未来は小説よりも奇なり
山藤 郁花
運命の日はいつも突然に
桜が桃色をすっかり失い、空が灰色に支配される。日を追う事に増える汗の量に対抗するかのように、テレビには毎朝傘マークが表示されている。
--あぁ、少し分かりにくかったか。言葉は相手に伝わらないと意味がないのに。まぁ、つまるところ、梅雨真っ只中のくせに暑いんだよというただの愚痴だ。ちょっと詩的に言ってみただけ。いいでしょちょっとくらい、閃いたんだがら。…こほん。悪かったね、本当は春休み中にゆっくり来たかったんだけど仕事が立て込んじゃって。さぁ、そんなことは置いといてとっとと本題に入ろう。あれはそう、私が高校の教師をしていた頃のことだ.....。
知ってるかもしれないけど、私は15年前まで高校で国語を教えていた。穏やかな人柄と熱意に満ちた指導でそれはそれは生徒に人気があった。授業中はみんな真剣に私の話を聴き、放課後には沢山の生徒たちに囲まれて授業準備なんてできなかったんだ、困っちゃうよね全く。はっはっはっ…はぁ。
なんて冗談だよ。寧ろその逆。頭が堅くて、口下手で、どんなに熱心に話をしても生徒たちは聞く耳を持たなかった。放課後なんか授業準備やら採点やらが忙しくて、質問なんて受ける余裕もなかった。正直、人にものを教えるなんて柄じゃなかったし好きでもなかった。なら何で教師になったのかって?鋭いねぇ。まぁ、そのために話に来たんだし包み隠さず話そう。
実はね、うん、これ大人になって人に言うの初めてだなぁ。言っちゃおうかな、いや、うーん、よし言おう。実を言うと私は、高校生の時まで小説家になるのが夢だったんだ。…えっ何その反応。大体予想通りだって?まぁそりゃそうか。今の私を見たら人目で分かるし、というかそもそも今…あぁごめん。話を戻すね。
具体的に言うと、高校2年の冬まで第一志望の欄には決まって芸術学部のある大学を書いてて、親にもそう言っていたんだ。先生も応援してくれてた。でも、肝心の私が小説を書くのが嫌になってしまったんだ。初めは楽しかったんだよ?空想の世界をあれこれ自由に表現できるのがとっても魅力的だったんだ。でも、成長して将来について考えれば考えるほど自分の書きたいものが書けなくなっちゃったんだ。頭を抱えたよ。自分で自分の夢を否定することになっちゃったんだから。で、その後親と先生に何度も相談して。結局、高3の一学期には第一志望に教育学部のある大学を書くようになった。何で教育学部かって言ったら、国語の教師になれば小説に関われると思ったからだよ。今思えば浅はかだったよ。本当は人の作品じゃなくて、自分の作品に感動してほしかったのに…。
一度進路が決まっちゃえば話は早くて、そのまま受験も大きな失敗もなく無事合格して、晴れて大学生となりました。拍手っ!
でも、その大学生活が地獄だったんだ。ひたすら教育論やら生徒との接し方やら上手い授業の進め方やら叩き込まれて、それはそれは苦痛だった。学びたいことはこんなことじゃなかったって、何度も何度も後悔した。自分でも驚いたよ。本当はまだ小説が書きたかったんだ。
心を押し潰し押し潰し、なんとか教員免許も取れて、念願の高校教師になれたんだ。…皮肉だよ?アイロニーだよ?えっ、面白くなかった?ごめんなさい。まぁ、そんな訳で教師生活にも慣れてきた30歳の春、私は一人の生徒と出会ったんだ。
彼女は決して頭がいいわけじゃなかった。テストはいつも赤点ぎりぎりで、授業についてくるのがやっとらしかった。…名前、そういえばなんだったっけな、カンダ、カンザキ、カミヤマ、あっ、
で、その子がね、私にこう言うんだよ。
「私、小説家になりたいんですっ!」
って。そりゃもうキラキラした目でね。今でも憶えてるよ、あの目。当時の私はひどく衝撃を受けてね。まさかこんな堂々と小説家の夢を語れるやつがいたのか、って。初めは軽くあしらってたよ。どうせすぐ諦めるか別の夢を見つけるだろって。でも、楓は私とは違った。小説を書く才能があった。いや、少し違うな。そう、小説を書き続ける才能があったんだ。3年の夏を過ぎてもずっと小説の書き方を私に教わりに来てた。放課後、私と楓は職員室で来る日も来る日も小説を書いた。受験なんて遠い未来のことみたいに何度も何度も。楓、結構難しいとこの芸術学科志望だったんだよ?でも、結局楓は第一志望に合格した。見えないところで、ずっと頑張ってたんだ、あの子は。あの時だけは、教師になって良かったと心から思えた。
卒業式が終わって1週間と2日経ったあの日。突然一通の手紙が家に届いたんだ。楓からだった。告白だったらどうしようとか、教師と生徒の禁断の恋が始まるのか、とかしょうもないことを考えながら封を切った。
中身は、そう。君の予想通り。小説だった。原稿用紙30枚に渡って丁寧な字で書かれていた。小説にしては短い方だが、楓にとっては初めて書く文量だった。内容は…よく憶えていない。でも、これだけは憶えてる。私は大切な楓からの手紙をぐしょぐしょに濡らしてしまった。
他人から見たらほんの些細なことかもしれない、たった一通の小説。だけど、私はあの小説に人生を変えられた。楓の小説が私の人生を変えてくれた。楓が卒業した3月の末日。私は教師を辞めた.....。
これで昔話はおしまい。まぁ、私が一番言いたかったのは「自分の夢を大切にしろ」、ってこと。ただそれだけ。だからさ、他人に何言われても気にすんな。君は、君のやりたいことをやればいい。7月になったら、学校に行ってみないか?
大丈夫。きっとなんとかなる。
--大人気小説家は柔らかい表情を見せた後、部屋を去っていった。一人取り残された少女は、彼の大きな大きな後ろ姿を見て目頭が熱くなった。
未来は小説よりも奇なり 山藤 郁花 @yamafuji_ikuka
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