後編『三叉槍無双』

 レオニード・ブレジネフ書記長との再会の数日後、ヴィクトル・モチュルスキー大佐は、北ベトナム南端の都市ドンホイ郊外に到着した。


 藍鉄あいてつ色の赤軍軍服に包まれた彼の、左肩には、鮮やかな黄緑色をした鸚鵡オウムのカロリサンズゥク。右肩には、銃職人ガンスミスに無理言って一日で仕上げさせた、特注のトリプルバレルショットガンの銃身がもたれかかる。三本の銃身は、北緯十七度線上ボーダーラインの激烈な日射しを受け、時折黒光りしているが、それは他でもない、インドシナの甲虫王者コーカサスオオカブトの三本角を表している。そして現に左の手のひらの上には、大ぶりのコーカサスオオカブトご本人が、堂々と鎮座する。それが定期的に、大きな羽をバチバチと言わせるので、すれ違う北ベトナムの人々は奇異の眼差しを向けつつそっと退いていって、道が開ける。そこをモチュルスキー大佐が、のっしのっしと歩いていくのだ。


 ベトナム到着から、三日が経過した。相変わらずモチュルスキー大佐は、一人と、一羽と…………


\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/\ブゥンブゥンバチバチ/


 数万匹で、のっしのっしと歩き続ける。

 モチュルスキー大佐が目指すのは南だ。現在、ベトナム・ラオス・カンボジア三国の国境付近を南北に走る、ホーチミンルートを南下中だが、つい数時間前、南ベトナム側の中部高原ちゅうぶこうげんに入り、今はその構成要素の一つ、コントゥム高原上の標高五〇〇メートルを歩いている。この先のブレイク高原に入れば、さらに標高は上がり、八〇〇メートル。コーカサスオオカブトは高い標高を好むので、モチュルスキー大佐はさらに多くの仲間を迎えることになるだろう。

 気づけば、モチュルスキー大佐を取り巻く熱帯雨林は、コーカサスオオカブトの羽音を除いては、不気味なほどの静寂に包まれている。何か……起こりそうな予感だ。

 何かを察知したモチュルスキー大佐。

 岩陰に隠れると、ホバリングするカロリサンズゥクとコーカサスオオカブトたちに向かって、妙なハンドサインを送る。

 一羽と数万匹の同胞は、モチュルスキー大佐の意図の全てを理解したようで、各配置に散っていった。


 ガザゴソ、と、草木の揺れる音がする。

 迷彩柄の中隊。

 米軍だ!


 米軍の存在を確認したモチュルスキー大佐は、突如、ブツブツと呟き始めた。

「コーカサスオオカブトの三本角は、ポセイドンの三叉槍さんさやり。海神よ、この森に、荒れ狂う海の如き雷雨をもたらしたまえ……」

 すると直後、モチュルスキー大佐の声に呼応するようにして、青い空は黒い雲に包まれていった。


 ポツリ、ポツリと雫が森中の葉を叩く音がする。


 音の間隔は加速度的にせばまり、ついにはドラムロールのような連続音となる。


〈……ザザザザザザザザザザザザ〉


 スコールだ。


 米兵の中隊の方からは、こんな声が聞こえてくる。

「おいおい、これじゃ索敵できやしない」

「本当、厄介な雨だよな」

「それに一日に五回も六回も起きるんだ、早くアメリカへ帰って、お袋のチェリーパイが食べたいなぁ」

「だなぁ。この、バカみたいな戦争……いつまで続くんだよ」


 そしてモチュルスキー大佐が、虎視眈々として、米兵たちを遠くから睨んでこう言う。

「今だ、俺の戦友たちよ」

 合図が送られた。


 \ドドドドドドドド!!/

【ウワァ! コッチニテキガイルゾ!】

 機関銃の連射音と、

 米兵の叫び声……


 ではない。


 コーカサスオオカブトの羽音と、

 カロリサンズゥクの声真似だ!


 銃声と叫び声を聞いた米兵たちはハッとして、アサルトライフルを構える。

「敵はどこだー!? 発火炎マズルフラッシュは見えたかー!?」

 米兵の一人がそう叫んで聞くが、

 見えるはずなどない。


【コッチダ! テキガオオスギテ、カゾエキレナイ!】

 カロリサンズゥクは、大ボラを吹く。


 米兵たちも簡単には信じないようで、

「本当か? さっきまであんなに静かだったんだ」

 と言う者もいる。だがしかし。


「ああ、そうだそんなわけ——」


 \ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/


 再三になるが、

 銃声ではない、

 羽音だ、

 とんでもなく、激しい。


「ななななんだ!?!? すごい音……きっとすごい数だ!!」

「敵はどこだ!? 誰か見たやつは!?」

「うおっ! 今、俺の横の木を弾がかすめたぞ!」

「ああっ! こっちもだ!」

 動揺する、米兵たち。


 しかし、それはではない。

 

〈……ザザザザザザザザザザザザ〉

 空からの容赦ない、滝のようなスコールも、忘れてはならない。


 さっきのは、水のだ。


 そして米兵たちの頭上、彼らからは生い茂る葉で見えない樹木のてっぺん付近には、


\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/\ブゥンブゥンバチバチ♪/


 コーカサスオオカブトたちが、次の偽機銃掃射情報工作に備えている。


 モチュルスキー大佐はと言うと、ずっと岩陰に隠れたまま、ほくそ笑んでいる。 

「フフフ……もっと派手にだ!」


 カロリサンズゥクが次なる一声を放つ。

【マズイ! オオゼイ! トツゲキシテクル!】

 よく聞くと間抜けな声色だが、雨音ノイズのせいで、うまくカモフラージュされている。


 それを聞いた米兵たちはもはや声を出す余裕も無く、

 身構え、

 森中の、

 あっちを、

 こっちを、

 そっちを、

 背後を、

 せわしなく見渡す。


 コーカサスオオカブトたちは、大きな羽を、力一杯はためかせる。


\ダダダダダダダダ!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ダダダダダダダダ!/「くっ! 肩を打たれた!」(恐らくモチュルスキー大佐のトリプルバレルの散弾が当たったと思われる)\ドドドドドドドド!!/【カコマレタ!】\ババババババババ!!/\ダダダダダダダダ!/\ドドドドドドドド!!/【ギョエ!】\ババババババババ!!/【ドヒャア!】\ダダダダダダダダ!/\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/\ダダダダダダダダ!/【マズイ!】\ドドドドドドドド!!/\ババババババババ!!/【ウワァ!】\ダダダダダダダダ!/\ドドドドドドドド!!/【コンナノカテッコナイ!】\ババババババババ!!/\ダダダダダダダダ!/\ドドドドドドドド!!/【コノママダトゼンメツスルゾ!】【タイキャクメイレイハ?】\ババババババババ!!/〈……ザザザザザザザザザザザザ〉\ブゥンブゥンバチバチ♪/


 モチュルスキー大佐は堪えきれずに思わず、

「クククッ……そろそろ、かな」

 と笑い声をこぼす。すると……


 米兵たちは一人の兵の元に集まる。


「西も東も! 北も南も! ひょっとすると上からも! 我が軍は四面楚歌しめんそかです!」

「中隊長! これっぽっちの兵では歯が立ちません!」

「そうです! 俺は肩をやられました! 中隊長、判断を!」

 中隊長は、判断を迫られる。

「…………糞ッファック、退却だ」


 米兵の中隊は、、南に引き返し始めた。


 勝利だ。

 一人と、

 一羽と、

 じきに億万匹となる数万匹の、

 勝利だ。


 モチュルスキー大佐はコントゥム高原にて米軍の中隊を退散させた後も、ブレイク高原を抜ける中で、北にも南にも一切の死者を出すことなく、米兵たちを退散させた。彼の率いるコーカサスオオカブトの総数は、ついに億万匹を突破した。南ベトナムの防衛ラインはどんどん南に押し下げられていった。そしてついに、一九六九年の九月末、北ベトナムは南ベトナムを追い詰め、首都サイゴンを陥落させることに成功した。


 一人と、一羽と、億万匹。モチュルスキー大佐らの活躍は、ベトナム戦争終結を五年以上早め、犠牲者を三〇〇万人以上減らしたと言われている。


〈完〉




【補足】実際のベトナム戦争の終戦日は一九七五年四月三十日であり、モチュルスキー大佐も、その活躍も(あなたの脳内以外においては)一切存在しませんので、ご注意ください。

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コーカサスの機関銃 〜カフカースキィ・プリミョート〜 加賀倉 創作【書く精】 @sousakukagakura

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