隣の席の一ノ瀬さんは劣等生。

あるかろいど有機

隣の席の一ノ瀬さん

にわかには信じがたい話をしよう。


天姿国色てんしこくしょく」とか、「明眸皓歯めいぼうこうし」とか。そんな絶世の美女を讃える褒め言葉すら安っぽいと下せるくらいの美貌の持ち主が、隣のクラスに存在するのだ。


そんな話を小耳に挟んだ我々二次元オタクは、揃って鼻で笑うだろう。


「俺の嫁のほうが可愛いが」と。


_そうなると思っていたんだ。



ここまで一息でまくし立て、大きく息を吸った後にこう言った。


「はぁぁあ何だよあれ!?可愛すぎるだろ一ノ瀬いちのせさん!!反則だ反則!!」


ある種変態的なセリフを吐いたと思えば俺の目の前で身をよじり、イモムシさながらの気持ち悪い動きをしているこいつは今田大輝いまだだいき。残念ながら唯一の親友ってやつだ。


「なぁ、はやともそう思うよな?」


その問いについてしばらく考え、口を開く。


明眸皓歯めいぼうこうし、ってのはちょっと違うんじゃないか?あくまで語源の話になって申し訳ないが、もとは楊貴妃の美貌を形容したものらしいぜ。一ノ瀬さんはそういうファム・ファタル的な美人というより純情な乙女って感じで可愛いだろ。さてはお前にわかか?」


たったの数秒間が長く感じられるほどの濃ゆい沈黙の空気が二人の間に流れた。さっきの熱はどこへやら、すんと表情の抜け落ちた大輝が言う。


「俺はお前のガチ勢っぷりと無駄に豊富な語彙の方が気持ち悪いよ。ちょっと前まで興味ないですけど?みたいな顔してたくせに、とんだむっつりスケベじゃねぇか!」


いろいろと心外極まりないが一つ言わせていただこう。


「急に落ち着いてどうした、賢者タイムか?」


違うわ、などとほざき倒している奴は放っておいて話を戻そう。大輝の述べた通り、ほんの数週間前までは全くもって興味がなかったのだ。……断じて嘘ではない。なぜなら自分のような日陰者には関わる機会なんて訪れないと信じて疑わなかったからだ。しかし、そんな俺は大きな誤算をしていた。運が良ければ状況ができるが思考の外にあったことだ。



そう、あれは俺たちが高校二年に進学してから初めて席替えでのことだった。


「私、一ノ瀬あまね。よろしくね桐生きりゅうくん。」


ぷるぷるとした桜色のくちびるをたおやかに動かしそう告げる彼女。不覚にも俺は一瞬見とれてしまった。しかし同時に噂ほどでもないとも思った。


「一ノ瀬さん、こちらこそよろしく。」


初めて交わした会話はとても味気ないものだったが、俺は確かに他の男から嫉妬しっとの視線が向けられていることを感じ取っていた。一ノ瀬さんの隣の席、というのも案外悪くないかも知れない。


密かに優越感ゆうえつかんに浸っていた俺を現実に引き戻すチャイムの声がする。


俺はいそいそと次の授業の準備を済ませ、机に突っ伏して意識を落とした。



そして始まる数学。ノート、黒板、そして歳の割に随分と薄い教師の頭の3点へ視線を順繰じゅんぐりに移動させ、板書をする。ルーティーン化されてどこか退屈な作業だが、ふと俺の思考にノイズが走る。


がさごそと物を探る音、小さなうめき声。ここまで鮮明に聞こえるということは……。


俺はふと隣を見る。


一文字たりとも書かれていないまっさらなノートに、落書きまみれの教科書。そして、くしゃくしゃになった提出用のプリント。ちなみに何故か解法まで完璧で全ていびつな丸がつけられていた。


この時俺は、庇護欲ひごよくの真髄を理解したと同時に、一気に世界が色づいた錯覚に陥った。彼女が次に発する言葉を、まるで親鳥に餌を与えてもらうひなのように今か今かと待っていた。


潤んだ瞳、羞恥で微かに染まった頬、口を開いて天使一ノ瀬さんはこう言った。



「み、見ないでえぇ……」

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隣の席の一ノ瀬さんは劣等生。 あるかろいど有機 @SSR_dayo

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