフォス侯爵家の地位を確固たるものにしたかったのが理由。
ちなみに、宰相様のご実家であるサイテル侯爵家と、騎士団長のバーディア侯爵家は、五大侯爵の中でも頭ひとつ飛び抜けていて、三大公爵家に次ぐお立場。この二つの侯爵家に対抗したかったのではないか、というのが騎士団の見解だ。
罪を犯したドラフォス侯爵家については、今回の犯罪に加担していなかった親族が継ぐことになった。
そのほかの領地についても、同じように縁戚が継いだり、隣地の貴族領に吸収されることが決まっている。
そして今回の税率改ざんについて、どうして前任者は気づかなかったのか、というのもひとつの争点となった。
前任者の女性文官の実家が税率改ざんに関わっていたことは判明したけれど、彼女はそれについて深くは知らなかったらしい。
ただ、納税に関して不審な点が見つかれば、宰相様に報告する前に実父に伝えるよう念押しされていたという。
そのことにずっと不信感を抱いていた彼女は、子供ができたのを理由に文官を辞めることにした。正義感の強い方で、父親の命令と良心の呵責に苦しんでいた、というのは彼女と会った宰相様から聞いた話だ。
彼女の嫁ぎ先が国防の要である辺境伯家で、夫である辺境伯からの口添えもあり前任者についてはお咎めなしということになった。
辺境伯に対して「愛妻を助けた」という恩を売る形で話を着地させたそうだ。
そんな濃密な数ヶ月を、閉ざされた部屋で書類を睨めっこして過ごした私は、今夜いきなり煌びやかな世界に放り込まれてちょっと……いえ、かなり戸惑っている。
着飾った私達を迎えに来た馬車に乗って辿り着いたのは、バーディア侯爵邸。
国政がバタバタしていたせいで遅れてしまったけれど、今日の夜会はルージェックがバーディア侯爵の養子となったことをお披露目するために開かれたもの。
広いバーディア侯爵邸の一角にある夜会専用の会場は、お城のものよりは少し小さいけれど煌びやかさは負けていない。
開けられた扉の向こうに見えるのは、大きく繊細な造りをしたシャンデリア。
灯された光がクリスタルをキラキラと輝かせ、大きな窓には見惚れるような彫り物がされている。花瓶には大輪の薔薇が活けられていた。
それらを背景に、私を見つけたルージェックが大理石の床をカツカツと鳴らしながら近づいてきた。豪奢な背景も相まって、いつもよりキラキラが増すその顔が眩しい。
「迎えにいけなくてごめん。とても綺麗だよ。リリーアン」
「ありがとう。また、ドレスを贈ってもらえるなんて思わなかったから驚いたわ」
この前もらったドレスで充分なのに。
夜会の日程が一ヶ月以上前に決まったこともあり、ルージェックは今度はオーダーメイドで私にドレスを仕立ててくれた。
決闘から半年たち、そろそろ婚約者の振りもやめていい頃なのに。
それに、このドレス、前回よりもずっと華やかで豪奢なのだ。
そもそも生地が外国から取り寄せた珍しいもので、動く度にライトグリーンの生地がオーロラのように色を変える。オフショルダーの胸元は小さなダイアで縁取られ、段違いにあしらわれたフリルが華やかさを演出している。
明らかに衣装負けしているのに、ルージェックは私を見て嬉しそうに目を細めた。
その笑顔に、勝手に鼓動が早くなってしまう。
「ねぇ、ルージェック。私にはなんの一言もないのかしら」
「ああ、パレスいたのか。オリバー様は少し遅れてこられるそうだ」
「いたわよっ! 仕事が忙しいらしく、自分が来るまではリリーアンと一緒にいるようにって念を押されたわ」
半目でルージェックを睨むパレスに、ルージェックは肩を竦め笑った。
こうしていると学生時代に戻ったようだ。
私達は広間に入り、ルージェックの案内で食事が並ぶテーブルへ案内された。
「俺は義父と挨拶周りをしてくるからここで食べながら待っていて欲しい。そのうちオリバー様も来られるだろう」
「ええ。分かったわ。私達のことは気にしないで」
「ちゃんとリリーアンを守っておくから、安心していってらっしゃい」
もう私は命を狙われていないはずなのだけれど。
首を傾げた私に、パレスは「まだその段階なの?」と呆れながらお皿を手渡してくれた。
テーブルには小さくカットされたケーキにプディング、マドレーヌやドライフルーツ。おまけに目の前にはプチシュークリームのタワー! なんて素敵な眺めなの。
頭を使い過ぎて糖分不足の私の目には、すべてのデザートが輝いて見えた。
それらを少しずつお皿にとって、パレスとお喋りしながら食べるのは本当に幸せで。疲れた身体に甘味が染み入ってくる。
頬に手を当て堪能する私を、遠くからルージェックが眺めていたなんて気づけるはずもなく、私はただ、甘味を摂取することに夢中になっていた。
やがて正装姿のオリバー様がやってきた。
騎士の正装はお城で行われる式典や夜会のみで着用される。今夜のオリバー様は濃紺の夜会服姿。それでもその立派な体躯からひと目で騎士と分かるけれど。
三人で乾杯し、一杯目のグラスを飲み終えた頃、やっとルージェックが戻ってきた。
「疲れた。俺も一杯もらっていい?」
そう言うと、ルージェックは傍を通った給仕係からグラスを受け取り、一気に飲み干した。少々マナー違反な気もするけれど、それだけ緊張したということでしょう。
給仕係にグラスを渡したところで、音楽が流れ始める。
当然のようにオリバー様はパレスを誘い、広間の中央に向かった。
「リリーアン、俺達も踊ろう」
「でも、ちょっと休憩したいんじゃないの?」
「かまわない。リリーアンをファーストダンスに誘いたくて戻ってきたんだから」
整った顔で甘く微笑まれ、頬を染めない令嬢がいたら見てみたい。
急に火照り始めた顔を俯け、私はその言葉の意味をどうしても考えてしまう。
そんな私の様子にルージェックは笑みを深めると、手を差し出してきた。
おずおずと重ねれば。
「えっ、ルージェックどこに行くの?」
てっきり広間の中央へ進むと思っていたのに、ルージェックは踵を返すと人の流れに逆らうように扉へと向かい、そのまま庭へと足を運んだ。
夜空に浮かぶのは満月。海で見た月をぷっくりと膨らませたそれは静かに庭を照らしていた。
開けられた窓から流れる音楽に身をゆだねるようにルージェックがステップを踏み始め、私もそのリードに合わせるよう踊り始めた。
「今日の主役が広間で踊らなくていいの?」
広間を出て行く私達に向けられた視線は幾つもあった。ルージェックだってそのことに気が付いているはずだ。
「仕方ないだろう。可愛く頬を染めるリリーアンを誰にも見せたくないと思ってしまったんだから」
さらりと落とされた言葉に、私の心臓がどんどん早くなっていく。
その言葉に、どうしたって期待をしてしまう。
もしかしたらルージェックも私と同じ気持ちなのだろうかと。
「やっと仕事が一段落したな」
「ええ。本当に忙しかったわ」
「……カージャスについては聞いたか?」
うん、と私は頷く。
カージャスは誘拐の罪で三年間の禁固刑にふすことになった。貴族としても身分も剥奪され、当然騎士団は首になった。
カージャスの事情聴取を担当したのは、オリバー様。
その取り調べでカージャスは、シードラン副団長に利用されたことを初めて知った。
「孤立し悪評のあるカージャスに全ての罪を押し付けるつもりだった」、と聞かされたカージャスのショックは相当なものだったらしく、三日間何も食べず話さず項垂れた後、やっとその事実を受け止めたらしい。
「カージャスのお父様も、伯爵家の騎士団長を辞めたとお父様から聞いたわ」
「これからどうするんだ?」
「異国に知り合いがいるらしく、その方の伝手で裕福な商人の護衛をされるそうよ」
爵位は弟に譲ったと聞いた。カージャスの罪は誘拐だけなので父親まで騎士位を捨てる必要はないのだけれど、なんとなくハリストウッド様らしい決断だと思った。
「そうか。それでは全部解決したということだな、残るは俺達の問題だけだ」
「そうね、周りの人達はいまだに私達が婚約する、いえ、婚約したと思っているわ」
タブロイド紙のおかげで決闘の勝敗は、王都を越え周辺の領地まで届いている。
勝者ルージェックはリリーアンに求婚し、リリーアンはそれに答えたというのがまるで事実であるかのように一人歩きしていた。
そこまで考え、もしかしてと思う。
「広間で踊らなかったのは、私とダンスをしているのを見られ、誤解がさらに深まるのを避けるためだったりする?」
侯爵令息となったルージェックにはすでに縁談話がきているかもしれない。
そんな思いで聞いてみれば、ルージェックは足を止めて大きく首を振った。
「そんなわけない! 俺は本当に……リリーアンが」
そこまで言うと、ルージェックは私から手を離し一歩下がった。
そして、あろうことか、ゆっくりと片膝を地面につけたのだ。
「もう一度。今度こそ正式に申し込ませてくれ。俺と結婚して欲しい」
「! ルージェック……あの、これは」
「これは演技じゃないよ。リリーアン、ずっと好きだった。カージャスと婚約していると聞いても諦められず、一緒に住み始めたと知ったときは嫉妬でどうにかなりそうだった。それでも、リリーアンが幸せなら身を引こうと思っていたけれど、どんどん笑顔が無くなる姿を見て、俺の手で幸せにしたいと思った」
「じゃ、あの決闘は?」
「本心だよ。でも、あのタイミングで求婚してもいい返事は貰えないだろうから『仮』ということにした。散々『仲の良い婚約者の振りをしよう』と言ったけれど、俺がリリーアンに触れたかっただけだ」
あけすけな告白に目をパチクリする私に、ルージェックはクツクツと笑う。
「……じゃ、婚約者らしく手を繋ごうと言ったのは?」
「リリーアンと手を繋いで街を歩きたかったから」
「ドレスをくれたのは?」
「俺の色を身に着けたリリーアンを見たかったから。今日のドレスも気に入ってくれると嬉しい」
私はコクコクと頷く。ドレスはとても気に入っている。
でも、ちょっと待って。えっ、ということは。
「髪に口付けをされたこともあったわ」
「あれはつい」
「つい?」
「俺の言葉に素直に頷くリリーアンが可愛すぎて、ちょっと理性がぐらついた」
ボンッと顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。
理性がぐらつくって。品行方正でいつも紳士的なルージェックからそんな言葉が出るなんて思いもしなかった。
口をパクパクさせる私にルージェックはさらに笑みを深くさせると、「それで」と出していた手をさらにこちらに伸ばした。
「この姿勢、意外と大変なのでそろそろ返事が欲しいんだけれど?」
「あっ、ごめんなさい。あの。私でよければ……ルージェックの傍にいさせてください」
少し慌てながら手袋をはずし、差し出された手のひらに重ねる。
ルージェックは素肌がむき出しとなった私の指先に視線を落とすと、そっと唇を近づけキスをした。誓いのキスだ。
おとぎ話のような光景に自分が迷い込んだ気がした。
ルージェックが私をずっと思ってくれていたなんて。
あの決闘が本心だったということに、喜びがこみ上げてくる。
夢見心地で、月の光の下で輝くライトブランの髪を見ていると、顔をあげたルージェックと目が合った。
その切れ長の目が細められ、立ち上がったかと思うと同時に、私はルージェックの腕の中にいた。
「ちょ、ルージェック?」
「リリーアン、できればもう一言欲しいんだけれど」
「えっ?」
これ以上何を? と戸惑う私の耳元で、ルージェックは「愛している」と囁いた。
耳に掛かる息と甘い言葉に、顔どころか全身が熱くなってくる。
それと同時に、触れている部分からルージェックの速い鼓動が伝わってきた。
緊張しているのはルージェックも一緒なんだ。
むしろ不安が交じっている分、私より鼓動が速いかもしれない。
なんだか、急に愛おしさがこみ上げてきて、私は両腕をその逞しい背中に回した。
「私も愛している」
ちょっと声が震えたところは多めにみて欲しい。これで精いっぱいなのだから。
ルージェックの身体がピクリと動いたあと、さらに強く抱きしめられた。
「やばっ。俺、今、最高に幸せかも」
初めて聞く弾む声。少し胸を押し身体を離して見上げれば、満面の笑みを浮かべたルージェックがそこにいた。
こんな無邪気な顔を見るのも初めてで、なんだか私まで嬉しくなってくる。
「ふふ、私も幸せよ」
つられて笑うと、コツンと額が当たった。息がかかるほど近くにある整った顔に、呼吸の仕方を忘れそう。
「これから広間に戻って、もう一曲踊ってくれる?」
二曲続けて踊るのは、婚約者、もしくは夫婦の特権。
「もちろん、喜んで」
「できれば、その足で義父に求婚を受け入れてもらったと伝えにいきたい」
「……なんだか外堀を埋められているように感じるのは気のせいかしら?」
うん、とちょっと眉根を寄せる私から顔を離すと、ルージェックはいたずらっぽく濃紺の瞳を細めた。
「今ごろ気が付いたのかい? そんなの、もう随分前からだよ」
離れた顔が再び近づいてきた。
今度触れたのは額ではない。
熱い唇が私の口をふさぎ、吐息ごと飲み込む。
腰に回された腕に力が入り、私はその熱に飲み込まれないようルージェックの上着を掴んだ。
月明かりの下、再び音楽が流れてきた。
どうやら、二曲目には間に合わないみたい。
その温もりに身をゆだねつつ、私の心は優しさに癒されていくのだった。
私はあなたの癒しの道具ではありません 琴乃葉 @kotonoha_m
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