春先、堕落と飛翔

@allosteric

春先、堕落と飛翔

 朝8時半、今日は学校がないからゆっくりと朝食を食べる。9時から、ついに高校入試の合格発表がネットで公開される。でも、別に緊張しない。もう終わったことだし、受験期の分今はのんびりゆっくりと過ごしていたい。

 9時15分、朝食を済ませて2階の部屋に上がる。ちょっと遅いかもしれないけど、多分回線が混み合ってるからいいかな。いつもの勉強机でスマホを開き、県のホームページの合格発表欄を開く。…なんだか緊張してきた。さっきまでの余裕が薄れ、次第に心臓がバクバクしてくる。自分の名前を入力して、受験番号を入力する。「1」、「3」…指が震える。「6」、「1」…朝食が戻ってきそうだ。「2」、「9」、…全てミスなく入力して、「合否確認」を押した。画面は白く切り替わり、読み込み中の線が画面の上をじわじわ動いている。線はふと右端に到達し、画面が、変わった!

「不」

 不意に目を閉じた。一瞬とても嫌なものが見えた気がしたが、最後の勇気でわずかに開く。

「不合格」

 最悪の世界が広がっていた。信じられない。おかしい。あれだけ勉強したのに、部活も捨てて勉強したのに、内申が確定してから学校も行かないで勉強したのに、僕は受験に対して誰よりも本気だった。才能が無いから、ただやれることをやり尽くした。本当に、秀才だったのに。

 わけも分からず、たまらない苦しさに部屋の鍵を閉めて、はしごを上がってベッドに逃げ込んだ。脳が水で薄まっていく感覚。気持ち悪い。

 あれから何時間経っただろう。ちょっとマシになった余力で布団から顔を出す。もう日は沈んだようで、向かいの倉庫の照明がレースカーテン越しで無神経に光る。自然と考えだした。確かに、数学の自己採点は最悪で、もうダメだと思っていた。もう終わったことだけれども、これからのことが本当に嫌だ。学校に行きたくない。これだけ勉強して落ちたんだからクラスで軽蔑される。滑り止めの高校に入りたくない。きっとバカみたいなプリントを何枚も解かされる。…入学手続きに行けなかったら、高校生にすらなれないかもしれない。僕の今までは、何だったんだろう。しばらく、グズグズと絶望していたその時、ひとつ気づいたことがあった。どうして今、僕は辛いんだろう。僕がこんな目に遭ったのは、要領が悪いのは、無様な人生なのは、全部才能が無いから、知能がないから、無駄なことしか考えられない自分だから。

 無能!無能!無能!

 急に頭の中で怒鳴りたくなった。陰鬱な思いが一転、強烈な怒りに変わった。たちまち自分の腹の奥、両腕、目玉がガタガタと震え出して、布団から飛び出した。はしごを乱暴に降りて、レースカーテンを押しのける。鍵を開け、窓から全力で飛び出した。混乱のためかジタバタさせた両腕は、自然と規則的に運動を始めて、広い空が見えてきた。…何故だろう。徐々に正気が戻ってすぐ、手がかりを探ってみる。今、風を切り空を飛んでいる。全身に這う奇妙な感覚と姿。両腕は軽く、茶色の翼が風を切っている。視界はぼんやりと明るく、よく見えるが、目はよく動かせない。下を向くと、首が柔軟に曲がり、黒光りする鉤爪が見えた。猛禽類だろうか。おまけに煩雑だった頭が奥深く冴え渡り、新たな知性を享受した気がした。受験期の自尊心が爆ぜたに過ぎないかもしれないが、私は、なにか洗練された言葉を頭から呼び起こしたい。いい気分だ。さて、これらの特徴に1つ、心当たりがある。今の仮説を確かめるべく、夜空に向かって咆哮した。

「ホーッ。」仮説は確信に変わった。フクロウだ。変身という未だかつてない経験に、悦びが羽先まで染み渡った。高揚感のままに、夜空を羽ばたく。満月が艶めいた両翼を照らし、涼しい風が滑空を促した。

 しばらくして、真下の陸地に市街地の間を流れる、見慣れた川が流れていた。好奇心で近づいてみると、月光を反射する水面がきらきらと輝く。そのまま川沿いを下った。飛び続けると、川の周り一帯に田が広がり、街灯も少なくなった。空での自由はそれなりに利いたが、やはり疲れてきたので、近くの畦道に降りようと試みる。すると、思いの外、手馴れたように上手くいった。ここで一息つこう。文字通り羽を休めると、急に腹が空いてきた。それは当然、朝食以降何も食べていなかったからだ。この身はフクロウ、夕食くらいそこらで済ませられるし、生き物の類はそのまま食べても構わないだろう。ありそうな今晩のメニューを推測する。ネズミ、コイ、カエル辺りだろうか。その時、「ボォーッ。」野太い鳴き声。間違いなく、ウシガエルだ。物心ついた頃から、生き物が好きだった。特に、私の食欲と味覚を満たすもの。両生類は初めてだが、鉤爪は既に正直な武者震いを見せる。

 高鳴る心臓を動力に、もう一度羽ばたいた。フクロウの目は、優れた視界と奥行きで獲物をすぐさま発見した。空に舞い、滑空のための勢いをつける。遠くから、水面近くに降下し、暗殺者の如く宙を無音で滑る。あともう5m、私は夜空に溶け込むような真っ黒な鉤爪を、ウシガエルに構えた。そのまま、完璧な体勢、角度で胴体を鷲掴みに、捕らえた。しかし、高揚感のなすがまま、空に戻ることも忘れて川に落ちてしまった。未だ冷たい3月の川が、血走った全身を鋭く冷やし、激しく動揺した。何とか状況を掴む。すぐにウシガエルを鉤爪から嘴に移し、川岸の葦に鉤爪で身を引き寄せた。幸いすぐに近くにコンクリートの平たい護岸があったので、濡れた羽でも脚だけで上陸できた。我ながら要領よくできている。首を嘴で抑えていたためか、ウシガエルは動かない。

 これから楽しい晩餐が始まるのだ。頭を左足で抑えて、右足で内臓を取り出す。鋭い鉤爪は出刃包丁よりかは不便だが、解体のうちに懐かしさが蘇って来る。身と内臓に分けたが、繊細な身から食べたい。嘴の自由は微妙でブヨブヨした皮ごと味わうが、これもまた一興。両脚で胴体を抑え、引き締まった左足を嘴でちぎって飲み込んだ。食べてから今更気づいたが、嘴には歯がない。咀嚼できないために、少しずつ切り取って味わう必要があるようだ。次に右足から、サクラ色の肉だけを切り取って舌に乗せる。どうやら、風味が変だ。これ特有のものではなく、フクロウとして一部知覚が鈍ってしまったようだ。私が少し覚悟していたのは、金魚の水槽に付いている、ろ過フィルターに近い泥臭さだったが、どうにも感じられない。そのままウシガエルを余すことなく食べ切り、フクロウの特権を存分に享受した。

 満足感ののまま、月が照らす夜空を見上げる。晩餐を思い返すと、私は物心ついた時から生物についての体験を至上の悦びとしていたのだと、改めて実感した。これが自分の生涯の意義で、満たされる日々がきっと約束されていると思った。しかし、何か今日のことで違和感がある。今日の出来事を初めから思い出す。才能だ。記憶の限り、私は受験に落ち、一日布団で無様な生涯と世界の理不尽について恨んでいたはずだった。そうして、不幸の元凶とみなされた才能を羨んでいた訳である。しかし、今はどうだろう。フクロウに変身し、数多の才能を享受したが、己の本質は生物から得る悦びであって、才能はその引き立て役に過ぎない。自分なりの最適解に、納得した。さらに今日の思いを掘り下げる。自分は堕落し、学校にも、滑り止めにもいく勇気が崩れたようだが、今はウシガエルの後味が口の中に微かに広がっている。この感覚のために、いずれも構わないような勇気が与えられた。巣穴を手にした獣は強い。一体いつ元の姿に戻れるのかは判然としないが、終わりが着々と近づいている気がした。私は浅瀬で口をゆすぎ、足を洗った。

 とりあえず、寝床を探そう。早く起きて、この姿では人目を避けるのが無難だ。前に川沿いを飛んでいると、いくつか鉄橋を見つけたので、その辺りが期待できる。少し乾いた羽を再び羽ばたかせ、川沿いを遡上した。しばらく飛び続けると、周りには街灯が見え始め、周囲がまばらに照らされ始めた。そうしてすぐに1つ目の橋を見つけたので、鉄橋の支え付近を見て回る。すると、橋の下、護岸の陸側に高さ約2mのコンクリートの大きな壁があり、上は平たく台のようになっている。鉄橋の骨組みと壁の上の間には、二畳ほど空間があった。壁と天井の縦幅は程よく狭い。今日はここで眠ろう。その日の晩は、ふかふかの寝床が恋しいのは言うまでもないが、夜行性か疑わしいほどよく眠れた。これは、翌朝の変身の予兆と言うべきだったのだろうか。

 翌朝、陽の光で目が覚める。なんだろう。体が重い。特に両腕。でも、懐かしい感覚。「あっ。」思わず声が出た。両腕が目の前にある。僕は、元の人間の体に戻ったんだ!

 この感じ、やっぱり人間は骨も頭もぎっしり詰まってるんだ。冷たい川で顔を洗って、はっきりと目を覚ます。やっぱり人間だ。けれど、昨夜みたいな頭のスッキリ感もイケてる姿も無くなっちゃったのは、ちょっと悲しい。これから僕はどうしようか。とりあえず、家に戻らないといけない。川沿いの散歩道を家の方へ向かった。遠くには見慣れた山々が広がり、向かいの朝日に照らされ、鮮やかになっている。暖かな3月を告げる風は、柔らかに吹きすぎていった。しばらく歩いて、散歩道から家に続く歩道に向かった。少し緊張する。1晩いなかった訳だし、家族を心配させたかもしれない。家の前について、ゆっくりドアを開けると、家の穏やかな空気だ。安心して、リビングの引き戸を開け、元気よく言った。「ただいま!」朝食をとっていたお母さんは、驚いてコーヒーを吹き出した。

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