3話

「…る」

眠い。

「ゆる」

誰、私を呼んでいるのは。

冬流ゆる起きろっ!」

ああ。冬伊ゆいの声だ。

頼むからそんなに朝から大声で叫ばないで欲しい。

耳が痛い。

「冬伊うるさい」

目の前に迫っている双子の兄・柚木冬伊ゆずきゆいの顔を押しのける。

むくり、とおっさんみたいに起きて、ベッドを降りる。

二段ベッドの上で私が寝ていたところだけ、見事に沈んでいる。

冬伊のベッドである二段ベッドの下は、布団は綺麗に畳まれていて、シーツはお手本の様に、すうーっと伸びている。

ものの見事に散らかって、パーティー状態の私のベッドとは正反対だ。

冬伊は、今日も五時に起きたのかなぁ。

そんなことを考えながら、のろのろと階段を降りる。

洗面所に入って、歯ブラシとコップを取り出す。

歯磨きをしながら、今朝見た懐かしい夢を思い出していた。

小学校四年生の冬、転校した時のこと。

あのときの私の目論見通り、私は平和に学校生活を送ることができた。

二年間と、ちょっと。

その時間の間、私はいじめられることもなく、学級委員を務めたり、

理想の学校生活を送った。

そして、この春、私は小学校を卒業した。

卒業文集の自由記述欄には、同級生みんなの名前が、所せましと、並んでいる。

あの頃の私には想像もできないくらいに。

たくさんの名前が書かれている。

私の学年は人数が少なく、百二人しかいない。

そして、百人の名前が書かれている。

自分を除いて、百一人。

しっかり名前を書いてもらうつもりだった。

しかし、ひとり。

たった、一人に書いてもらえなかった。

波沼晴陽なみぬませいひ

私の卒業アルバムに唯一名前を書いてくれなかった晴陽は、

しかし、私のことを学校の中では、いちばん理解している人だった。

彼には、私の本心や過去を、少し曝け出していた。

彼なら、誰にも言わないと思ったし。

それに、誰かに聞いてほしかった。

私の愚痴を。

彼は、私の話をちゃんと、聞いてくれた。

少しのことで昔を思い出して、めそめそしてしまう私の話を、

優しく聞いてくれた。

うまく話せないときは、そっと手を包んでくれた。

本当につらくて、思い出して、泣き出してしまったときは、

強く抱きしめてくれた。

しかし、私は、やっぱり。

晴陽にも嘘をついてしまった。

嫌われるのが怖くて。

自分の過去を話すとき、酷いところはカットしたし、

それ以外の部分も改変したりした。

嫌われるのが、怖くて、

ありのままの自分を見せたら。

もう、

話してくれないんじゃないかって。

それが怖くて怖くて、仕方がなかった。

「ゆぅぅる!そろそろ出発しないと遅れるよ!」

冬伊の声で、はっと、目が覚めた。

もう、遅刻しそうな時間だった。

急いで歯ブラシとコップをしまって、二階に駆け上がった。

制服に着替え、通学リュックを背負いながら階段を降りる。

冬伊とは違う学校だ。

私は渋谷にある私立で、冬伊は文京区にある都立に通っている。

冬伊と比べられなくて済むことは、私が今、いちばん幸せに思っていることだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どんな君でも、僕はありのままの君を受け入れる。 みずき @mizukipiano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ