君の存在という悪魔の証明(短編版)
たれねこ
君の存在という悪魔の証明
まだ君のことを覚えている――。
ニコッと微笑むような笑い方も、少し高く澄んだ声で何度も「ユウくん」と呼んでくれたことも、恋人になった日に繋いだ手から感じた温もりも――。
俺、
同じ幼稚園に通い、同じ漢字で違う読みの名前ということがきっかけで家族ぐるみの付き合いになった。お互いをユウくん、ハルちゃんと呼び合うのもたいして時間はかからなかった。
ハルちゃんの両親や三つ下のハルちゃんの弟の
中学三年の夏休み。
ハルちゃんから『今年は一緒に花火見に行こうよ』とメールで花火大会に誘われた。中学生になってからは思春期ということもあり、恥ずかしさや照れから表立ってハルちゃんと仲良くすることはなかった。イベントごともそれぞれの友達と行くようになっていたので、久しぶりの誘いがとても嬉しくて、すぐにオッケーの返事をした。
花火大会当日。近所の神社で待ち合わせをした。夏休みが終われば、受験一色になると思い、少し早い合格祈願をした。
それから、お参りついでに俺はハルちゃんに想いを告げた。
「ずっとハルちゃんが好きだった。付き合ってほしい」
「うん、いいよ。私もね、ずっとユウくんが好きだったんだ」
ハルちゃんのいつもより甘さを感じる声は脳に直接響くようで、見慣れた笑顔はいつも以上にかわいく見えた。
そして、恋人として手を繋いで花火大会の会場へと向かった。夜に変わりつつある空には、上弦の月が浮かんでいた。
幼いころはあんなに簡単に言えていた「好き」という言葉は重みを増し、隣を歩く浴衣を着て、いつもとは違い髪をお団子にしてうなじを見せているハルちゃんに「かわいい」という一言が恥ずかしくて言えなかったことは、ずっと後悔している。
なぜなら、花火大会の日――弓月悠は神隠しに遭い、言う機会は失われてしまったからだ。
弓月悠は世界から消えた。正確に言えば、世界から存在を抹消されてしまった。
同級生はおろか、仲が良かったはずの女子もハルちゃんのことを覚えておらず、夏休み明けにはハルちゃんの席に俺だけが知らないクラスメイトが座っていた。
ハルちゃんの家族も同様で、弟の翔は一人っ子だというし、幼いころに近所の公園で一緒に遊んで以来の付き合いだと言っていた。
そんな世界で俺だけがハルちゃんのことを覚えていた。ハルちゃんとの記憶を失わないようにしがみつくくらいしかできなかった。
中学の卒業式の日。朝、目が覚めるとなぜかハルちゃんの声だけが思い出せなくなっていた。
俺の名前を呼ぶ声も、あんなに多幸感で満たされていた告白の返事も、花火が上がるのを待つ間にハルちゃんからメアドに込められた秘密を教えてもらった会話さえも。
――私のメアドね、実はユウくんのことを意識して考えたやつなんだ。みんな、私の名前から取っただけと思っているんだけどね。でも、もしユウくんにそのことを気付かれたら、私から告白しようと思ってた。もしユウくんから告白されることがあったら、そのときはユウくんにだけ話そうって決めてた。だって、アドレスにしちゃうくらいユウくんのことを思ってたってことだからね。
それから、ハルちゃんのスマホの画面に表示されたメアドを一緒に見た。そのときのハルちゃんの横顔は、照れているようにも嬉しそうにも見えた。
そんな風に情景や話の内容までしっかりと覚えているのに、サイレント映画のようにハルちゃんの声だけが失われてしまっていた。
自分のスマホから一度は失われ、登録し直したハルちゃんのアドレスを表示させる。
<yu-haruharu.moon@XXX.ne.jp>
今はこれだけがハルちゃんとの繋がりだ。何度かメールを送ったがどこにも届かずにエラーとして自分の元へと戻ってくるばかりだった。
少し前に友達も家族もLINEに移行した。俺ももっぱら連絡はLINEになったが、それでもスマホの電話番号もメアドも変えずにいようと思っていた。
いつかハルちゃんから連絡が来るかもしれない、メールが届くかもしれないという限りなくゼロに近い可能性をゼロにしたくなかったからだ。
高校二年の秋。修学旅行先で表向きは友達と楽しみながら、内心ではハルちゃんのことを考えていた。同じ高校を受験する予定だったので、もしかすると隣にいたのかもしれないと中学の修学旅行の時のハルちゃんを今に重ねていた。
お土産を選んでいると、突然ハルちゃんの顔が思い出せなくなった。
好きだったはずの笑顔も、最後に見た隣で花火を見上げていた横顔も。大人っぽい落ち着いた色の浴衣を着ていたことは覚えているのに、顔だけが
その絶望に頭を抱えてうずくまってしまった。友達は心配してくれたが、説明のしようもなかった。
俺とハルちゃんの繋がりは今まさに断たれようとしていた。記憶も思い出も認識さえも、全てがハルちゃんだけが欠けた形で正常化しようとしていた。
残ったのは自分の手でアドレス帳に登録した弓月悠のメアドと、そのメアドに毎日のように送ったメール、戻ってきたメールの送受信履歴だけだった。
ハルちゃんのことを思い出せないのなら、いっそ忘れてしまいたいと思った。
だけど、忘れようとするほどにハルちゃんの影を感じてしまう。
家の中、近所、公園、学校、神社――どこもハルちゃんとの記憶の残滓があるのか、視えない姿や聞こえない声を錯覚してしまっていた。
ここにいたはずなのに――。
休まらない心と、誰とも共有できない感覚に精神がすり減っていくのを自覚していた。
そんなハルちゃんの影から逃げるように大学は県外に進学した。
そこでハルちゃんではない恋人もできた。手を繋いだり、腕を組んだり、唇や体を重ねたりしたが、そのたびにどうにも拭えない感覚に身も心も支配された。
求めているものはこれじゃない。この人の温もりでは心は満たされない。
そんな違和感は嫌悪感へと変わり、誰と付き合っても長続きすることはなかった。
大事なものが欠けたまま流れ続ける時間と、潤うことがなく乾ききった心に、次第に塞ぎ込む時間が増えていった。
大学卒業後は地元に戻って就職した。
大学時代は帰省することを意図的に避けていた。久しぶりに戻ってきた地元は、駅前の再開発と共に違う街へと移り変わっていく最中だった。
慣れ親しんだ場所が失われていくことに寂しさを感じながら、同時にどこか安堵もしていた。
社会人も四年目になり、仕事にも慣れ、生活のサイクルは固定され、代わり映えのない日々がただ零れ落ちるように過ぎ去っていく。
結局、俺は何者にもなれず、大事なものも見つけられなかった。気付けば人付き合いを避けるようになり、生きていることの意味を見失っていた。
そうして、また今年もハルちゃんのいない夏が訪れた。そんな折にスマホに一通のメールが届いた。
『今年は一緒に花火見に行こうよ』
誘ってくるような相手はおらず、今どきLINEじゃなくメールということに悪戯か迷惑メールだろうと思った。
しかし、そんな疑念は一瞬で吹き飛んだ。
メールの送り主が弓月悠になっていて、送信日時が十一年前の日付だったからだ。
『本当にハルちゃん?』
そんな俺の返信は今までと同じでどこにも届かずに戻ってきた。だけど、ようやく見つけたハルちゃんの欠片を前にして、ハルちゃんに囚われながらこれからも生きていくにしても、全てを忘れて一からやり直すにしても、これがきっかけになると思った。
当時の約束を思い出し、花火大会当日に神社へと向かった。
しかし、ハルちゃんと待ち合わせの約束をしたのは中学三年の俺で、現在の俺の元には誰も来ることはなかった。
仕方なくあの日、ハルちゃんと歩いた場所をひとりで辿ることにした。
知り合いに見られることも気にせず、会場に行き、お小遣いを気にしながら屋台を回った。それから買ったものを手に、混み合う会場から少し離れた場所で花火を見ることにした。
花火が始まるのを待ちながら、メアドの秘密を聞いて、付き合いだしたことを親にどう話すか、友達には夏休み明けに打ち明けようだとか話した。
花火が打ち上がりだすと、ハルちゃんと手を繋いだまま同じ空を見上げた。たまに隣にいる花火に照らし出されたハルちゃんの横顔を見た。
そして、手に温もりだけを残して、ハルちゃんはいなくなった。
今、俺はひとりで花火を見上げている。色鮮やかなはずなのに、俺の目には色褪せて見える。
世界は君の存在を奪い去り、俺からは存在する理由を奪った。
ふと手に懐かしい感触を感じた。驚くより先に、手に心に温かさが馴染んでいく。当たり前にそこにあって、そして、ずっと求め続けてきたもの。
隣にはあの日の続きのように花火を見上げる浴衣姿のハルちゃんがいた。
「ハルちゃんは変わらないね」
「ユウくんは少し背が高くなった?」
「かもね。あれから十年だからね」
「そうなんだ」
「うん。ハルちゃんがいない世界はつまらなかったよ」
「そう? 私はずっとユウくんを想っていたよ」
「ありがとう。あの日、ハルちゃんとずっと一緒にいれたらって、神様にもこの空にも願ったんだ」
「私はこのまま時が止まればって思った」
「今度は何があってもこの手は離さない」
「ユウくん、いくつになっても私のこと好きすぎない?」
ハルちゃんの声は嬉しそうで同時に悲しそうで。
「ハルちゃん、浴衣似合ってる。かわいいよ」
「ありがとう」
次の瞬間、体が軽くなった。いつの間にか俺はあの日と同じ甚平を着ていて、ハルちゃんとふたり、手を繋いで花火を見上げていた。
――次のニュースです。
昨夜未明、身元不明の遺体が発見されました。遺体が見つかったのは――――
君の存在という悪魔の証明(短編版) たれねこ @tareneko
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