コーカサスの機関銃 〜カフカースキィ・プリミョート〜

加賀倉 創作【書く精】

前編『書記長と甲虫博士』

【注意】本作は実際のベトナム戦争史にある程度準拠していますが、フィクション部分を多分に含んでおります。エンタメですので、悪しからず。


——コーカサスオオカブト。

 

 その主な生息地は、スマトラ島、ジャワ島、マレー半島、インドシナ半島などの、標高一〇〇〇メートル台の熱帯雨林。かなりの大型種カブトムシで、オスであれば、成虫で一三〇ミリメートルにもなる(メスはその半分程度)。時折黒光りする、ポセイドンの三叉槍のような立派な黒の三本角が特徴。世界最強のカブトムシと言われることもあるが、実際、非常に闘争心が強く、凶暴。その大きな角で敵を吹き飛ばし、殺すだけでなく、時には死体をバラバラにすることもあるそう。またその大きな体躯から繰り出される羽音は、まるで乱れ打つ機関銃のようにやかましい。ちなみに、ロシア、アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアなどの国々のあるコーカサス地方とは直接の関係はない。コーカサス(= caucasus)という言葉には『白い雪』という意味があり、コーカサスオオカブトの羽の白い光沢を表すのに使われているのである。



ЩЩЩ



 一九六九年。

 ベトナム戦争は、泥の沼地へと突き進んでいた。一月末、共産主義陣営の支援する北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線は、南ベトナム軍と米軍に大攻勢をしかけた(テト攻勢)。米軍は、その二週間足らずの戦闘の間に四千人近くの兵士を失い、米ジョンソン政権は大打撃を受け、米国民のベトナム戦争観を大きく反戦の方向へと変えた。

 同年九月には、南北ベトナムの統一を説き続けたホー・チ・ミンが、心臓発作によって急死した。これ以降、北ベトナムでの中ソの対立はソ連優勢へと大きく傾いた。

 米国内での反戦ムードと中国の北ベトナムにおける影響力の低下を好機と見たソビエト連邦共産党中央委員会書記長レオニード・ブレジネフは、とある奇怪な軍事作戦を考案した。それが……


コーカサスの機関銃カフカースキィ・プリミョート』作戦だった。


 そしてブレジネフ書記長は、作戦の要となる、とある男に会いに、北コーカサス地方はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国へと向かった。


「いやあ、モチュルスキー大佐。にしても独ソ戦時代を思い出しますな。南カフカス(別称南コーカサス地方、現在のアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアら旧ソ連の三国を表す)の政治指導部長を務めていた頃は、この美しいカフカスの山々を眺めるのが、唯一の息抜きだったものだ」

 ブレジネフは、懐かしそうにそう語る。

「なんだレオニード、他人行儀なもんだ。お前はそんなに堅苦しい奴ではなかっただろう? あ! あれか、俺を出し抜いて少将に昇進したかと思えば赤軍から消えちまって、しまいには大出世して書記長にまで上り詰めたもんだから、そんなふうになっちまったのか?」

 モチュルスキー大佐は、そう気さくに返す。

「そんなつもりはない。お前との再会が、あまりに、久しぶりなものだからつい、な。それにひがむでないぞ? お前が私よりも昇進が遅れたのは、将校としての責務をそっちのけで甲虫カブトと戯れていたから——」

「あーうるさい! そうかいそうかい、お説教も得意になったか、書記長閣下。ま、昔のように、ヴィクトルと呼びな。それで、だ。話っていうのは?」

「ああ、そうだった。大事な話、いや、頼みがあるんだった。ヴィクトルよ、単刀直入に言うが……ベトナムに向かってくれ」

「ほぉ、なるほど。嫌な予感はしていたが……そうきたか」

「知っているだろうが、半年と少し前、北ベトナムはテト攻勢で米軍に大きな打撃を与えることに成功した」

「そうなのか? どこぞやの大統領ジョンソンは、『テト攻勢は失敗に終わった。我が軍の損害は最低限に抑えられた』と宣っていたと思うが?」

「あれはデマだ。あのたった二週間での米軍の戦死者は三〇〇〇、いや四〇〇〇人近い。私が北へ派遣した軍事顧問たちは、そう見積もっておる」

「そりゃ、なかなかだな」

「うむ。その上、先日のホー・チ・ミンの死で、我が国の北への影響力も強まった。このまま一気に畳み掛けたいと考えたのだが、大量派兵はあり得ない。米軍の二の舞になりたくないのはもちろん、ユーラシアの北東はウスリー川、それにここカフカスの地からも近い新疆しんきょうウイグル地区付近の緊張が高まっているから、そもそも兵力に余裕は無い」

「ははは、レオニード、ひどく遠回しな物言いだな。政界で身につけたのはその狡いか? 『我がソビエト社会主義共和国連邦は情けなくも、同じ共産主義陣営である中国と上手くいっていない』と正直に言ったらどうだ?」

「はぁ。ヴィクトル……お前はいつも私を見透かすのが上手いな。溜め息が出るよ。いつも、全て、お前の言う通りだ。だからこそ……お前の力を、貸して欲しいのだよ」

「レオニード、お前はジョンソン大統領が示した米軍の戦死者数を訂正したが、俺はお前の言葉を訂正したいと思う。『たった一人で』と言うのはデマだ。正しくは、『一人と』だ」

「失礼。そうだったな。ベトナムにはとっておきのやつが、大型甲虫コーカサスがいるぞ。お前ので彼らを操り、米兵を追い払ってくれ!」

「ああ、任せろ。そうだな、今回は……あの賢い鸚鵡カロリサンズゥクを連れていくか」

 モチュルスキー大佐の眼差しからは、恐れなどと言うものは一切感じられず、むしろ、楽しみで仕方ない、そんなふうだった。


 こうして、甲虫博士ヴィクトル・モチュルスキー大佐は、ベトナム戦線へ向かうのであった。


〈後編『三叉槍さんさやり無双』に続く〉

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