第2話 神隠しの洞穴

 思い起こすと、四十年ほど前のことです。夏休みの終わり、小学生だった僕は、カナカナと名残惜しげに鳴き続けるヒグラシの声に誘われるようにして、おばあちゃんの家を訪ねました。


「貴船」にある祖母の家に着くと、もうひとりの従姉妹いとこである由香利もすでに来ていました。彼女は怖いもの知らずな性格でしたが、僕は怪談話など聞くとすぐに逃げ出したくなるほど臆病でした。それなのに、祖母は夕食が終わると、お線香の香りが漂う部屋でさっそく怪しい話を始めたのです。


「健介も、逃げたらあかん。男の子やったら由香利と一緒に最後まで聞いとくれ」


 僕は最初から耳をふさぎたくてたまりませんでした。すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。なぜなら、風もないのに仏壇の蝋燭の炎だけがゆっくりと揺らめいていたからです。


 それは怖いというよりも、実に不可思議な光景でした。祖母の口調は、怪談話の語り部のように、これまでの優しいものから恐ろしいものに変わっていきます。

 

 ✽


 祖母の住む古めかしい家から一里ほど離れた貴船川沿いの畔には、夜霧に浮かび上がる赤い灯籠が立ち並び、水の神を奉る荘厳なお社がひっそりと佇んでいます。その神秘的な光景は、まるで魔界への入り口のようです。


 けれども、物事には必ず表と裏が存在します。神社の裏手に一歩でも踏み入れば、禁断の呪い伝説が綴られた古びた案内板が、静かに警告を発しているのです。


 彼女はその伝説が平安時代から現代まで悠久に続いていることをひも解いて、ゆっくりと話してくれました。


「おばあちゃん、禁断の呪いってなあに?」


 けれど、女の子だというのに怖いものなしの由香利がすぐに口を挟みました。おばあちゃんはその問いかけを無視して話を続けました。それは今から八十年ほど前、多くの人々が亡くなった、忌々しい戦争があった頃の話でした。


 京都にほど近い町にも焼夷弾という恐ろしい爆弾が天から降りそそがれ、祖母の両親も逃げ惑ったと教えてくれました。僕も『火垂るの墓』などのアニメ映画でその恐ろしさは知っていました。


 幸いなことに、神々から護られたのか、京都の町には火の粉が及ばず両親の命は救われたというのです。だからこそ、今この場でこうして話ができており、神には感謝しなくてはいけないと目頭を熱くしていました。なんと、祖母は話しながら、今は亡き両親を思い浮かべたのか、僕らの前で泣いてしまったのです。

 


 ところが、神社の裏手にあった洞窟を見つけると、鉄格子を外し防空壕として逃げ込んだ不届き者がいたらしいのです。それを見てここ幸いと安心したのか、どこからともなく四人の子どもたちが現れ、わらべ歌を唱和しながら戯れていたと言います。


 祖母は懐かしそうに『かごめかごめ』を口ずさみながら、その遊び方を教えてくれました。まずジャンケンで鬼をひとり決め、鬼になった子どもはその場でしゃがんで目をつむります。次に他の子どもたちは鬼を囲むように手をつないで輪になります。


「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?」まで歌いながら鬼の周りをゆっくりと歩きます。歌い終わったら、一旦歩くのをやめ、鬼は自分の後ろに誰がいるのか当てます。そんな繰り返しで、当たったらその子どもと鬼を交代して繰り返し遊んでいたそうです。


 しかしながら、四回目の戯れが終わり、五回目に入りかけた時、鬼の周りに黒頭巾を被った見かけない男が洞窟を抜け出し、姿を現わしたというのです。その恐ろしい姿に気づくと、鬼だけを残して子どもたちは逃げてしまったそうです。ひとり残されたおかっぱ頭の良子ちゃんは涙に暮れていたといいます。それで済めばよかったのですが……


 その日、良子ちゃんは黒頭巾の男とともに姿を消してしまいました。遠くの地に焼夷弾が炸裂し、その破片が火の玉として舞い上がる中、すぐに警察官や消防団の人たちで捜索活動が行われましたが、まるで神隠しに遭ったように見つからなかったのです。人々は、鉄格子から陰陽師が成敗した平安時代の怨霊が蘇ったと打ち震えていたそうです。


 僕はその話を聞きながら、神隠しなどいるのだろうか……と心臓がドキドキして、冷や汗が背中を伝うのを感じました。


 祖母の話す一言ひとことが、まるで現実のように頭の中に浮かび上がり、恐怖が全身を包み込んでいきました。その瞬間、まるで自分が神社という聖地で黒頭巾の怨霊に囚われているかのような錯覚に陥りました。彼女の話す声が、まるで遠くから聞こえてくるようにも感じられ、周囲の音がすべて消え去ったかのようでした。 


 実は、ここだけの話ですが、水の神が宿る格式の高い聖地には、観光客に知られないようなもうひとつのおぞましい伝承が語り継がれていたのです。


 ✽


 それは、今から八百年ほど前、祇園精舎の鐘の声が鳴り響く平安京の時代に遡ります。豪華絢爛な衣装を羽織った貴族たちは、陰陽師をゲストに迎え、この神社の境内で酔いに任せた宴を繰り広げていたそうです。


 ある日、貴族たちの幼い娘四人が集い、彼らの前で蹴鞠けまりを披露していたらしいのです。ところが、彼らが目を離した途端、ひとりの少女が蹴り上げた鞠が転がり、洞窟の中に消えてしまいました。


 貴族たちは外見こそ立派でしたが、まゆ毛のない眉間に皺を寄せ、慌てふためくばかりで探すことすらできませんでした。でも、少女たちの中のひとりが怖いもの見たさもあったのか、ひとりで蝋燭を片手に洞窟へと入っていきました。ところが、彼女は二度と姿を現すことはなかったのです。


 父親である貴族は、行方不明になった愛娘が魔界へと消えてしまったことを嘆き悲しみました。自責の念に駆られ、洞穴に立ち入らないように竹で格子を作り、彼女を弔うために『首なし塚』を設けたのです。


 それ以来、神社の周りに住む人々は、この洞窟を水の神とともに『神隠し』の魔界として崇め奉ってきました。良子ちゃんは、その呪われた場所のふたり目の犠牲者だったようです。


 ✽


 しかし、祖母は涙を浮かべながら、さらに話を続けました。恐ろしい伝説は留まることがなかったのです。


 良子ちゃんの四十九日の法要が亡骸もないままに終わろうとしている頃、神社の宮司が丑三つ時にコーンコーンと不自然な物音を聞いたそうです。


 頭に鉄の輪をつけ、鬼のような顔をした白装束の女性が歩いていくではありませんか。洞穴のそばに聳えるご神木の銀杏に藁人形を括りつけ、五寸釘を打ち付けていたというのです。不自然な物音とともに、人の亡骸を思わせる匂いを放つ銀杏の実が天から降りそそいできたそうです。


 藁人形は一体ではなく、不気味で恐ろしい姿でひとつ、ふたつ、みっつと数えられました。しかも、恨みでもあったのか、人形のお腹には三人の女の子の名前が血のような文字で綴られていたのです。


 宮司が恐怖におののきながらも女性に近づくと、彼女は足跡も残さず、リ~ン、リ~ンと怪しげな鈴の音だけを響かせ、夜霧に溶け込むように姿を消してしまったというのです。その得体の知れない彼女の素性を知るすべはなく、真相はやぶの中に隠されたままでした。


 丑の刻になると、宮司は洞窟の前に松明を灯し、水の神を崇めながら、ただお祓いを繰り返す日々に明け暮れていたそうです。

 


 もちろんですが、この平安時代の伝説と戦争当時の言い伝えは噂話ですから、真相は確かめようがないのです。祖母は考えあぐねるように視線を彷徨わせながら、謎の答えを知っているのは「水の神はんだけ。知りたかったら、あんたの目と耳で確かめてみぃ」と教えてくれました。


 今では、神社の裏手の洞窟の入り口は二度と誰も立ち入れないように、鉄格子が何十にも張り巡らされています。でもね、あんたたち子どもだけでは決して近づいてはいけません。いつまた神隠しの黒頭巾が蘇り、魔の手を伸ばしてくるかもしれないから……。


 祖母はそう言い終わると、僕の涙に気づいたのかのかもしれません。彼女は申し訳なさそうに、夏の名残りを感じるラムネの瓶を氷が入った金だらいからカランコロンと心地よい音色を響かせながら取り出しました。


「スイカと一緒に食べたらええのに。生き返った心地がするさかい」と祖母は言い、いつものおばあちゃんらしい優しい目で慰めてくれたのです。 


 祖母のミステリアスな話を聞き終えると、僕は空蝉のごとく全身の力が抜け、しばらくの間、何も言えずにいました。それは、まるでひとりやぶに包まれたような感覚でした。

 彼女の優しい目が僕を見つめ、ラムネのシュワーと爽やかな音を漂わせる泡沫を口に含んだとき、ようやく現実に戻ったような気がしました。


 続けて、祖母は「健介や、怖かったかいなあ。堪忍してな。生きがいとなる祇園祭が通り過ぎ、貴船に伝わる呪い伝説を話したら、京都の暑苦しい夏も終わってもうたね……。そろそろ怪談話と風鈴も店じまいやろ」と言いました。


 さらに、「うちも年貢の納め時かもしれんなあ……」と、祖母が最後に言葉を残したとき、僕は胸が締め付けられる思いでした。心に切ないわだかまりを感じて、ふうと溜め息をついたのに、従姉妹の由香利は「こんなのへっちゃら」とでも言いたげに笑い転げていました。僕がどれほど辛かったのかも気にせずに……。 


 僕はその夜、布団に入ってもなかなか眠れず、祖母の話が頭の中で何度も繰り返されました。由香利の無邪気な笑い声が、ますます僕の恐怖を増幅させたのです。


 今回の作品は、小生意気な由香利とはもう決して一緒に遊ばないと幼心に決めた、懐かしい思い出を綴ったものです。もちろん、今は仲の良い飲み友達になっています。彼女は肝っ玉母さんとなり、三人の子どもを育てながら、おばあちゃんの家を引き継いで頑張っています。



 ✽.。.:*・゚ ✽.・゚ (終幕)・゚ ✽.。.:*・゚ ✽


 最後まで拙い文章をお読みいただき、ありがとうございました。よろしければ、忌憚のない感想をお聞かせいただければ幸いです。心からお待ちしております。

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【貴船の謎】京都の裏に潜む神隠しの呪い 神崎 小太郎 @yoshi1449

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