二人で、幸せになろう


 帰りの馬車はゆっくりと揺れる。

 相変わらず怒涛の展開ばかりだった私には、ちょうどいいゆっくりさだった。

 いつもながらにツッコミどころ満載。なのにそれを許してくれないスピード感。


 そして、窓の外を眺めながらぼんやりと頭の中を整理している私は、なぜか先生にジッと見つめられ続けていた。


 反応せずにいると、ようやく先生が口を開く。


「……なぁ、覚えてたの?」


 何が、とはもう言わなくてもわかる。

 私は外を眺めたままで答えた。


「覚えてますよ」


 ガタン、と馬車が揺れた。

 小石でも踏んだのだろうか。すぐに平坦さが戻り、馬車は変わらずに進む。


「なんで言わなかった?」

「気にしてほしくなかったからです」

「なんで?」

「先生が、私を気にかけすぎてるからです」


 窓の外は街中の景色。

 変わり映えのない同じような建物が続く中で、通りを歩く人達が仲睦まじげに歩いている。友人だったり、恋人だったり、夫婦だったり、家族だったり。


 手を差し伸ばせば、気安く手を取ることができる、そんな仲の人達。

 

「気にかけすぎてちゃダメなの?」

「ダメということではありません。ただ、私は十分に恩を返していただいたと思っているので」


 和やかな表情の人達を見送って、私は虚しくなって窓の外を見るのをやめた。


「一番最初の、先生からのお礼の手紙。嬉しかったです。私は人助けをしたんだって、好きに使っていた魔法で人の命を助けられたんだって、嬉しかったんです」


 そう言うと、先生は目を丸くした。


「最初の、って……だからお前、俺の名前」

「何度も覚えましたって、言ったでしょう?」

「……はは、クソ。騙された。はじめから俺のことわかってたな?」

「もちろんです。それに、覚えていなかったら今、私はここにはいませんよ」


 先生のあの、冗談なのか本気なのかわからない唐突な求婚。一蹴せずに悩んだのは、相手が先生だったからです。


「……なのに、どうして二通目のお手紙には名前がなかったんですか?」


 ちょっとだけ意地悪な気持ちで、逆に問う。


 学院に入学させるということ、あまり私に関わらず、けれど卒業までは面倒を見るということ。卒業したら、ガルシア卿の養子にと思っていたこと。


 なんとなく先生の考えはわかっていて、予想通りに「俺も、お前に気負わせたくなかった」と返ってきて納得した。


 私達はお互いに気をかけて、それでいて見返りを求めずに、どこかでお互いを遠ざけようとしていたんですね。


「俺のことはさ、別に覚えてなくていいと思ってたから」


 そんな投げやりなことを言う先生は、次には「今さらだけど、ごめんな」と謝った。

 どれに対しての謝罪だろうと考えて、思い当たること全部なのだろうなと、私は首を横に振った。


「私の魔法があるのは、先生のおかげですよ」


 でも、と言いかけた先生の言葉を遮る。

 学院で学ばせてくれて、いじめから守ってくれて、折に触れては魔法を見せてくれて、卒業までずっと側にいてくれて。


 望まぬ私が想像した以上の幸せを、先生はすでに与えてくれている。


「それだけで、私は十分だったんです」


 ただ魔法に触れていられるだけでよかった。

 先生がどんなに求婚してこようと、私に好きだと言ってこようと。あしらって流して、私が留めちゃいけない人だとずっと諦めて。


 ……十分すぎるものをもらったから、ずっと十分だと、自分に言い聞かせてきた。


「だから、ありがとうございました。ここまで私を導いてくれて」


 胸に込み上げるものを抑えきれず、私は隠すように頭を下げた。


 ガタン、ガタン、と馬車がまた揺れる。その振動が今はちょうどいい。

 ほどよい雑音が私の涙声をかき消してくれて、逃してしまった涙も見られることはなくて。


 ここまできてしまったけれど、やっぱり私は、これ以上を望まない方がいいと痛む胸に言い聞かせる。


「俺も、ありがとう。俺を生かしてくれて」


 頭を下げ続ける私の肩に、先生が手を置いた。


「……ウェンディ、顔上げて」


 ふるふると首を振って、いくつも落ちてしまっていた雫に気づかされる。とっくに私の服には、涙の跡がいくつもできていた。


 肩に置かれた手がぐっと私を押して、あっさり泣き顔を暴かれてしまう。


「泣くなよ。どうしたんだ? そんなに泣かれると、あとはお前の気持ちを落とすだけだな! とか言えないじゃん」


 先生は眉を下げて笑って、私の涙を拭ってくれる。

 どれだけぽろぽろと零しても丁寧に丁寧に拭い取ってくれて、和らいだ瞳が私を見守ってくれていて。


 たまらず、頬に添えられた先生の手を掴んだ。


「――どうして諦めてくれないんだろうって、私は十分に恩を返してもらったんだから、もういいのにってずっと思ってて。なのに、先生がしつこく言い寄ってくることも本当は嫌じゃなくて。流されるままにここまできて、本当に、いいのかなって」


 堰が越えて止められなかった。

 震える声は聞き取りにくいのに、先生は優しく頷いて聞いてくれる。


「ダメなんじゃないのかなって、諦めたいのに、先生を諦められなくて」


 先生の手にも、それを握った自分の手にも、涙が伝っていく。


「諦められなくなっちゃった……」


 消え入る声をしっかりと聞き取ってくれた先生は、穏やかに微笑んだ。

 頬に添えられていた手が、私の掴んだ手の中から抜き取られる。そのまま私の腕を取った。


「こっちおいで、ウェンディ」


 引かれるままに、先生の膝の上に乗せられるとぎゅっと抱きすくめられた。

 私の零した涙が先生の肩口に吸い込まれていく、そんな距離。ひそめた先生の声が、私の耳をかすった。


「お前からそんなことが聞けるなんて、思ってもみなかった。嬉しー……」


 先生はぎゅうぎゅうと私を抱きしめて、そして深く息を吐く。


「俺はもう決めたから、諦めろって言っただろ? お前はただ俺の求婚に頷いておけばいいって。諦めるも何も、お前はそもそも俺から逃げられないんだよ」

「……――でも、先生の気持ちは」

「気持ち?」


 先生は不思議そうに首を傾げて、それから「もしかして疑ってる?」と。

 私は素直に頷いていいのかわからず、止まらない嗚咽に体を震わせていれば、先生はわざと低くしたトーンで囁いた。


「……じゃあ、キスするけどいい?」

「ダメ、です……」


 それはさすがにちょっと私の心臓がもたなそうだと振り絞って否定すれば、先生はふっと小さく吹き出した。


「一番手っ取り早いんだけどなぁ」

「ダメです……」

「疑いようもなく気持ちが伝わるだろ?」

「……ダメです」

「それ、照れ隠し?」

「違います……」

「俺はお前としたいと思ってるよ」


 驚いて嗚咽が止まった。

 最初の求婚と変わらずストレートな先生の告白なのに、どこか繊細であの頃にはなかった甘さを含んでいる。


「それが、俺の本当の気持ちだよ」


 私に向ける声がただただ優しくて、愛しいとばかりに抱き寄せて、先生の体が私以上に熱くなっていて。

 もう疑いようもなく先生のすべてを知ってしまった私は、自然と想いを口に出した。


「……私はもう、ずっと前から先生のことを好きでした」


 絡まり合った過去がようやく解けて、一つの道となれば、行き着く先には同じ気持ちがある。

 遠回りし続けた私には、その告白が唯一で精一杯だった。


 先生は「やっと素直になったな」と困ったように笑う。


「お前のこと、幸せにするから。絶対に幸せにするから。二人で、幸せになろう」

「――はい」


 腕が緩んで、間近で見つめ合う。

 瞳から溢れそうな私の涙に、先生が口付けた。わっ、と思う間に前髪を分けられて、おでこにも口付けをされて。


は大事だから、もうちょっと先にとっとく」


 私の唇をふにふにと指でつついた先生は、私よりも幸せそうに目を細めて微笑んだ。



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魔法学院の一流クズ教師が求婚してくる理由 猫じゃらし @nekokusa222

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