拝啓、北の館のメイドになりました。

静間

第1話

リナリア。

それが、私が転生した世界で与えられた新しい名前だった。


「リナリア、頼んだ馬引きはまだか?」

「すみません、えっと、昨日の大雪が影響したんだと思います。恐らく、到着が遅れていて、まだ」

「はあ。それで…?」

「それで、ですね…」

「対応はしたのか?」

「今すぐ、してきます」

「言われる前に動いてくれ」

「すみません」


またミスした。

また怒られた。

また失望させてしまった。

これが私、リナリアだった。


異世界に転生したからって、都合よく最強の魔法が使えるチートキャラになれる訳じゃないし、悪徳令嬢になって隣国の王子様から溺愛される訳でもない。

雪国館の使用人。

それが私の転生先である。


異世界に転生して、一番女神様の恩恵を感じたのは、言葉が理解できることだ。何を言っているか分かるし、伝えたい言葉も子供の頃から使っていたかのように、すらすらと出てくる。これはありがたい。もし女神様とやらがいるなら感謝したい。

まあただ…、聞いたり話したりできるだけで、読んだり書いたりはできなかった。女神様のケチ!…というより、元の体の持ち主が“習ってこなかった”という方が正しい。この世界ではそれが当たり前だった。文字は習わない。識字率は当然低いし、それによる貧富の差も大きい。農民は一生農民のままだし、貴族は一生貴族のまま。使用人の私も、使用人の枠を大きくはみ出ることはない。

異世界に転生してから、早1ヶ月、私はもう素敵なリライフを諦めていた。


「それでも夢は、誰もが持っていいものだと思いませんか、リナさん?」


タニは同じ使用人でありながら夢物語が好きな子だった。苦手な子だ。


「でも夢って、何一つ叶ったことない」

「うん」

「じゃあ期待するだけの夢なんて…、私はいらないわ。期待とか夢って、すごい嫌いな言葉」


ぶっきらぼうな物言いになってしまった。

タニは困ったように笑う。洗濯したばかりのベッドシーツを折りたたむ手つきが丁寧だ。


「リナさんは強いですね」

「え?」


私が強い?


「私。実は、リナさんのそういうところが好きなんです」

「…愛想がないところ?」

「いいえ。物怖じしない強い心を持っているところです」

「…やめてよ」

私は強くない。

ネガティブ思考で、

鈍臭くて、

要領が悪い。

転生しても使用人がお似合いの、野草みたいな人間なんだ。


「でも、私、タンポポって好きです」

「タニは何でも良く言い過ぎなんだよ」

「そうでしょうか?」

「そうだよ」

「でも、それで人生が少し良くなるなら、私はいくらでも良く言います」


タニは、ふわふわした子だけど。ふわふわしてるだけの子じゃないって分かった。

翌月、彼女は屋敷を去った。

結婚だそうだ。

商人に貰われたらしい。

お別れの挨拶も、ろくにできなかった。厳しい雪の季節になる前に、ここ北の辺境グレン領を出なければ、風吹で立ち往生になってしまうからだそうだ。

一緒に過ごした時間は短かったが、タニの言葉は私の記憶に深く刻まれた気がした。

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