復讐

メープル先生

復讐

山の麓にあるこの高校で私は突然名指しされた。担任が自分のノートを覗き込むようにこちらへ向かってくる。授業に関係のないものはしまいなさい。と内職に厳しい先生が私に注意した。思春期に差し掛かってる私だ。先生の注意にはうんざりする。反抗したい気持ちを抑えて渋々教材を机の奥にしまった。

担任の授業など聞く耳も持てず、幸い左端の席にいた私は、ぼんやり窓の内から真緑の大きな山を眺めていた。すると、隣の席からそっとやわらかな声がした。


何してたの。


普段声をかけられることのない私は、ついどぎまぎしてしまった。隣の席だった彼女は大人しそうでふんわりとした雰囲気をしており、対して私は男子高校生。こんなアニメみたいな展開が突然訪れてしまっていた。動揺していても仕方ないので私は質問に答えようとした。


英語だよ。


すると彼女は、そんなに英語が好きなんだあと微笑んだ。そんな彼女に少し可愛いと思ってしまった反面、私は”英語が好き”という言葉に引っかかりがあった。

私は好きで英語をやっているわけではない。つい最近流行ったコロナウイルスの影響で行動に制限がされながら私もその制限に苦しめられていたのだ。本当はこんなに苦労するはずではなかった。だが、そうでもしないと私は”アメリカに行けない”のだ。

学校から少し山を登り家に帰ると祖父が夕飯を作ってくれていた。食卓には二人。たいした話はしないまましんみりとしたまま夕食を今日も終えた。昔はもっと賑やかな食事だった。私が小さい頃は両親と祖父母のみんなで住んでいたので食事も今より断然賑やかだった。あの頃の祖父はまだ笑顔だったのだ。そんなある日、祖父は夕飯の途中に家の近くで現れた熊を狩りに外出した。祖父はここらの中でも腕のなる熊狩であったのでこのように熊狩に外に出ることが多かった。一瞬、大きな発砲音が鳴った。子供であった私には怖くて仕方なかったがそんな私を家族みんながあやしてくれた。が、顔を上げると目の前で祖母が血を流して倒れていた。理由がわからず恐怖がこみ上げ、慌てて私と両親は家を飛び出す。青ざめた顔で両親は逃げていた。あとから来た祖父が気絶していた私を拾ってくれた時には私は両親と祖母をなくしていた。山の麓の住民には多くのけが人が出ており、彼らは皆、小柄で横暴な熊にやられたとあとから聞いた。ここまで横暴で”知性のある”熊はめずらしく、市からも駆除命令が出ていた。その熊、私の家族を奪った熊は”捌”と呼ばれた。

もう何年も前のことだが、捌は駆除されていない。市はあの事件のことを忘れているのだろうが、私は忘れられなかった。市はもう捌の駆除に動いてくれない。だがアメリカは違った。ある研究グループがその事件に目をつけもう何年も駆除に向けて研究し続けており、近いうちに駆除にあたるという。彼らはまた地元の人々の協力を誘っているが、そんな前の話でアメリカに足を運ぶ者はいなかった。だから、


おい、客が来てるぞ。


祖父が私を呼んだ。しばらくぼうっとしていたのでインターホンに気づけなかったようだ。

相変わらず悲しそうな目をしているがいつまでも変わらない優しい祖父であることは変わりない。普段あまり口を利かないがそれでも私を大事にしてくれる祖父から愛は伝わっている。そんなことを考えながら扉を開けた。私は目を見開いた。


え、急にどうしたの。


そこには隣の席の彼女がいた。手には見覚えのあるノートを持っており、少し髪が乱れているが可愛らしい雰囲気は残ったままである。彼女は口を開くと、


教室においてってたでしょ。大事そうなものだったから届けに来たの。


そのノートは私の英語のノートだった。奥にしまっていて気づかなかったのだろう。わざわざ届けに来てくれるなんて、とても優しい人なんだなあとほっこりした気持ちでいた。


ありがとう。わざわざ届けに来れて。本当に助かったよ。


お礼になんかしてあげようと思ったところ、彼女はお腹が空いていたのか、ぐうと音を立ててしまっていたので頬を赤らめた彼女に私は夕飯を振る舞うと言った。と言っても祖父が作ったものであるが。

食卓に祖父以外の人とともにするのは久々だった。彼女は祖父の作ったご飯が美味しかったのか、ものすごい勢いで食べていた。素直な子だなと微笑ましく思っていると彼女は私に聞いた。


あのさ、テスト近いし英語教えてよ。


自分の勉強の時間が削られるのはあまり気ではなかったが、確かに祖父のご飯を振る舞っただけで私は彼女に何のお礼もできていなかったので、私は彼女に英語を教えることにした。


やっぱり、英語が好きなだけ教えるのがうまいね。


と彼女はきっと私を褒めるつもりで言ったのだろう。私だって好きになれたらと思うが、こんなに英語をやっているといやになるものである。留学の壁は思うより遥かに高いのだ。もっと学ばなければ。少しでも早くアメリカに、そう、


私はアメリカに行きたいんだ。


考え込んでしまい、気づいたら口からこぼれていた。つい最近話しかけられただけの彼女にこんなことを言っても仕方ないのに。言うつもりが全く無く、誰にも言ったことがなかったので私は大分焦ってしまった。すると彼女は、


”きっと君なら、夢を叶えられるよ”。


彼女は優しく微笑んだ。彼女のその笑顔は花のような、そんな柔らかな笑顔に私は孤独から救われた気がした。


翌日、学校へ行くと私は以前よりもクラスメイトから声をかけられるようになった。そして皆口を揃えて留学の話をしてくる。どこから流れたのか、彼女は想像以上に大胆に言いふらしたようだった。ただ、嫌な気持ちはしなかった。声をかけてくる人は留学の話とともに、

心から応援してくれたのだ。きっと彼女の優しさからの行動が皆を動かしたのだろう。家族をなくして皆と今まで馴染めず孤独だった私を彼女は救ってくれた。私は今とても幸せだ。

クラスメイトとはそれからもうまくやっていくことができ、友達と呼べる人も持てるようになっていた。彼女ともそれからよく話すようになり、時には連絡を通して深夜まで話す時もあった。そしてクリスマスをきっかけに私達は付き合うことになった。彼女は、私が留学の勉強をできるように気を使いながら、間で通話をしたり話したりしていた。彼女はいつでも笑顔や応援を私にしてくれるので、おかげで英語に対するモチベーションが保たれた。それから、友達とカラオケに行ったり、放課後に映画を見に行ったりと充実した高校生活を送ることができた。今では友達も彼女も自分にとっては家族と同じくらいかけがえのないものであり、大切である。

もうすぐ留学の招待を受けれるかどうかの審査結果が来るところ、私はそれを絶えず応援してくれた彼女と待っていた。そのような中でふと、彼女は私にどうして留学したいのか尋ねてきた。アメリカに行くことができれば、私は捌の研究グループに協力することができ、実際に私自身で駆除することができる。小さい頃から、あの時から私はずっと捌を追っているのだ。そんなことをしなくても君は幸せになれると彼女は言ってくれた。しかし、私はもう決めていた。亡くなった家族のためにも、残された祖父のためにも私は捌を仕留めると決意した。だが、本当は心の何処かで彼女の言うことが正しいと思っていてのだ。それでも。気づいたときにはいつも手遅れなのである。審査結果が届いた。私は留学の招待を受けることができた。

留学に行くことになると彼女とはしばらく離れることになる。が、予定よりも早く私は彼女と離れてしまった。彼女はずっと持病を持っていたらしく、余命の宣告をすでに受けていたそうだ。そして、彼女も同じく、私の留学への前向きな気持ちを源に生きようと思えたそうだった。そんな彼女の残した”一枚”の手紙を私は読み終えた。病棟にいた彼女を見たとき、私は自分が自分ではいられなくなった。不安、恐怖、この感覚はどこか経験したことのある感覚だった。確かそう、忘れもしないあの日、私はあの発砲音に生まれて初めて大きな不安と恐怖に襲われたのだった。そして顔を上げるとそこには血の流れた祖母が。しかし違和感がある。祖母ではない誰かがそこには倒れているのだ。私は目を見開いた。



そこには血の流れた彼女が倒れていた。



あたりを見渡すと白衣を着た男性や女性が血まみれになって、粉々に散らばっている。私だけが生きているのはおかしいのだ。そうだ。あの日もきっとそうだったのだ。私は確信し、そして絶望した。



”捌”は”私”だった。



ある報道がされた。アメリカの研究グループにより”捌”が討伐されたようだ。不思議なことに地域の大学病院から捌は現れ、多くの市民を襲ったようだ。その地域の腕のなる熊狩でさえ討伐できず、命を落としたようだ。捌によって多くの人が亡くなった。しかし、グループの一員は奇妙なことを言った。

”捌”は、日本の熊でありながら私達の言語に反応したのだ。


捌は大勢の人を殺した。私の大切な人も殺したのだ。私は冷たくなる体を感じながらも、ふと思い出したことがあった。


私の持病のように、どうしても抗えないときが人間にはあると思う。あなたの両親も当時のあなたじゃどうしようもできなかったんじゃないかな。でもだからといって、復讐にとらわれないで。熊にも食料やいろいろな事情があるんだと思う。それで人を襲うことは許されることではないけど、きっとその熊は報復を受けることになる。そのときには私は皆で熊のことを許してあげたいと思う。


”もう一枚”の彼女の手紙にはそう記されていた記憶がある。私は自らの手で自分の大切なものを奪ってしまった。彼らはは私を許さないだろう。これはきっと私への報復であり、復讐なのだ。

ふと、あたりから声が聞こえた。柔らかな声。



誰もあなたを責めていないよ。



花びらが風に乗っている。もうすぐ春だ。太陽のような明るい光に私は包まれた。

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