第3話
「リナリア、」
冬の朝の風のような冷たい声。
執事長、フィオラヴァンティが私を呼ぶ時は、決まってミスを指摘する時だ。
私は彼の顔も見ず、謝る態勢を取る。メイド服を正して、それから深々と頭を下げる。あの猛禽類のような目に睨まれたくなかった。
はて、何をミスしたんだろう。
「…私は、怖い人間に見えるか?」
「はい?」
思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。
怖い?
「…私がいると緊張するか?…萎縮するか?」
「えっと…」
言い淀んでしまったのは、意外だったから。
そういう…、なんていうか。
他人の評価を気にするような人じゃないと思ってたから。
「別に…お前の評価など、私は気にも留めたことはない」
口に出てたようだ。
「だが部下の意見は貴重だ」
「…恐れ入ります」
本当に、恐れ多い。
「…では失礼を承知で言いますが、」
改めて、フィオラヴァンティを爪先から頭の天辺まで観察する。男性にしては少し細身、たぶん食に興味がないんだと思う。モデル体系とでも言えばいいのか。身長はこの屋敷の中でも高い部類だ。その高身長から繰り出される視線は、なんというか…「猛禽類のようで少し怖いです」
「猛禽類?」
「はい」
「フクロウやタカのような?」
「フクロウやタカのようです」
「お前は、私がフクロウやタカのような猛禽類のようだと思いながら、3ヶ月も一緒に過ごしてきたのか?」
「むしろ、鳥類最強格のオオワシぐらいあります」
「はぁ…」
まずい、調子に乗って言い過ぎたか。
「申し訳ございません、出過ぎた真似を」
「いや、新しいメイドを雇えない理由の一端が、私にあることが分かった」
新しいメイド? 脳裏に最新型メイドアンドロイドが浮かんだ。すぐに消した。
「タニがグレン領を出てから、メイドはお前一人だ。新しいメイドを雇おうとしているのだが…、面接には来るものの辞退者ばかり」嘆かわしい、と言いたげに首を横に振る。
ああ。
面接には来るんだけど、みんな辞退しちゃう。だから原因は自分自身にあるんじゃないかって、我が屋敷の執事長、フィオラヴァンティは柄にもなく悩んでいるようだ。
「柄にもなく、とはなんだ」
ぜーんぶ筒抜けだ。
「いえ、フィオラヴァンティ様は、そういう次元の悩みをしない人種だと思っていただけです。柄にもなく、は言葉選びの間違いと言いますか、脊髄反射で出た戯言と申しますか、愚口を拗らせた不具合とでも呼称すればいいのか」
「なんだ、そういう次元、とは?」
「…フィオラヴァインティ様は、」彼は、必要な人間なのだ。
「この屋敷になくてはならない執事長で、私のような者はどこにでもいる一介のメイドだと言うことです」
だから、誰からも愛される筈のアイドルが、人からの愛に悩まないのと同じように。完全無欠の執事長フィオラヴァンティ様が、「他人から怖がられているかもしれない」なんて些細な悩みをするとは思えなかったのだ。
「リナリア、」
「はい?」
見上げる。
いつの間にか、私の視線は、灰色のアーガイル柄風の絨毯に落ちていたようだ。
上げた視界に映ったフィオラヴァンティの金糸雀色の髪が、今の私には酷く眩しく見えた。
「自分の価値を、自分で決めるな」
なんて、ありきたりな自己啓発本みたいなことを、この人は言うんだろうか。
すぐにそんな、後ろ向きの黒い感情が、私の心を満たした。その黒い泥沼のような心の膿に浸かっていると、私はすごく安心してしまうんだ。
笑顔が引き攣らなかっただろうか。
「ご親切に、ありがとう、ございます」
「グレン領に来て、もう3ヶ月だろう」
もうそんなに経つのか。
「お前は、3ヶ月、メイドを続けている。3ヶ月もだ」
「続けるなら誰でも、」
「誰でもできることではないよ」
「誰でもできることです、」続けるだけなら、誰でもできる。完璧にやり遂げるのが難しいんだ。私はミスばかり。どこにでもいる一介の、
「ただのメイドなら、私はお前に『柄にもない悩み』を打ち明けることはない」
真正面から事実だけを伝えられて、私はそれ以上何も言葉にすることができなかった。何か言葉にすれば、今の私が壊れてしまうような、漠然とした防衛本能が口を噤ませた。怯えた小雀のように震えている。早くこの時間が終わって欲しいとさえ思った。
「リナリア、」名前を呼ばれる。
「明日も早くから客人が来る、頼むぞ」
それだけ言って、フィオラヴァンティは控え室を出て行った。
私はどこかホッとしていた。
同時に、ホッとした自分に違和感を覚えた。
拝啓、北の館のメイドになりました。 静間 @sizumatonagisa
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