第2話

フィオラヴァンティって、すごく女っぽい名前だと思う。


「リナリア、越冬のために薪を倍は頼めと言ったろう」

「リナリア、ウィスカー様の昼食を急がせろ」

「リナリア、まだ掃除が終わっていないのか」


でも当の本人には怖くって絶対言えない。グレン領の執事長、フィオラヴァンティはそういう冗談の一つも許さないような堅物だった。

似たような人間を知っている。

転生前の、会社の上司だ。


「木村、やり直せ。何がダメなのか分からないのか」

「木村、22時までに資料をあげろ。それ以降は見ないからな」

「木村、部下を管理しろ。ルールを徹底させろ」


最初は怒られるのが怖かった。自分自身を否定されているようで、ショックだった。怒られる度に「仕事ができない自分が悪いんだ」って自分でも自分を傷付けて否定した。そうやって後ろ向きに考え過ぎてしまったのは、事実要領が悪かったのを、誰か他の人のせいにして自分が楽になるのが嫌だったからだと思う。

いっぱい泣く度に、私は自分を傷付けることに慣れてしまった。


「すみません、すぐに片付けます」

「リナリア、客人の皿を下げ終わったら、すぐに次の料理を出せ」

「申し訳ございません」仕事ができなくて。


フィオラヴァンティの冷めた双眸が私を見下ろしていた。きっと使えないやつだと思われているんだ。

私はフィオラヴァンティの顔を、できるだけ見ないようにしながら厨房を出た。


「待て、リナリア」

「何でしょうか?」

「…、ノール領のご令嬢が左利きだということ。お前に伝え忘れていた」


厨房から広いダイニングが見えた。ノール領のご令嬢が肩を揺らしながら楽しそうに会食している。屈託のない笑顔が可愛らしい。

相手は、この館の長男。

このグレン領の正統後継者、

ローレン・グレン。

遠目でも分かる。

ローレン様は好かれている。恐らくあのノール領のご令嬢から好意を抱かれている。政略結婚の噂もあるらしい。尚のこと、使用人の私がグレン領の看板に泥を塗る訳にはいかない。


「化粧を直される手が左手でしたので」

「なに?」

「先日、化粧直しをされるところを偶然見てしまいました。ティーカップを持ち上げたり、扉を開けたりする時は利き手ではない方を使う可能性はあります。しかし、化粧は必ず利き手を使います、女の戦の準備のようなものですから」

「…次は私の確認をとれ」

「…申し訳ございません」

またやってしまった。

報告・連絡・相談は社会人の基礎じゃないか。

「だが、」フィオラヴァンティの冬空のような、灰色と水色が混ざる瞳が私をジッと見つめる。どこか吸い込まれてしまいそうな目に、唾を飲んでしまった。緊張する。

「よく観察している。お前は目が良い」

「はい?」

「リナリア、」

「はい」

「皿を下げ、次の料理を出してこい」

「すぐ行きます」


なんだ?

今、褒められたのか?

厨房の料理長から、メインディッシュのムニエルを受け取った時、「ありゃあ、褒めてんだよ。フィオラなりにな」と耳打ちされた。

褒めたんなら、もう少し褒め顔というものがあるだろう。猛禽類のような目で、「よく観察している」と言われても圧倒的に怖さの方が勝つ。正直、フクロウに食べられるネズミの気持ちだった。


でも少し嬉しかった。

私にも誰かから肯定して貰える部分があるんだなって思えたから。執事長は堅物で、目付きが怖くて、冗談も通じなさそうな人だが、良いところはちゃんと口にしてくれる人だと分かった。私にはそれで十分だった。

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