第7話 平穏
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人とモノが減って、東京の冬は年々寂しさを増していく。こうして布団からなかなか抜け出せないのも、人口密度が減ったことで気温が下がったからだ。などと、まことしやかに囁かれている都市伝説を信じるわけではないが、リサはかれこれ二十分も布団のなかで丸くなって今日という日への抵抗運動を続けている。
「リサ、起きて」
「うぅん」
肯定とも否定ともとれぬ返事を繰り返していると、軽やかな足音がだんだん近づいてきた。
「ほら、起きて。朝ご飯できてるよ」
リョウコはリサの耳元で声を張り上げた。騒音注意のアラートが閉じた瞼の裏側にポップアップする。
「もう少ししたら起きるから」
「さっきも聞いた。ほら、起きろ」
リョウコは布団を剥ぎ取ると、リサの手を無理やり引っ張って事務室まで連れていく。応接用のテーブルにはすでに三人分の朝食が所狭しと並べられていた。ベーコンエッグにサラダ、トースト、そして濃いめに淹れられたコーヒーはすべてトオルが用意したものだ。幼いころ、不在の母に代わって食事をつくっていたという彼は、いまや山本ハンター事務所の立派な料理担当だ。いっぽう、料理がからきし駄目なリサは皿洗い担当に落ち着いている。
三人で朝食を済ませると、トオルの車でリョウコを学校まで送っていく。いまどき新宿界隈に小学校が残っていることにはしょうじき驚いた。しかも、区立の小学校である。このあたりは行政に見捨てられて久しいと思っていたが、まだほんの少しばかり思いやりの精神が残されているらしい。
リョウコを学校に行かせたほうがいい。そう言い出したのはトオルだった。リサにとって学校とは地獄の同義語で、そんなところにあえて自分から通う必要などないと思っていたが、トオルは違ったようだ。いちど学校に行ってみて、嫌だと思ったらやめればいい。行くまえから嫌なところだと決めつけてしまうのはもったいない。というのが彼の意見だった。
リサにしてみれば、トオルからそんなしごく真っ当な意見を言われるなどとは思ってもみなかった。確かに、リサにとって学校は地獄でも、リョウコにとって同じだとは限らないのだ。それにリョウコだって、このまま事務所に引き籠もっていては以前と何も変わらない。ただ居心地のいい電能組に引っ越したのと同じになってしまう。そう思い至って、リサもまたリョウコに学校へ行くことを勧めたのだった。
「もし馴染めなかったらって不安だったが、どうやら杞憂みたいだな」
トオルは運転席の窓枠に肘をつきながら、駆け足で校舎に入っていくリョウコを見つめている。
新宿は治安がよくないから、登下校は必ず保護者同伴でなくてはならない。朝、笑顔でリョウコを送り出し、夕方に笑顔で迎える生活は、賞金稼ぎの殺伐とした日々のなかで特別な営みになっていった。
「私たちは学校にいい思い出が少ないからね。神経質になりすぎてるのかも」
初めは登校を億劫がっていたリョウコも、一週間が経ったころには学校でのできごとを楽しげに話すようになった。いまでは仲のいい友達もできて、家に帰るなり仮想空間で待ち合わせてよく遊んでいる。
「授業参観に運動会。忙しくなるな」
トオルは苦笑いを浮かべる。リサは学校から送られてきた年間行事一覧のファイルを眼前に展開した。そういえば、母は授業参観にも運動会にも、卒業式にさえも来てくれなかったな。ふとそんなことを思い出した。あのころ、リサは一人ではなかったが独りだった。母の生活の中心は男であり、その次にギャンブルで、リサは単に血縁という引力に引っ張られながら母の周囲を回っている衛星に過ぎなかった。
「行事にはなるべく参加しましょう。それと、お姉さんの件も何とかしてあげたいわね」
「その件だが、電能組の周辺を探っても下川ミキの名前は出てこなかった。いちおうフロント企業が経営してる店も当たってみたが、それらしい人間はいなかったな」
「じゃあ、北川の言葉は本当だったってことね」
少なくとも、ミキがリサのように新宿の夜に沈められたわけでないことは確かだろう。
「彼女、生きてると思うか?」
「わからない。でも、探してあげるべきだと思う。生死がどうであれ」
リョウコは実年齢よりもはるかにものを知っており、察しもいい。リサが電能組から戻ってきたとき、彼女の顔をひと目見ただけでリョウコは何があったかを理解していた。あの人たち、いなくなったんだね。その言葉とともにこぼれた涙には、大人たちが想像するよりはるかに複雑な思いがこめられていたはずだ。
生き別れた姉のことにしても、リョウコは口には出さないが、おそらく最悪のケースを想像しているだろう。はたして姉の居場所を探すべきなのか、リサにはわからない。捜索の末に、最も残酷な結末が待っていたとしたら、それをリョウコにどう説明しよう。しかし、どんな結果が待っていたとしても、リョウコにはそれを知る権利がある。ならばリサは、知る機会を奪うのではなく与える者であるべきだ。
「人助けに人探し、か。ハンターというより何でも屋だな」
「なら、いまからでも看板を変えましょうか」
笑いながら窓の外に目を向けると、クリスマス用の装飾ホログラムが街路灯にぶら下がっているのが見えた。今年は二人分のプレゼントを用意しないと。リサはカレンダーアプリを開いて、週末に買い物の予定を入れた。
ポエトリ 屑木 夢平 @m_quzuki
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