第一章 戦争への道

ヒトラー首相就任演説

 1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーがドイツ国の首相に任命されたという報せが私の耳に入ったとき、ベルリンの冷たい冬空を仰ぎ見ながら、一抹の不安と期待の入り混じった奇妙な感情がこみ上げてくるのを感じた。第一次大戦に敗北して以来、我々の祖国はワイマール共和国という試行錯誤の体制のもとで混乱をくぐり抜け、国内は深刻な不況と政治的な対立に苛まれてきた。そんな状況で突如として躍り出たナチ党とヒトラーの存在は、ある者にとっては混乱を鎮める救世主、またある者にとっては未知なる危険そのものと映ったに違いない。


 私の名はハンス・ベルンハルト。ドイツ国防軍の少佐として、祖国ドイツの軍務に長く携わってきた。ヒトラーが首相に就任したとき、軍の一部には「これで共和国の不安定な政治が終わり、秩序が取り戻されるのではないか」という淡い期待があったことは事実だ。しかし同時に、「新政権がどのような道を選ぶのか、そしてそれは国を再び戦争へと導くのではないか」という疑念も、私を含め多くの将兵の胸中をよぎっていた。


 ワイマール共和国は、民主的な制度を掲げながらも、もともとドイツ社会に根を張っていた保守層や軍部の影響力を完全には排除できなかった。そんな中、ナチ党は巧みに大衆の不満を汲み取り、総選挙で議席を伸ばし続けた。ヒトラーが首相として政権の頂点に立ったことは、私にとってある種の転換点だった。それまでのドイツは、第一次大戦の敗北とヴェルサイユ条約の屈辱による不満を抱えながらも、再び国際社会の信頼を得ようと模索していた。しかし、ヒトラーの登場は「このまま共和国体制を維持しても、フランスやイギリスの顔色をうかがうばかりではないのか。ドイツが再び栄光を取り戻すには、はっきりと強い政策を取るべきなのではないか」という空気を生み出したのである。


 それから程なくして成立した全権委任法――国会の立法権を実質的に政府が握ることを許すこの法律が、ヒトラーに強力な権力基盤を与えたとき、私は内心「独裁政治の道が開けてしまったのか」と感じずにはいられなかった。町を行き交う市民の多くは、新たな政権に期待を寄せる者もいれば、明らかに不安げな面持ちを浮かべる者もいて、その温度差が妙に生々しく、私の胸にざわめきを残していった。私自身は、ドイツ軍人として政治に強い関与をする立場にはない。だが、国家に仕え、その命を預かる一員として、国の舵取りがどのように進んでいくのかは看過できなかった。


 やがてヒトラー政権はヴェルサイユ条約によって制限された軍備を密かに拡大する動きを見せるようになり、軍の内部でも徐々に「もし再軍備が現実となるならば、我々の仕事はさらに増大する」という声がささやかれるようになった。表向きにはまだ外国の目を気にしてか、大々的に大軍拡を宣言するようなことはしなかったが、国防省からは一部の企業に向けてそれとなく設備投資を促す通達が下されている、という話を耳にするようになった。クルップやラインメタルといった大企業は、既に軍需向けの製造ラインを再編し始めているという噂もある。もし次の大戦が避けられないものなら、武器や兵器は必然的に大きな需要を生むだろう――そうした読みが現実味を帯びてきていたのである。


 私自身は、1914年に若い士官候補生として戦いに身を投じ、その後の悲惨な塹壕戦や砲撃戦の恐怖を身をもって経験した一人だ。今再び大規模な戦火に祖国が飲み込まれることは、はっきり言って願い下げである。しかし同時に、我々の祖国は大戦後の混乱や経済的苦境からなかなか抜け出せず、国民は誇りを取り戻そうと必死にもがいている。ヒトラーはそれを「強いドイツ再建」という言葉とともに示し、多くの人々の心をとらえてきたのも事実だ。そして、もし戦争の道しか栄光を取り戻す手段がないのだとしたら、私には軍人として命令を遂行する義務がある。いかにそれを望まなくとも、祖国を思う心と軍の忠誠心は簡単には断ち切れないのだ。


 1933年のある日、私が所属する部隊の上官と軍務に関する打ち合わせを終えた後、下士官が私に、「電話がございます。」と語りかけたため、急いで受話器を取ると、聞き覚えのある声が私を呼んだ。声の主はヒャルマル・シャハト。私の古くからの知人であり、優れた経済の知識と手腕を持つ人物だ。彼は政界や財界とも太いパイプを持ち、いつしか「経済の要」として世間に名を知られるようになったが、私にとっては知り合いにすぎない。ナチ党に協力せざるを得ない立場らしいが、それが彼自身の望む道なのかどうかは分からなかった。


 「ハンス、君も知っているだろうが、今ドイツは大きく変わろうとしている。軍備拡張の計画が水面下で進行し始めている。クルップやラインメタルなどの企業との協議が本格化すれば、いずれ政府高官や軍上層部も積極的に動き始めるだろう。私もその一端に携わらざるを得ない立場になっている。君の力も貸してほしい」


 シャハトの言葉を聞きながら、私は胸がざわつくのを感じた。かつて我々が若かった頃、ドイツは欧州大陸の中心で繁栄を謳歌していた。その後、大戦の惨禍を経て、国力は疲弊し、多くの国民が失業に苦しんだ。シャハトはその状況を打開すべく奮闘してきたが、新しく誕生した政権が掲げる強力な政策や軍事指向に彼がどう関わっていくのか、私にはいまいち想像がつかなかった。彼は決してナチ党のイデオロギーを全面的に支持しているようには見えない。それでも、祖国のために、ドイツ経済のかじ取りをまかせるという重責に応えようとしているのだろう。


 数日後、私は国防省の一室に呼ばれた。そこには私の上官と、政府の中枢に近い何名かの高官が揃っており、今後の軍需拡大の構想について協議が行われた。密かに進められているとはいえ、明らかに再軍備を目指す計画であることが伝わってくる。ヴェルサイユ条約によって主力部隊や兵器の保有を厳しく制限されたドイツが、今まさにそれを破棄する勢いで動き出そうとしている。表だって宣言こそしていないが、これは“条約違反”に他ならない。


 とはいえ、軍の内部には大きな変化に対する不安と、高まる愛国心がない交ぜになった複雑な空気が漂っている。第一次大戦の記憶がまだ生々しい将兵は、「再び欧州規模の戦いに突入することなどあってはならない」と考える一方で、「屈辱のまま国を放置していいのか」という声もある。経済不安が続く中、戦争による軍需拡大が国の雇用を生み出す、という考えも確かに存在していた。私の胸には、この二つの感情が絶えず衝突している。平和を願いながらも、ドイツが誇りを取り戻す手段として軍事力を増強することを、表立って否定しきれない自分がいるのだ。


 「我々はもはや時間の問題だと思っています」


 上官は静かな声でそう切り出した。そして、軍備の拡張計画がどれほどの予算を必要とし、その資金調達をどう行うのか、次々と具体策が提案されていく。軍服に包まれた私の背筋は、冷や汗をかくような妙な感覚を覚える。これほど大々的に軍備を整える方向へ進むならば、対外的な緊張は避けられまい。しかもヒトラーの言動からは、力を背景にした強引な外交を行う意図がうかがえる。一度この道を歩み始めれば、いずれ世界を相手に戦端を開くことになるのではないか。そんな暗い予感が私の頭を駆け巡った。しかし、私は軍人である。上官が下した方針のもと、自分に与えられた任務をこなすほか選択肢はない。


 その会議の後、私とシャハトは晩餐を共にする機会があった。彼は経済相とまではいかずとも、財界と政府の仲介役としての立場を強めつつあり、クルップ社やラインメタル社への具体的な投資要請の準備も担っているらしかった。彼はワイングラスを片手に、渋い表情を浮かべていた。


 「軍の現状はどうなんだ、ハンス?」


 私は複雑な思いを抑えながら、できる限り簡潔に答えた。


 「徐々に再軍備の準備が進んでいる。まだ広く公にはできないが、軍上層部もその方向に舵を切っている。クルップやラインメタルとの交渉も本格化しそうだ。君の名前も聞こえてくるよ」


 すると彼は苦笑したような表情を浮かべた。


 「私が望んだわけではないが、放っておけば誰がどう動くか分からん。私としては、ドイツ経済がこれ以上混乱しないよう、最低限の管理をしなければならない立場にいるんだ。もちろん、軍拡と戦争が持つ危険性は十分承知している。だが、私には私なりのやり方で、暴走を食い止めたい思いもある」


 私は何も言えなかった。彼の言う「暴走」とは、ヒトラーを始めとするナチスの独断的な政策のことだろう。いや、もはや独断的という表現を通り越して「独裁的」と言って差し支えない状況に傾きつつある。言論統制や反対勢力への圧力が日に日に強まっているのは、軍内部にいる私の耳にも届いている。もしこれがさらに進めば、ドイツは完全に一党独裁の軍事大国へと変貌しかねない。


 だが、軍隊の人間として私が口にできることは限られていた。祖国のために働く者として、私はひたすら忠誠と服従を誓い、与えられた任務を遂行しなければならない。戦争が避けられないというのなら、私は先頭に立って指揮し、部下たちを守り抜かねばならない。それが軍人としての義務であり、同時に宿命でもある。


 1933年の終わりが近づく頃、すでに全権委任法によって立法府の機能は大幅に制限され、ヒトラーは国内のあらゆる政治権力を掌中に収めていた。突飛な政策が打ち出される度に、ドイツ国内に残る民主的な勢力は声をあげようとするが、その声はスローガンとともに巧みにかき消されていく。国民の多くは、少なくとも表面上はヒトラーを支持する姿勢を示し始めていた。景気対策と称する公共事業や、軍需産業による雇用拡大の見込みが人々を魅了しているのだ。仕事がない者にとって、武器製造でも何でも働く場所があるのは大きな救いなのだろう。


 数か月後、私は軍の上層部から再び呼び出しを受けた。今度はクルップ社やラインメタル社との交渉の下準備を軍側として行う任務である。私が直接それらの企業と交渉の席につくわけではないが、どの部門でどんな兵器の強化が必要なのか、どういった資料を提示し、どの程度の資金を見込んでいるのかといった事前の調整をまとめ、上官に渡す役回りであった。研究・開発面でも火砲や装甲車両などの設計が急ピッチで進められており、それらを効率的に開発し、量産体制を整えるには企業側の理解と協力が不可欠だ。


 しかし、こうした動きを知り得る立場にある者として、私の不安は日に日に高まっていた。これほどの軍備拡張の構想が実現すれば、ドイツは欧州屈指の軍事力を手にすることになるだろう。だが、その刃が振るわれる日が来れば、再び欧州は大きな流血に見舞われる。


 「戦争を避ける手立てはないのか」


 そんな声が心の奥底から湧き上がる。だが、ヒトラーが政権を握った今、この大きな流れはもはや止められそうもない。大きな流れには逆らうことはできないのだ。彼は折に触れて、ヴェルサイユ条約の不公平さを国民に訴え、失われた領土や賠償金のことを不満の種として煽っている。国民が抱える鬱積した感情を代弁し、「ドイツは再び強い国として立ち上がる権利があるのだ」と主張するその言葉は、多くの人々の心に火をつけているのだ。そこに、軍備拡張の動きや景気回復の幻想が重なれば、国内は一気に「強いドイツ」を歓迎する空気で満たされてしまう。


 シャハトと何度か情報交換をするうちに、私たちはお互いに「この道が危うい」とは感じていることを共有した。しかし、私の立場は軍人、彼の立場は経済界との調整役。互いに、抜本的にこれを止めるだけの手段は持ち合わせていない。ヒトラーに反旗を翻すなどという行為は、今や簡単に許されるものではない。そうなれば、私もシャハトも祖国に尽くすどころか、一介の罪人として人生を終える羽目になる。私たちが心に抱える「欧州を再び戦火に巻き込みたくない」という思いと、「祖国が再び立ち上がるためには軍備強化もやむなし」という感情とは、もはや切り離せない矛盾を孕んでいた。


 その年の冬、ベルリンは雪に閉ざされていた。街角にはナチ党の旗が靡き、通りを行進する隊列が誇らしげなデモンストレーションを繰り返す。彼らをただの扇動者だと断じることは簡単だが、行進の脇で手を振る市民の姿を見ると、逆に私のほうが孤立しているかのように感じることもある。人々は生活の安定と国の誇りを取り戻すことを切に望んでいる。その願いをヒトラーが具体化しようとしている以上、彼への支持が集まるのは自然な流れなのだろう。


 雪が降りしきる中、私は兵営の書類室で大量の軍需資料に埋もれながら、兵器の開発計画書に目を通していた。カタログ上はトラクターとなっている戦車の設計図や高射砲の概略図、航空機開発の提案書など、実に多種多様な兵器計画が既に動き始めている。技術将校たちは「これはまだ序の口に過ぎない」と口々に言う。もし本格的な戦争を想定しているのなら、陸海空すべての軍備を格段に増強する必要がある。さらに人的資源をどう確保するか、兵站をどう組み立てるか――考えるべきことは山ほどある。ドイツの技術力と組織力は確かに高い水準にあるが、それを全面的に戦争のために振り向けるなどということが現実になれば、他国からの反発も必至だ。いつか火種が燃え上がるに違いない。私は深い嘆息をついた。


 ふとドアの外で誰かが私を呼ぶ声がする。部下の一人だ。彼は書類室に入り、少し硬い表情で言った。


 「少佐、上官からの伝言です。先日お話しされていたクルップ社との交渉、どうやら具体的な日程が決まったとのことです。シャハト殿が段取りを整えてくださるようで、我々にも必要資料の準備が求められています」


 私は無言でうなずくと、机に広げられた山積みの書類を改めて眺め渡した。準備しなければならない書類は膨大だ。クルップやラインメタルの技術陣に提示するための性能要件や見積もり、予算の内訳――それらを一つひとつ整理し、軍備計画を加速させる一助となる。それが私に課せられた務めだ。


 「分かった。すぐに取りかかろう」


 そう答えながら、私は深く息を吐いた。戦争は避けたい。だが、ドイツが再び栄光を取り戻すためとあらば、今の国民感情を前に立ち止まることは難しい。私の内心は、終わりの見えない迷路に足を踏み入れたかのような感覚に囚われている。上層部の意向に従わなければ軍人としての立場を失うが、だからといって未来への不安を全て飲み込み、ただ無言で突き進むのは正しいことなのだろうか。


 シャハトの顔が脳裏に浮かぶ。彼もまた頭の切れる人物だ。彼はおそらく、経済政策を通してナチス政権の突飛な動きを少しでもコントロールしようとしているのだろう。私も同じように、軍備拡大の現場に立ちながら、その危険性や暴走を食い止める方法はないかと模索すべきなのかもしれない。しかし、独裁権力が急速に強化されつつある中、それがどこまで通用するだろうか。


 翌朝、まだ夜明け前の薄暗い兵営の廊下を歩いていると、警備の兵士が私に敬礼してきた。思わずその表情を見ると、まだ若い士官候補生のようで、目には生き生きとした光が宿っている。彼は言った。


 「少佐、聞きましたか? 我がドイツはきっと、このまま強くなるんですよね。今度こそ大国に引けを取らない軍事力を持ち、堂々と世界の舞台に立てるんですよね」


 私はやや戸惑いながらも、乾いた声で応じる。


 「……ああ、そうなるかもしれないな」


 若き士官候補生にとって、今のドイツは過去の屈辱を晴らすチャンスに見えるのだろう。祖国のために命を賭して戦うことを厭わない、純粋な愛国心は美しくもある。しかし、私には同時に、その先に待ち受ける残酷な現実がちらつく。どれだけ国が強くなっても、戦争というものがもたらすのは結局、生々しい死と破壊の光景だ。第一次大戦の記憶を共有する者たちは皆、それを理解している。だが、あの戦争を知らない若者たちは、憧憬と熱狂だけで行進してしまうかもしれない。


 その日から私は、軍備拡張の資料整理と、技術将校との打ち合わせに没頭した。装甲車両のエンジン出力や火砲の口径、航空機の航続距離と上昇性能――どれも戦争遂行のために必要とされるデータである。国防省の廊下では、同じように大量の書類を抱え込んで右往左往する将校たちとすれ違うたび、会釈だけを交わす。お互い疲れた表情をしているが、そこに覚悟めいたものも宿っているのが分かる。もし祖国が本気で再軍備に踏み切るのなら、私たちはその先に起こりうる最悪の事態――大規模な欧州戦争――を現実として捉えなければならないからだ。


 ヒトラーが首相に就任してから、あっという間に一年近くが経過した。ナチ党の権力基盤はさらに固まり、国内では彼らを批判する声が急激に小さくなっている。完全に沈黙させられた者も少なくないらしい。国民は仕事を得て、生活の安定を見つけ、夜のビアホールでは高らかに「ドイツ万歳」を歌い上げる。そんな光景を目にするたび、私の胸は苦しくなる。大衆の歓声の裏には、「この勢いが続けば、戦争に踏み切ってでも失地を回復しようとするのではないか」という懸念を常に感じてしまうからだ。


 しかし、私にできるのは情報を集め、与えられた任務を全うすることだけである。シャハトもまた、経済政策の面でナチ政権を支えながら、その内側でどこまで歯止めが利くかを探っているように見える。だが、ヒトラーへの支持が国全体を覆いつつある今、私たちのような思慮を抱えている者ができることは限られている。祖国が誇りを取り戻し、再び欧州の強国になる――その大義名分のもとに多くの国民が結束するならば、やがて来る破局を食い止めるのは至難の業かもしれない。


 夜が更けた兵営の一室で、私は机に座り、書類の束に囲まれながら小さなランプの灯りを頼りにペンを走らせていた。外はしんと静まり返り、時おり寒風が窓を揺らす音が聞こえる。私は意識を集中させようとするが、ふと手が止まる。小さな窓の向こうには月が浮かんでいる。冴え冴えとした光を放つその月を見つめていると、十数年前の戦場で眺めた夜空を思い出す。あのときも、殺伐とした塹壕から空を見上げると、月だけは何事もなかったかのように輝いていた。砲撃の音と味方の悲鳴が響く中、私は何度も「ああ、もう二度とこんな戦争はあってはならないのに」と願ったのだった。


 しかし今、私が手を動かしているのは、再び戦争を可能にする書類なのだ。この現実の矛盾に胸を締めつけられながらも、私は軍人として責務を果たす以外に道がないと感じている。もしもドイツが世界と衝突し、再び血を流すことになったとき、私はただ上官の命令に従い、兵を率いて戦うだろう。そこには、第一次大戦をくぐり抜けた者ならではの恐怖と、ドイツの軍人としての使命感が同居している。


 こうして、ヒトラーが首相に就任し、全権委任法による独裁体制の基盤が固まりつつある1933年のドイツで、私の軍人としての日常は一層忙しくなっていく。クルップ社やラインメタル社への交渉準備は着々と進み、私の友人であるシャハトがその調整役を担っていくことになるだろう。彼がどう振る舞おうと、ナチスの政策を根本から覆すのは難しいに違いない。だが、彼もまた祖国に報いるために奔走しているのだ。


 私の胸には、「本当に戦争は避けられないのか」「再びあの悲劇を繰り返さない方法はないのか」という葛藤が渦巻いている。だが、すでにドイツ全体が、ヒトラーの掲げる“再興”という旗印のもと、戦争へと突き進む準備を整え始めている。最後まで、この大きな流れを変える術が見つからないまま、私は一人の軍人として国策に従い、祖国のために尽くすしかなかった。欧州に再び大戦の足音が忍び寄る気配を感じながら、それでも前に進むしかないと自分に言い聞かせる日々が、こうして始まったのである。

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