三毛猫

@Akane-A123

疑念

敷田市は駅前のビル群とそれを囲むように団地が広がる中都市である。2,3個のバス停に待合の人は少なく、音読できるか怪しい文字列が生暖かく光る昼下がり、私は駅ビル7階、とある衣料店のショーケースの前に立っていた。柄物の長袖が、未だ8月下旬の猛暑日に売りに出されているのを見て、世間の先へ先への志向と逆行する己とのギャップに季節が巡るのを感じる。ふと見上げると目線の先にはオシャンなペンダントが飾られている。可憐な面持ちながらどっしりと存在感があるこの装飾品に、いつの間にか手が伸びた。(いくら持ってたっけ)一目惚れをした私は、値札を探すよりも先に財布を持っているか心配になり腰のあたりをまさぐってみる。……手先に触れるものは感じない。そもそもなぜここに来たのか、所持品も目的も持ち合わせていなかった自分に頭の上ではてなマークが舞う。溺れていたような淡い靄に包まれていた意識が、段々とはっきりしてきた。色々思い出してきた。僕は昨日の深夜、いつも通りに仕事から帰ってきた。待つ人もなくつけっぱなしの常夜灯が迎え入れ、家の鍵を閉めベッドになだれ込んだ。ここのところ終電帰りで寝る間のない日々を過ごしている。職場と自宅とを行って戻るだけの生活に嫌気が差してきた頃だ。上司には理不尽に嫌味を言われているしデスクのパソコンのファンで耳栓をしていないとまともに業務ができない。さて、私の名前はなんであったか。昨日までの記憶は確かにあるのに、自分の名前や顔や声がどんなものであったかを思い出せない。建物をあとに、自動ドアを抜ける。すれ違う人々と妙に目が合い多少の気まずさを覚えながら帰宅する。この街は不思議だ、四つ角を抜けた途端田園が広がり田舎となる。田んぼ道の側溝は古く、ところどころ地割れを起こしている部分がある。大都会敷田市は、駅前から市内を直線移動するだけでIターンができる。これは皮肉ではない。日が傾き始め自分の影が大きくなっていく。8月下旬の季節感にしては陽の光が傾き過ぎているような気がしたが、とにもかくにも自宅へと向かわなければいけない。徒歩15分ほどで片目に写ったのは、100円玉が転がった自販機と野球場のネット、断線したままになっている電線。今日はなんだか細かい部分にまで目が向けられているような気がして嬉しい気持ちになる。T字路にぶつかると同時に舗装されていないアスファルトに移り変わった。(ここを右、だったよな)。自信を持てないことに自分でもキョトンとするも、身に染み込んだ退勤路を誤るはずはないので己を信じる。左肩に蝶々が留まりちょっかいをかけてくる。体がよじれるがこらえて足を進める。懐かしい景色だ。もう一つ通りを越えると神社が見えてくる。その神社には猫がたくさんいる。地元では、この場所へ参詣すれば猫神様が宿るという伝承が根強く残る。(昔からよく遊んだな)。ふけっている間に敷地へと着いた。鳥居をくぐると老い若き実に様々な猫が出迎えてくれる。茶トラ、黒ブチ、ハチワレ、軽く20匹は超えていると思われる。そのうちの一匹が近寄ってきて足を撫でてくる。私は猫アレルギーだ。当然触れてほしくないわけで、なるべく攻撃はしたくないが苦闘する。足を振りほどこうとするも何度も何度も顔を擦り寄せてきて離れられない。大きな声を上げて威嚇するも、効いていない様子だ。……しぶとい野郎だと思う。どうにかして仲間の猫も群がってきた。(猫神にでも憑かれているのか?)。不気味さを感じた僕は毛玉のようになった猫らを押しのけ神社から出る。後ろを振り返っても猫たちはいない。狭い道を歩いていく。すれ違った青年が呼んだ気がした、『ミケ』という単語は、誰に向けて発せられた言葉なのだろうか。

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