エピローグ

 まだかまだかと待ち続けてもう三十年以上が過ぎた。出来ることなら早くここから立ち去りたい。しかし、この場所から動けない俺には、どうやら心残りがあるようだった。それが自分でもなんのことなのか見当も付かないのが本当に困ったものだ。


 一度だけ、山本章がこの駅に訪れた。でも、俺の知ってる姿じゃない。あいつはもっとうるさい奴だった。随分しわくちゃになっていたから、「かっこ悪くなったな。」と嘲笑ってやった。でも、あいつは「クロは変わんないね。」と弱そうな声で言いやがる。大層ムカついたし、今なら俺でもこいつに勝てるとすら思った。昔あんなに俺を揶揄って笑っていたくせに、自分がやられたらやり返しもしなくなったなんて最悪だ。

 そのままあいつは何も言わず、ただ手を振ってやけに眩しい電車に乗っていった。胡散臭い明るさの電車に俺はやめとけと何度も言ったのに、まるで気付いていないみたいだった。


 あれからまたつまらない日々に戻った。電車も来ない。人も来ない。変化のない日々。大きなため息を吐くのにも飽きてきた頃、突然知らない女が現れた。

「私、優華ね! で、あなたは、んー、クロさん!」

 あの頃の章みたいにうるさくて、俺が名乗ってもないのに名前を当ててきた女。「合ってるけど。」と言えば「え!? 正解? 私すご!」とまるで言葉が伝わっているような返しをする。そんな奴見たことなくて、俺は意外と気に入っていた。


 それから由美子も駅に来て、久々に楽しい時間を過ごした。三十年ほど暇だったことも吹き飛ぶほどの楽しい時間。だからこそ、信じたくなかった。

 由美子がもう行くと言い出した時、やって来たのは章と同じ電車だったんだ。しかも、由美子は俺にとある難題を押し付けた。

「優華ちゃんを送ってあげてください。よろしくお願いしますね。」

 俺は「嫌だ。」と言った。「無理だ。」とも言った。でも、由美子は気づいてくれない。電車のドアが開いて同じように眩しい光が漏れ出た時、俺は必死にあいつを止めた。

「その電車はダメだ! 乗るんじゃない!」

 何を言ってもあいつは聞いてくれない。ただ笑って手を振るだけ。章と同じ、俺の言葉は届かないんだ。


 優華と俺はただ駅に取り残された。もう電車も来ない。出れもしない。とっとと諦めればいいのに、優華はめそめそと泣いてばかりだし、本当に最悪だ。なんでこんな面倒くさい奴を俺に押し付けていくんだか。

「ねぇ、ここにいるよ。」

 優華が嘆いた言葉。その瞬間、聞いたことのない音がした。電車だ。遠くから来たその電車は見たことのない、居心地の良さそうなものだった。

 やけに静かな走行音。ドアが開いてもあの時の眩しさはどこにもない。俺はやっとまともなものでここから出れると思った。

 でも、優華はなぜか足を止める。

「早く行くぞ。」

 俺はふと、怖くなった。この声が聞こえなかったら? 章と由美子みたいに、伝わらなかったら?

 電車が来る度に目にしたその光景に、今回もなってしまうのかもしれない。

「優華、早く乗れ!」

 大きな声だった。自分でも驚くほどのそれに、優華は俺を見る。そうしてやっと電車に乗り込んだ。


 終点は知らない世界だった。窓の向こうにいたあいつは全然目を覚さない。まぁ、送ったし帰っても良かったけれど、なんだか面白みに欠けるので、俺は窓を尻尾で強く叩いてみた。そうして何度か叩いた後に優華は目を覚ました。

 俺は黒い尻尾を振る。章と由美子がしたように。きっとこれが人間の挨拶みたいなもんなんだろう。

 優華が見たかはわからなかったが、それでも別に良い。なんだかあいつとはまた、会う気がする。しょうがないから駅で待っていてやろう。その時まで、成仏はお預けだ。

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