第27話誕生祭.7


 潮が引き、道が現れたのはすべて話し終え間もなくのこと。少し蛇行しながら続くその道は、月の光を受け輝いているように見えた。

 ルージェックが砂を火にかけ最後に靴で踏む。


「行こう。足が痛いんだろう。背負ってあげるよ」

「そんな。砂浜だし裸足で歩くわ」

「海の底にあった道だ。貝や珊瑚、石がごろごろしているかもしれない。それにさっき言っただろう、リリーアンは羽根のように軽いって」

「……嘘だとも言ったわ」


 ぷぅ、と頬を膨らませる私に背を向けるように、ルージェックはしゃがんだ。その姿勢で「ほら、早く」と言われ、迷いつつも背に身体を預ける。


 危なげもなく立ち上がったルージェックはそのまま道へと向かう。

 道は近くで見ると三センチほど海水に浸かっているけれど、充分に歩いていけそうだ。


 貝や珊瑚がところどころにあり、石交じりの砂は浜辺のものと違い粒が大きい。


 ルージェックが足を一歩踏み出すと、その靴底が淡く青色に光った。

 一歩、また一歩と進むごとに、青く輝き消えていく。


「何これ。すごく綺麗」

「この島周辺にだけ生息する海藻の中には、月の光で輝くものがある。正確には海藻が光っているんじゃなくて、その海藻を好んで住処にしている微生物が光るらしいんだけれど」


 ルージェックが歩くたびに、その微生物が反応しているらしい。

 まるで青く輝く海面を歩いているようなその光景は、すごく神秘的だ。


 青く光ってはすぐに消える。その光に驚いたのかヤドカリが慌てて逃げだし、すぐ横の水面では魚が跳ねた。


 ポチャ、ザクッ、とルージェックの足が水に入り、底にある砂を踏む音が同じテンポを刻む。その音に、波の音が重なるのが心地よく、いつまでも聞いていたくなるほどだ。


 こんな状況なのに呑気だなと自分でも呆れるけれど、ルージェックの背中は暖かく彼がいれば平気だと思えた。


「すごいな、海の上を歩いているようだ」

「ふふ、私も同じことを思ったわ」

「これは中々できない経験だな」


 海面ばかりを見ていたけれど、見上げれば雲一つない空に半月が浮かび、星が落ちてきそうなほど輝いていた。


 海藻があるのは島の周りだけ。半分ほど来たところで、青い光は弱くなりやがて見えなくなってしまった。


 それと同時に波の音がさっきより大きくなってきた。潮が満ちてきたようだ。


「私、歩くわ」

「大丈夫。このペースでいけば問題ないよ」


 そう言いながらも、さっきより歩くスピ―ドが早くなる。


「ルージェックには迷惑をかけっぱなしね。陸に戻ったらお礼をさせて」

「それは楽しみだな。何を頼もうか」

「何でもいいわよ! 流行のカフェでも有名店でも何でもごちそうするわ」

「ぶはっ、食べ物限定か。そういえばリリーアンはいつも美味しそうに食事をするな」


 噴き出した上に、まるで私が食いしん坊なように言われてしまった。さらに「絶対リリーアンが食べたいだけだろう」と肩を揺らして笑うものだから、背負われている私の身体までぐらぐらしてしまう。


「もう笑いすぎ。それなら何がいい? なんでもするわ」

「……そのセリフ、頼むから俺以外の男に言わないでくれよな」


 今度は盛大なため息を漏らされた。

 ポチャッ、ザクッとルージェックが進む音だけが暫く続いたあと、ちょっと掠れた「じゃぁ」という声が波音と一緒に聞こえた。

 

「頬へのキス」

「えっ?」

「何でもいいって言っただろう。それに本来、決闘での勝者にはキスが贈られるはずなのに、俺はまだもらっていない」


 それは、あの決闘が偽りだから。

  それなのにそんなことを言われると……揶揄われているのだろうけれどまるで本物の決闘だったように勘違いしてしまう。


「そ、それは……」

「あっ、まずいな。海水がふくらはぎまできた。走るから捕まって」

「えっ?」


 いつの間にか、水面がかなり上がっていた。

 振り返ると後に道はなく、真っ黒な海が広がっている。


 スピードを上げるルージェックの首にしがみつく。

 どんどん迫る波の音に急き立てられるけれど、砂浜はもうすぐそこだ。

 私達はなだれ込むように砂浜に倒れ込むと、ルージェックは私から手を離し仰向けに寝返った。

 

 はぁはぁ、と吐かれた白い息が夜の闇に消えていく。

 上下する胸と、冬なのに流れる汗。私を背負ったまま、膝下まである海水を掻き分け走るのは大変だったと思う。


「ありがとう」

「間に合った。良かった。濡れていないか?」

「ええ。私は大丈夫だけれどルージェックはびしょ濡れだわ。近くにある騎士の詰め所に行きましょう。深夜だけれど誰かいるはずだわ」

「深夜というより、もう明け方だな」


 ほら、と寝転んだままルージェックが空を指差す。

 指先を辿れば海とは反対側の空がぼんやりと白んできている。いつの間にか星も見えなくなっていた。


「眠る時間はなさそうだが、パレードには間に合うだろう」

「ええ。こう見えて、私体力があるの。侍女試験のときにも徹夜はしたし、平気よ」

「それは頼もしい。それで、約束なんだけれど」


 起き上がったルージェックが私との距離を縮める。

 すぐそこにある濃紺の瞳は、さっきまでいた海によく似ている。


「やくそく」

「うん、約束」


 にんまりと笑う顔に、私の頬に熱が集まってくる。

 まさか本気で言っていたなんて。

 どうしよう。でも、なんでもするって言ったのは私だし。


 プルプルと肩を震わせる私をルージェックは面白そうに見る。でも、その瞳にはいつもと違う熱が浮かんでいるような気がして……。


 膝にあった手を砂におき、私はルージェックとの距離をさらにつめた。

 躊躇いがちに、その瞳を覗き込み……


「おーい!! 無事か!!」

「海を歩いていると通報があったんだ!!」


 露店が並ぶ道のほうから野太い声が聞こえると、体格のよい騎士が二人現れた。

 どうやら、私達に気付いた誰かが騎士に知らせてくれたらしい。


「あぁあ。あと少しだったのに」

「えっ?」

「仕方ない。続きはまた今度、ということで」


 ルージェックは肩を竦めると騎士に向かって歩いていったけれど、彼らに本当のことを説明するつもりはないようだ。

 適当な作り話や言い訳をする後ろ姿を見ながら、私はさっき自分がしようとしていたことがいまさらながら恥ずかしくなり、頬に手を当て一人悶絶したのだった。

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