第28話 最終章.1
※※
誰もいない部屋。
窓から見える太陽はまだ真上ではないものの、充分な日差しが室内に入り込んでいた。
寮に住んでいるのは全員が侍女や文官として働いている女性。だから、普段、この時間に寮に残っているのは休日の者だけだ。
のんびりと朝食を摂ったり、街へ行く準備をしたり、まだ寝ていたりと過ごし方は様々だけれど、それでも何かしらの生活音が薄い壁の向こうから漏れてくる時間帯。
でも、この日は違った。
運良く今日が休日だった者はこぞって早起きをし、街へと繰り出した。
もちろんいい場所でパレードを見るためで、寮母だけが一人割りを食った顔で残っている。
机に肘をつきながら、もう片方の手に持った布巾でやる気なさそうにテーブルを拭いていた寮母の前に一人の男が現れ、一時間ほど出かけてはどうかと言ったのはついさっきのこと。
恐れ多い方からの言葉に背筋をピンとさせ首を振った寮母に、男は「自分は城内の警備を任されたからこれも仕事だ」と目を細め笑った。
最近あった不審者騒動ですっかり顔馴染みとなっていた寮母は恐縮しながらも、必ず一時間で戻りますからと言って弾むような足取りで寮を出て行った。
そして、誰もいなくなった寮で今、ゴソゴソと机の引き出しを漁っているのがその男だ。
暖炉ではその男が起こした火が薪をパチパチと爆ぜさせていた。
普段は温和で知られるその顔は冷たく、引き出しを開けては閉めて繰り返す。
目当てのものが見つからなかったのか、八つ当たりをするかのように机を蹴った。
そのせいで机の上にあったインク瓶が倒れ床に黒いシミを作る。
男はチッと舌打ちし眉を顰めるも、この部屋の持ち主はもう帰ることがないのだからとそのままにして、今度はベッド脇にある小さなチェストの引き出しに手をかけた。
ガタガタと強引に開けると、チェストの上に乗っていたカンテラが床に転がる。
もちろんそれも無視して引き出しを開けると、中には小さなボックスがあった。
明らかに宝石箱に見えるそれには小さな引き出しが三段あり、アクセサリーが幾つか入っていた。
令嬢にしては少ない。
そのくせギョッとするほど高価なサファイアが場違いのように紛れていた。
男はそれらに目もくれずさらに引き出しを開け、一番最後の段に入っていたものを見つけると口角を上げた。
白い布包みを取り出し手のひらにおき布の上から触ると、明らかに宝石とは違う手触りがする。
ゴツゴツとした感触。石やドングリと思われるその形に、男の笑みが深くなる。
その包みを解こうと手をかけた時だ。
「どうしてここに……」
か細い声が開けられた扉から聞こえてきた。
※※
海岸から戻ってきた私は自分の部屋の前で深呼吸をする。
大丈夫、大丈夫と数回息を吐いてから扉を開けると、私の部屋に不釣り合いな大きな背中へと声を掛けた。
「どうしてここに、――シードラン副団長がいらっしゃるのですか?」
ビクっと大きな体が揺れ、振り返ったその顔にいつもの柔和な笑みはなかった。
信じられないと目を丸くしてこちらを見ている。
「き、君は。どうしてここに……今頃は……」
「私の部屋ですから。シードラン副団長こそ、なぜ私の部屋に? 寮母さんの姿が見えませんでしたが、ご存知ですか?」
震える足を誤魔化すように一歩だけ前に踏み込む。
もちろん扉は開けたままにしてある。
「寮母は少しだけパレードを見に行った。代わりに俺が留守を預かっている。パレード中は城内の警備がどうしても手薄になるから、この前の不審者騒動のようなことがまたあってはいけないと、各建物を調べている最中だ」
「ただの侍女の部屋の引き出しをシードラン副団長自らですか? それはさすがに無理があると思います。それからさっき『今頃』と仰いましたが、今頃私はどうしたというのでしょうか?」
できるだけ声が上擦らないように、喉に力をいれる。
ここをうまく乗り切らなくてはと、緊張で浅くなる呼吸を必死に抑えた。
「……君こそ仕事はどうした。テオフィリン様の侍女がこんなところにいてよいのか?」
「浜辺で襲われ気がついたら海の上でした。運良く戻って来れたところです」
少々割愛はしているけれど、嘘じゃない。
会話を続けながら、私はシードラン副団長が手にしている布包みに視線を向けた。
やはりそれが目的だったようだ。
「もしそれが本当なら犯人を見つけなくてはいけないな。どんな奴だった? 顔は見たか?」
「顔は見ていませんが、犯人はカージャスです。すべて話してくれました」
私の言葉にシードラン副団長は分かりやすく眉を下げ同情の眼差しを向けてきた。
「彼には宰相殿の部屋に忍び込んだ容疑で謹慎を下しているのだが、破って外に出たんだな。分かった、それについてはこちらで処分をする。まさかこれほど非道なことをする奴だとは思っていなかった」
監督不行届だと自分を責めるような言葉を口にし、頭まで下げる。
でも、私はシードラン副団長が一連の動作に紛れるように布包みをポケットに入れたのを見逃さなかった。
ここにくる前に、私はカージャスと住んでいたかつての家を訪ねた。
カージャスは私が無事だったことに安心し、そして初めて本心から私に謝罪してくれた。
自分のせいで私が死にかけたことが、相応ショックだったらしい。
ルージェックが躊躇なく小船に乗って夜の海に漕ぎ出す姿を見て、立ち尽くすことしかできない自分の不甲斐なさに打ちのめされたそうだ。
いつの間にか私に尽くしてもらうのが当たり前になって、一生傍にいるものだと信じ、婚約解消も単なる気の迷いだと本気にしなかった。
でも、とうとう婚約解消の証明書が届き諦めるべきか、と思っていたところにシードラン副団長が訪れ励ましてくれたと言う。
――そう、少なくともカージャスは、励ましと受け取っていた。今もそう思っている。
私を癒しの道具かのように思っていた彼が、全ての罪を背負う道具のように扱われていたことに、奇妙な因果応報を感じてしまった。
「カージャスは、シードラン副団長から悪質な睡眠薬の存在や私とルージェックが出かけることを聞いたと言っていました」
「そんな話もしたかもしれんが、単なる世間話のひとつだ」
「ええ、そうですね。その話を聞いたカージャスが何をしたとしてもシードラン副団長は会話をしただけ。捜査に関することを謹慎中の部下に話したのは多少問題になるかも知れないですが、大ごとにはなりません」
カージャス自身が、シードラン副団長は自分を気遣い話し相手になってくれたと信じている。
そういえば、昔から財力や権力など分かりやすいもので人を判断していたような気もする。
自身がマリオネットになっていたことに気がついていない姿に、同情を覚えた。
「シードラン副団長は励ます振りをしながら、カージャスを唆し、私を連れ去るよう誘導した。そして、もし悪事がバレてもカージャス一人が罪を被るよう画策した」
「ふっ、どうしたんだ、突然。いいがかりも甚だしい」
騎士団の飴の役割もしていたシードラン副団長が、謹慎処分となった部下を訪れることに疑問を感じる人はいないでしょう。
カージャスが罪を認めたあと、俺のせいだと項垂れて見せれば、周りは「そんなことない。あれはカージャスが悪いんだ」と同情するに違いない。
あくまでも「悪いのはシードラン副団長から聞いた話をもとに悪事を企んだカージャス」という筋書きだ。
シードラン副団長は口角だけ上げた奇妙な作り笑いで私を見据える。
左手はさっき小袋を入れたポケットを押さえていた。
「そしてカージャスが私を小船に乗せたのを確認すると、桟橋と繋いでいた縄を切り、小船を沖に向かわせた」
「俺が君の命を狙う理由はどこにもない」
「理由ならあります。金の釦です。あれが騎士の正装についているものだと思い出しました。テオフィリン様が拾ったのは不審者が飛び降りた窓の下。あの夜に落とされたものに間違いありません。そして私が金の釦を持っていると知っているのは、テオフィリン様と私以外に副団長だけです」
不審者騒動の次の日、私は確かに「金の釦をテオフィリン様から頂いた」とシードラン副団長に話をした。
トラウザーズのポケットを上から握りしめている左手を指差す。釦が騎士の正装だと教えてくれたのはルージェックだけれど、ここではそのことを伏せることにした。
騎士の正装に付けられている釦は特別なもので、騎士団を通して工房に発注する必要がある。身分を表す重要なものだから無くせば始末書ものらしい。
「わざわざパレードの合間に侍女の部屋に入り、引き出しから釦を盗んだことこそが、シードラン副団長があの不審者という証拠です。私を狙ったのも口封じのためと考えられます」
釦の持ち主を見つけるのはそう難いことではない。全員に正装を持ってこさせればよいだけだ。
「ちなみに、釦には剣でできた傷もついていました。不審者捜索中に落としたという言い訳は難しいと思います」
最後のはハッタリ。
証拠は釦ひとつ。どうしても本人から言質をとりたい。
「……まさかそれをテオフィリン様が拾うとはな。しかも侍女に渡すとは」
チッと舌打ちが聞こえた。
認めた! 思わず上がりそうな口角を慌てて引き締め、私は言葉を続けた。
「では不審者は自分だと認めるのですね」
「そうだな」
やった、と拳を胸の前で握ったときだ。
シードラン副団長は徐に振り返ると、暖炉の中にポケットから出した布包みを放り込んだ。
布がボワっと燃え上がり、中のものが炎の奥に黒いシルエットとして映る。
金は燃えないけれど溶ければ刻印が分からなくなってしまう。
「はは、これで証拠は何もない。せっかく海から戻ってきたところ悪いが、今度はとどめをしっかり刺すか」
そう言ってシードラン副団長は剣を抜くと、私に切り掛かってきた。
こうなることを予想しなかったわけではない。
それなのに、迫ってくる姿に腰が引け足が動かない。自分に対して向けられた明確な殺意が私の足を床に縫い付けた。
「リリーアン、しゃがめ!!」
その声にハッとし頭を抱えて床にしゃがみ込むと、頭上でカキンと金属がぶつかる音がした。
意表を突かれたように副団長の顔に驚きが浮かぶも、すぐに頭を切り替えたようで、飛び出してきたルージェックをニヤリと見やる。
「俺に勝てると思っているのか?」
剣を握る腕にさらに力を込め、ルージェックをギリギリと押し込んでいく。
シードラン副団長のほうが頭ひとつ分背が高い上に、腕力には大きな差がある。
必死な行相のルージェックに対し、副団長は笑みを浮かべる余裕すらあった。
「宰相様の部屋にあった資料を燃やしたのはあなたですね。もう言い逃れはできませよ」
「証拠は? 釦はもうない。あるのはそこの女の推測とカージャスの戯言だけだ」
ガッと鈍い音がしてルージェックが剣を払いのけた。それにはシードラン副団長も眉を上げる。でも、相変わらず余裕があるようで、フッと肩を上げ笑いを零す。
「いい腕だ。騎士団にくるか?」
「義父にも誘われましたが、お断りします。それに最初からあなたに勝てるとは思っていません」
ルージェックが背後を見やると複数の騎士が現れた。
その中には騎士団長やオリバー様の姿もある。
「無防備のままリリーアンを部屋に入れるわけないでしょう。リリーアンを助けたのは俺です。ここに来る前に義父に会い、リリーアンがパレードに行けないこともテオフィリン様に伝えています」
私とルージェックはまっすぐこの部屋にきたわけではない。
バーディア侯爵邸へ行き事情を説明し、きちんと根回しをしてから来た。
私の部屋にいるシードラン副団長を、すぐに騎士が取り押さえることもできたのだけれど、金の釦が副団長のものだという確かな証拠が欲しかった。
シードラン副団長の狙いは特定の領地の書類を燃やすこと。
シードラン副団長捕縛後すぐにそれらの領地に踏み込まなければ、税率改ざんの証拠を揉み消される恐れがある。
騎士全員に正装を持って来させ消去法で釦の持ち主がシードラン副団長だと分かったとしても、落としただの失くしただの言い訳されたり、黙秘されることもある。
犯人だと断定するのに時間を取られれば税率改ざんの証拠が隠蔽され手に入らなくなるかもしれない。
そこで、私ひとりなら油断して本当のことを言うかも知れないと考えた。
小娘相手なら誤魔化し切り抜けるより、全部話して証拠隠滅――この場合私も含めて――のほうが、シードラン副団長には簡単で安全だろうから。
ルージェックは最後まで反対していたけれど、私が頑なにその役割を譲らなかったので、危ない時はすぐにかけこむという約束で納得してもらった。
「俺を嵌めたのか。いや、だが証拠はもう火の中。今頃は溶けて……」
「証拠ならここにありますよ」
私はポケットから刻印の入った金の釦を取り出し、それが分かるように副団長に見せた。
ルージェックが現れた時よりも驚いた顔で私の手にある小さな釦と暖炉を交互に見る。
「不審者騒ぎの翌日、私が庭でシードラン副団長にお会いしたときに話した『テオフィリン様から頂いた金の釦』は女性のワンピースで一般的に使用されるものです」
不審者が飛び降りた窓の下にある庭先で、あれやこれと拾うテオフィリン様を見たシードラン副団長は焦ったことでしょう。
さらに、私に「金の釦を貰った」と言われては、昨日落とした自分の釦と勘違いしたのも頷ける。
カージャスに濡れ衣を着せ、謹慎処分にしたのもおそらく副団長。孤立したカージャスに接近し、唆し、利用して私を海に流したあと釦を取り返そうとした。
もし、カージャスのしたことがバレてもシードラン副団長にお咎めはない。
完璧な計画だ。
だけれど、実際に私が刻印入りの金の釦を貰ったのはパレードの前日。昨日のこと。
もちろん釦はベッド横のチェストになく、ずっと私のポケットの中だ。
「話はゆっくり聞こう。おい、シードランを連れていけ」
騎士団長の声にオリバー様が真っ先に動き、シードラン副団長の手を取った。
私とルージェックは連れ去られるシードラン副団長の後ろ姿を寮の前で見送った。
「……無茶をしすぎだ」
「ごめんなさい。背後にルージェックや騎士がいると分かっていても怖かったわ。助けてくれてありがとう。それにしても、あのシードラン副団長に力負けしないなんてすごいわ」
逞しいけれど痩身のどこにあれほどの力があったのかと思う。
するとルージェックは私の頭をポンと叩き、コツンと額をつけてきた。軽い痛みが触れた場所に走り、熱をもつ。
「背後にリリーアンがいるのに、膝をつくなんてできないだろう」
「あ、あの……」
「本当に良かった、無事で」
伝わる熱がどんどん高くなっていく。
ちょっと動いたら触れそうな位置にある唇に私が身動きできないでいると、先にルージェックが動いてくれた。
「いろいろ浸りたいところだが、俺達の仕事はここからだ」
うん、と私は真っ赤な顔のままで頷く。
シードラン副団長の実家であるドラフォス侯爵家が税率改ざんに関わっていたのは確実。
おそらく、ドラフォス侯爵家と懇意にしていた貴族にこの方法を教えて、いくらかマージンを受け取っていたと思われる。
燃えた書類に書かれていた貴族の屋敷を捜索して、あらゆる書類から税率の不正とお金の流れを調べる。
そうすれば、どこかにドラフォス侯爵と繋がるものが見つかるはず。
宰相様の耳にも今回のことは全て伝わっていて、私はテオフィリン様の侍女から宰相様付きの侍女へと戻ることになっている。
なにせ、人手が足りない。
私とルージェックは宰相様の部屋へ急ぐことにした。
きっと今頃、先輩文官達達が誰がどの屋敷に踏み込むか段取りをしているはず。
そしてそのメンバーに私も入っている。
ふぅ、と小さく息を吐き気を引き締める私の隣で、ルージェックも同じように表情を引き締めてた。
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