キミと花火に

真朱マロ

キミと花火に

「少し時間をもらえないかな?」


 突然、早足で図書室に入ってきた人は小さなメモを差し出して、私の隣に座るなり小声で問いかけてきた。

 その時、私は手元の課題に集中していたので、小さく飛び上がってしまった。

 思わず「誰?」とか「なに?」とか言いかけたけれど、ここが図書室だと思いだして口を手で押さえる。

 冷房が効いているから放課後に図書室で勉強をする人も多いけど、個人利用が多いので声をかけられるなんて想像もしていなかったのだ。


 静かに、静かに。声を出すにしても小声でないと。


 ドキドキする心臓も押さえながら、隣に座った人をしげしげと見つめてしまう。

 やっぱり「どうして?」と問いかけたくなる人だったから、現実だと認識できるまでパチパチと忙しく瞬きしてしまった。


 生徒会長の長谷川君だった。

 同じ学年で、さらにいえば同じクラスでもあるけれど、挨拶を交わす程度でそれほど親しくない。

 大人っぽい言動と落ち着いた物腰が頼れる感じがすると、女子の間では隠れファンが多い。

 校内で一番成績のいい生徒に質問されても、私に答えられる分野があるとは思えないし。


 展開についていけない私がずっと無言だったからじれたのだろう。

「君にはこの意味がわかるかな?」

 骨っぽい指先がそっと押しだしたメモに視線を落とすと、几帳面な文字で短い文章が書かれていた。


【友達と出かけて、恋人と帰ってきた。

     #花火に行きたくなるキャッチコピー】


 え? と首をかしげるしかない。

 花火大会に興味を持たせるための、よくある誘い文句だけれど。

 この意味がわかるかって、どういう意味だろう?


 真剣な顔をしている長谷君には悪いけれど、これのどこが理解できないのか、私にはそこがよくわからなかった。

 詳しく話を聞こうと思ったけれど、ここが図書室なのを思い出した。

 雑談をしていたら他の人に迷惑をかけてしまう。


「よかったら場所を変えて、詳しい話を聞かせてもらえる?」

 小声でそっと提案したら、長谷川君は素直にうなずいた。

「帰りながら、話そう」


 玄関で待っていると付け足すと立ち上がり、そのまま図書室から出て行った。

 私はその背中を見送って、さらに疑問を深めてしまう。


 帰りながらって、教室では話せない内容なのかな?

 人望はあるけど真面目な人だから、もしかして恋のフレーズが恥ずかしいとか?

 確かに中学生の私たちにはピンとこない部分があるかもしれないけど、キャッチコピー一つであんなに深刻な顔をしなくてもいいのに。

 でも、私にとっては大したことなくても、きっと彼には大問題なのだろう。


 あれこれ考えていても仕方ないので、急いで荷物をまとめると私は図書室を後にした。

 トントンと階段を下りて玄関にたどりつくと、すでに長谷川君が待っていた。

 靴を履いて出入り口のすぐ外にいる。

 そしてなぜか、同級生の赤城君に肩をバンバン叩かれていた。


「お前、頭がいいんだか悪いんだか、ちっともわかんねーな」


 ケラケラ笑っている赤城君があまりに楽しそうだから、思わず足が止まってしまう。

 陽気でお人よしの赤城君はいい人なのだけど、誰かれ構わずマシンガン速度のハイテンションで話を振ってくるから、少し苦手だった。

 どんくさいといわれる私には、彼の生きる速度は早すぎるのだ。

 どうしよう? と思っていたら、当の赤城君が私に気がついた。


「ごめんね、須藤さん。俺がこいつをけしかけたから……色々教えてやって」


 なんだか保護者みたいな言葉を残したうえに、長谷川君の顔を見るとブホッと吹きだして、だけどそれ以上は何も言わず「じゃぁな」と先に帰ってしまった。

 遠ざかる背中が思い切り震えているので、笑いが止まらないのだろう。


 いつもながら台風みたいな人だと思いつつ、不機嫌そのものの長谷川君に近寄るのは少し勇気が必要だ。

 声がかけづらいなぁと思っていたら、フッと長谷川君は一つため息をついて「帰ろうか」と言った。

 その目は赤城君の背中を睨みつけていたけれど、ちゃんと私に向けての言葉だとわかったから、うんとうなずいた。


 歩きだしても、しばらくは無言だった。

 どう切り出せばいいのかよくわからないし、私は長谷川君と歩調を合わせることで精いっぱいだった。

 めったに話さない人と一緒に帰るなんて、知っている道なのになんだか落ち着かない。


「君は、あのキャッチコピーの意味がわかる?」

「きいていい? 長谷川君はどんなふうに考えたの?」


「ひどい奴だと思ったよ。約束して一緒に出かけた友達をほったらかしにして、お祭りで会った恋人とすごすなんて。それなら最初から恋人と二人で出かければいいだろう?」


 え? 私は思わずその横顔を見つめてしまう。

 それは大きな勘違いだ。

 長谷川君はもしかして、一緒に出かけた友人と恋人が、同一人物だと気がついてない?


 声には出さなかったけれど、ちらっと私を横目で見た長谷川君は軽く肩をすくめた。

 私の表情で考えていることを読みとったのだろう。

 目に見えて表情が陰ってしまった。


「僕の勘違いは史上最強で、笑いすぎて腹筋が六つに割れるとまで言われた。だけど、どこを間違えているのかすら、僕にはわからないんだよ」


 それがあまりにさみしげな口調だったから、ちょっぴり胸が痛くなった。

 頭のいいとっつきにくい人だと思っていたけれど、長谷川君は想像していたよりナイーブなのかもしれない。

 赤城君らしい発言だけど、ゲラゲラ笑いながらのその言葉は、確かにひどすぎると思う。


 長谷川君は勘違いしているけど、言葉通りに受け取っただけで、きっと真面目すぎるのだ。

 これが恋の始まりのフレーズだとすら、気付いてない。


 好意を持っている異性の友達を花火大会に誘って、夜空に大きく開いた満開の花火の下で告白して、両想いの恋人同士になって帰宅する。なんてこと、思いつきもしないのだろう。


 どんなふうに説明すれば上手く伝えられるかな?


 キュッと私の気持ちが長谷川君に惹き寄せられたとき、彼は立ち止って私を見つめた。

 私も立ち止まって、彼の視線を正面で受け止める。

 少しも迷いがない眼差しはまっすぐで、長谷川君は怖いぐらい真面目な顔をしていた。


「わからないことを知りたいと思うのは普通だろう?」

 うん、と私はうなずいた。その気持ちはわかる。

「だから須藤さん。来週末の花火、一緒に行ってもらえないかな」

 え? それはわからない。


「私と花火に? どうして?」


 確かに来週は大きな花火大会があるけど。

 急な誘いだったからものすごく驚くしかない。

 私の動揺をよそに、長谷川君はどこまでも真面目だ。


「気になる女子を花火に誘えば、いくら俺でもキャッチコピーの意味がわかると、赤城の奴が」

「それが、私?」


 赤城君、真面目な人をそそのかすなんてひどい。

 からむ視線にドキリとしたけど、長谷川君はサラリと言った。


「僕より国語の成績がいいのは須藤さんだけだし、教室でもよく本を読んでいるだろう? 国語も君にだけは勝てそうにない。だから、このキャッチコピーの意味がわかる女子は誰かと考えたとき、君の顔が一番最初に浮かんだんだ」


 ガクリ、と私は自分の思い違いに倒れそうになった。

 いやいやいやいや……長谷川君。

 確かに私、国語の成績だけはいいけどね。

 本当に、これは思い違いや勘違いを起こしやすい内容だと思うけどさ。

 それ、赤城君の言った「気になる女子」の意味そのものを、ものすごく間違えてるから。


 赤城君ったら、こんな真面目な人をそそのかすって、ダメでしょう!

 あのニヤニヤ笑いの元はこれだったのかと納得できたけれども。

 ひどい。ものすごくひどい人だと思う。


 しかし、である。

 長谷川君は、そこまで言われてもわかってないし。

 花火に行くのは、全然、まったくもって問題ないし、私の気持ち的には長谷川君がスッキリした顔で笑ってほしいけどさ。

 ここで、うんってうなずいたら、長谷川君と一緒に私まで、赤城君にからかわれるんだろうな。


 からかわれるのは嫌だけど、長谷川君に八つ当たりをするのも何か違うし、気持ち的には助けてあげたい。

 でも、赤城君の思惑に振り回されるのは、かなりモヤモヤする。

 どうしたものかと返事に迷っていたら、長谷川君はクシャリと表情を崩して照れ臭そうに笑った。


「それにさ。僕がバカな間違いをしても、須藤さんはからかったり笑ったりしないだろう? だから、相談しようと思ったんだ」


 ここで、そんな事を言うのは、ちょっと狡くないだろうか?

 本気で言っているのがわかるから、息が止まりそうだ。

 さほど話したことも無いのに、その信頼ってどこから来たの? なんて、尋ねる隙間もないぐらい透き通った眼差しだった。


「君はそこがいい。」


 はにかみながら当たり前の調子で、長谷川君がサラリと断言するから、私は反射的に答えていた。


「いいよ、来週の土曜日、一緒に花火に行こう」


 声にすると、変に度胸がついた。きっと、これで正解。

 好きとか気になるとか、そういう気持ちはまだわからないけど。

 嬉しそうな笑顔を見るのは嬉しい。


「一緒に花火に行って、長谷川君がどんなに考えてもわからなかったら、私がキャッチコピーの意味を教えてあげる」


 ありがとう、と長谷川君は爽やかに笑った。

 ちょっとだけドキドキするけど、長谷川君の気持ちは、私とは違う。

 きっと長谷川君は一緒に花火に行っても、あのキャッチコピーの意味がわからない人だと思うけれど。

 でも、たぶん、今よりももっと彼に近づける気がする。


 浴衣を着て、屋台を回って、花火を見て。

 あのキャッチコピーみたいに、一緒に帰ろう。


 今は花火の予定を語りながら、肩を並べて歩いてみる。

 きっと、それでいいのだろう。



【 おわり 】

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