Gewonnene Siege.

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プロローグ

1939年夏、ベルリン郊外の官舎にて


私は書類が山積した机に向かいながら、ふと窓の外に目をやった。秋の薄曇りの空が重苦しく、遠くに見える木々も色づいているというより、ただ寒風に耐えるかのように立ち尽くしている。最近は、祖国の未来を思うたび、私の心にもこの空のような鈍色の不安が広がるのだ。


そんな鬱屈した気分を払うように、私は机を離れ、古い地図帳と日記を手に取ってゆっくりとページをめくった。過去の戦いや、あの終わりなき絶望、そして再生への道のり。私の頭には、若き将校だった頃の思い出が次々とよみがえってくる。


あれからもう二十年以上の月日が経つ。だが、私はあの秋の日の光景を今でもはっきりと思い出すことができる。

1918年、第一次大戦も終盤に差しかかった頃、私はまだ若いドイツ陸軍の将校だった。戦争が始まってすでに四年以上。長く苦しい戦いだったが、私と仲間たちは最後までドイツの勝利を疑わなかった。とりわけその年の春、カイザーシュラハト(皇帝の戦い)と呼ばれた大攻勢によって、我々は再び大きな希望を抱いたのだ。前線を押し戻し、敵を後退させた時には、勝利は手が届く場所にあるように思えた。


しかし、その期待は続く連合軍の百日攻勢で大きく砕かれた。夏の終わりから秋にかけて、イギリスやフランスは我々の防衛線を次々と突破し、ついにはヒンデンブルグ線への撤退を余儀なくされた。厳しい現実を前にしても、「祖国は負けはしない」という思いだけを必死に心の支えとしていたが、それも長くは続かなかった。11月、ドイツは突然のように降伏したのだ。


前線にいた私たちには、国内で何が起きているのか知るすべはほとんどなかった。断片的に伝わるのは暴動や混乱が広がっているという知らせだけ。誰が仕掛けた陰謀かもわからない。ただ、私たちの間では「ボリシェヴィキやユダヤ人が祖国を裏切ったのだ」という噂が広がり、その憎悪を原動力に敵を憎むことで戦意を何とか保とうとしていた。今思えば、それも絶望に打ちひしがれた我々の、ある種の自衛策だったのかもしれない。


しかし実際には、長引く戦争に疲弊し、飢えと混乱に陥った国民が耐えきれなくなったことが大きな原因だった。私は祖国に戻ってから、その現実をまざまざと思い知らされる。いくら兵士として前線で戦い続けても、国内の心が既に折れてしまっては、勝利も誇りも得ることなどできはしない。兵士としての誇りをかきむしられるような日々だった。


戦争が終わり、ドイツは屈辱的なヴェルサイユ条約を押しつけられる。広大な領土が奪われ、国軍は10万人にまで縮小され、賠償金を支払う義務を負う。まさに祖国を縛る不正義そのものだった。私は自分が戦場で失ったもの、そして仲間たちが払った犠牲を思うと、どうしてもこの「講和条約」とは名ばかりの屈辱を受け入れることができなかった。


「戦争に負けたからだ」――それが唯一の答えだった。どれほど理不尽だと思おうが、負けたという現実がすべてを決定づけてしまう。私はその事実を突きつけられ、悔しさと怒りを抑えきれずにいた。


そんな中、多くの元兵士たちが祖国を守るために義勇軍を結成し、新たな戦いへ身を投じていった。私も一時は参加を考えたが、運命か、私は正規軍に留まる道を選ぶことになる。ヴェルサイユ条約で強制的に小規模化されたヴァイマル共和国陸軍の一員として選ばれ、部隊に残されることが決まったのだ。


正直に言えば、それは私にとって葛藤の始まりでもあった。義勇軍に参加して闘う戦友たちを横目に、私は公式の軍人として新しい祖国に仕えることになったのだから。愛する祖国に尽くしたいという思いは同じはずなのに、その形が違うだけで、私は同志たちを裏切っているような後ろめたさを感じることがあった。


時は流れ、私は第5師団で参謀将校として任務についた。かつて戦場の塹壕に身を置き、前線の兵とともに戦った者として、参謀という立場から部隊運用や作戦計画に携わるのは、大いにやりがいを感じた。前に出て戦うだけが軍人の誇りではない。影で支える役目もまた、祖国のための大切な務めなのだと私は自分に言い聞かせた。


さらにその後、兵務局へ移り、軍務の管理や人事を担当することになる。前線から離れるのは寂しかったが、ここでも私は戦う兵たちを支えることに意味を見いだそうとした。そして、努力を重ねた結果、1932年には少佐に昇進。軍の規模は制限されていたが、それでも祖国のために働き続けることは、私の誇りの源だった。


1933年、アドルフ・ヒトラーが首相に任命され、ナチ党が権力を掌握したとき、私の胸には新たな希望が湧いた。長きにわたる国際的屈辱、飢えと失業に苦しむ国民――そんな絶望の底にある祖国を救うために、ヒトラーが強い指導力を発揮してくれるのではないか。彼の演説には確かに人を惹きつける力があり、その言葉の端々には「ドイツが再び世界に誇る国となる」という揺るぎないビジョンが感じられた。


かつて私が深く刻まれた敗北の痛みと、ドイツ人としての誇り。それらを拭い去りたいと願う私にとって、ヒトラーの主張は魅力的だった。一方で「また戦争に巻き込まれるのではないか」という不安も拭いきれなかったが、当時の多くの国民と同じく、私も希望を優先し、彼に賭けることを選んだのだ。


ナチ党の政権掌握後、ドイツは急速に軍備を整え始めた。1935年、ついに徴兵制が復活し、事実上ヴェルサイユ条約に明記されていた軍事的制約は破り捨てられる。同時に国民経済は大きな転換を遂げていった。シャハト経済相のもとで大規模な公共事業や兵器生産が進められ、失業者が一気に減少する。世間は「ドイツは再び力を取り戻すのだ」という熱気に包まれた。


私も軍務に関わる一人として、装備の近代化や新たな戦術の研究に邁進した。第一次大戦の苦い教訓を二度と繰り返さないように、グデーリアンらが提唱する装甲部隊の運用概念(電撃戦)にも大きな関心を寄せた。これまで停滞戦だった戦いを、機動力重視の新時代の戦術へと変革させることこそ、次なる勝利への鍵だと感じたからだ。


1935年6月、私はドイツ国防軍最高司令部の国防部長に任命され、8月には大佐へと昇進した。正式な階級が上がるたび、その重みに比例するように責任もまた増していく。私の立場から見える祖国の姿は、もはや小さくまとまったヴァイマル時代の軍ではない。ヒトラーの指導のもと、あらゆる分野が戦争に向けて動き出していることをひしひしと感じた。


1936年のラインラント進駐は、かつての戦友たちとともに私に「ドイツが再び強気の外交を取り戻した」と実感させた出来事だった。祖国の自信がまるで雪崩のように増幅していき、四カ年計画による軍需産業の拡大、そして先端兵器の研究までが一気に押し進められていく。スペイン内戦への介入による実戦記録の収集も、次なる戦いを見すえての準備だと悟った。


そして今、1939年。この数年でドイツはオーストリア、チェコを併合、スロバキアは傀儡国とし、祖国は史上最大の版図と軍事力を手にしつつある。誰の目にも、我々の「再軍備」は成功していると映るだろう。ポーランドとの国境問題が日に日に緊迫化し、独ソ不可侵条約が締結された今、ついに私の周囲でも「いつ戦端が開かれるか」という声を耳にするようになった。


私はこの状況に、かつての苦い記憶を重ねる。再び欧州を揺るがす大戦が起こるのか――。愛する祖国のために全力を尽くしてきた自負はあるものの、あの惨劇を二度と繰り返してはならないとも思う。しかし、もはや大きな潮流に逆らうことは誰にもできないのではないか。ドイツ国防軍少将としての私には、ただ国策を遂行し、祖国のために最善を尽くす以外に道はないのかもしれない。


時折、机に向かいながら思い出す。西部戦線で感じたあの塹壕の湿った土の匂いと、終わりの見えない砲撃音。そして、勝利を信じ続けた挙句、突如として訪れた崩壊――。今の私には、それが再び訪れないことを祈るしかない。私の瞼には、あの頃の若き兵士たちの姿がはっきりと刻まれている。祖国の名の下に、夢と希望を抱いたまま、無残に散っていった仲間たちの姿が。


一方で、ヒトラーが語る「偉大なドイツ」の夢にも、私は今なお心を動かされるのだ。ドイツが世界の中心に返り咲き、誰もが誇りをもって胸を張る日が来るなら、私のこれまでの犠牲も報われるのではないかと、そう信じたい自分がいる。

しかし、私たちの前に広がる道が栄光への道なのか、あるいは破局への道なのか――その答えは、まだ見えない。


私は視線を窓の外へ戻す。

20年前に見たあの泥濘の戦場より、この祖国の空が輝かしいものであるように。ドイツ国防軍少将として、私は今一度心を引き締め、自分の務めを果たす決意を固める。もはや迷うことは許されない。ただ一歩でも先へと進み、再び祖国が倒れぬよう、私は歴史の荒波を泳ぎ続けねばならないのだ。


「ドイツは必ず勝利する」。

あの言葉を、私はもう一度心の底から信じていいのだろうか。あるいは――それとも。


私は自分の胸の内から込み上げる様々な感情を振り払うように、再び机に戻った。散乱する書類の山の向こうに、次なる“運命の日”の影がちらついている気がしてならなかった。


「少将、会議の時間です。」


若い下士官の声に振り返ると、彼が姿勢を正して待っていた。私は深く息を吐き、立ち上がると、散らばった書類をまとめて机に置いた。私は廊下を進み、作戦会議室へと向かった。

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