四季を駆ける
中里朔
(=^・・^=)
なんだ、幼稚園とやらは終わったのか?
もうしばらく座布団の上でのんびり寝ていたかったんだがな。
では、ボウズが着替えている間に、どこかへ隠れるとするか。
あ、いかん。冷蔵庫の陰に隠れていたのに、早くも見つかってしまった。
そんなに強くつかんだら痛いのだぞ。もっと優しく触ってくれ。なにしろ
いたたた……。
尻尾を強くつかむでない。
これが大人の人間であれば猫パンチでも見舞ってやるのだが、某より十三も年下の幼児には手を出さんと決めている。
老いても男気のある猫と自負しておるからな。我慢、我慢。
「トラさんを苛めちゃダメよー」
さすが母上。すぐに助け舟を出してくれる。
なにしろ母上がボウズと同じくらいの年齢だった時代からの、それは長い付き合いであるからな。お互いの心情はよく理解しておる。
でもな、茶トラ猫だから『トラさん』という安直な名前は、今でもあまり気に入ってはおらんのだ……。
ぽかぽかとした陽が心地よいなぁ。
某はこの季節が一番好きだ。ふかふかの若草は香りもよくて、昼寝をするには最高なのだ。
ほほぉ、近くにお経を唱える鳥がいるのか。「法華経」と鳴いておる。
ん? 鳥かと思ったら、白い蝶に化けたか。お前さん、どこから来た?
ひらひらと某の頭上を飛び回っているが、「じいさん、捕まえてみな」とでも言いたげだな。
獰猛な肉食獣だって、無駄な狩りはしないのだぞ。
さぁさぁ、向こうの花壇でミツバチと遊んできなさい。
庭にヒマワリという、黄色くて大きな花が咲いた。
いつも太陽を見ているが、眩しくはないのだろうか。
某はもともと夜行性だから太陽が苦手なんだ。それにジリジリと灼けつくような暑さ。陽に当たっていたら黒猫になってしまいそうだ。
どこか涼しい場所を探さねば……。
おっ、ボウズがセミを捕まえてきたな。自慢げに見せつけなくても、頑張ったのはその汗を見ればわかるよ。
某だって若い頃はネズミを捕まえて、これまた若き日の母上に献上しにいったものだ。それなのに、悲鳴を上げてネズミごと外へ放り出されたがな。
幼稚園から帰ってきたボウズが、ポケットから取り出したものを某の前に転がした。
ふんふんとにおいを嗅いでみる。なるほど、これはドングリという木の実だな。
某への土産か? 悪いが固いものは食えんのだ。
ふいっと横を向いたら、ボウズは某の頭にドングリを乗せてくる。ひとつ、ふたつと……。
やれやれ。少しくらいはボウズの遊びに付き合ってやるが、いくつ拾ってきたんだ?
転がり落ちてしまうから、じっとしているのも大変なんだ。
今度やる時は、もみじの葉っぱくらいにしてくれんかな。
夕べからだいぶ冷えると思ったら雪が降っていたのか。
それも珍しく大雪だ。いつも見る景色が真っ白じゃないか。
悪戯好きのボウズが母上の目を盗み、ドアから出ていった。
おい、大丈夫か? 雪の日は寒いんだぞ。
ガラス窓から外を覗いてみると、ボウズはスコップを持って庭に佇んでいた。
屋根から落ちた雪だまりに、穴でも掘るつもりなのだろう。
人間の子供というのは、なぜか山があればトンネルを作りたがるのだ。
トンネルは某も興味があるけれど、冷たい雪のトンネルより、温かい炬燵のトンネルが好きだ。
どれ、炬燵で温まるか……。
ボフッ――
大変だ。
掘っていた雪のトンネルが崩れた。ボウズも埋まってしまった。
ガラス窓からは出られない。ボウズが外へ出たドアへいってみるが、こっちも閉まっている。頭で押したくらいでは開きそうにないな。爪を立ててドアを引っ掻いたら開くか?
「どうしたのトラさん?」
よかった。ガリガリ引っ掻く音に母上が気付いて、ドアまでやって来た。
「フニャー!(早く開けてくれ)」
「お散歩にいくの? 外は寒いわよ、ほら」
ほんの少し開いたドアから冷風が入り込んできた。
さ、寒い……。でも行くしかない。
鼻先を突っ込んで、顔でドアを押し広げ……。んんーっ……、無理。
も、もうちょっと開けてくれないと通れないんだが。
部屋にボウズの姿がないことに、母上も異変を感じたのか、ドアを開けて一緒に外へ飛び出す。
降り積もった雪に、体ごと埋まりそうだ。ウサギのように飛び跳ねながら疾走し、ボウズがいるところへ向かった。
小さな雪だまりだったのが幸いし、ボウズは雪山の中から顔だけ出してキョトンとしている。
また春が始まる。庭に花が咲き、緑の葉が芽吹いてきた。
ボウズは相変わらず悪戯っ子で、某の尻尾を執拗につかもうと追いかけてくる。
ここのところ俊敏に避けることができなくなって、すぐにつかまれてしまう。
年のせいだな……。なんて思っているうちに、食欲もなくなり、毛並みもぱさぱさとした感触になっていた。
動くのも億劫で、けだるい毎日をほぼ寝て過ごすことにしている。
母上の声に目を覚ますと、不覚にもケージに入れられてしまった。それから病院という変なにおいのする場所へ連れていかれる。
見知らぬ人間にあちこち触られても、もはや某に抵抗する元気はない。
そうか、ここで生涯を終えるのだな。
死期が近いことはなんとなくわかるものだ。
母上と見知らぬ人間が長いこと話している。
再びケージに入れられ、意に反して家まで戻ってきた。
悪戯ボウズが某の体をなでる。いつもとは違い、優しくなでる。
母上も声をかけながらなでる。
父上が帰ってきて、またなでられた。
その日の夜遅くに寿命が尽きた。
すっかり冷たくなった某の周りに、三人が集まっているのがわかった。なぜか耳だけは聞こえていたのだ。
最期のお別れをしなさいという神のおぼし召しだろうか。
寝る時間はとっくに過ぎているはずだが、ボウズだけがいつまでも話しかけてくる。
生前、このボウズには手を焼いたものだ。しつこいくらいちょっかいを出してくるので、某はできるだけ近寄らぬようにしていた。
老いた身では一緒に遊べるほど体力が持たんのだ。仲良くしてやれずにすまんな。
ニャ(達者でな)……
「ママ! ママ! トラさんが鳴いたよ。まだ生きてるよ。病院へ連れていって」
諦め切れない息子をなだめる母上の言葉が、最後に聞こえてきた。
「きっとお別れをしたのよ。また会おうねって。そうよね、トラさん」
四季を駆ける 中里朔 @nakazato339
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