第7話 決戦⑤

 夜、レバンジは山賊一味全員を集めるようヘイジに言った。ヘイジは一瞬疑いの様子を見せたものの、観念しているようで、レバンジの言う通りにした。男女合わせて二十人。村長の屋敷の中庭に集まった。


「で、何の用で?」


 ヘイジが言った。


「今からこの村の人々があなたたちに復讐しに来ます。私から、異形に変化する薬を買いましたから、武器を持ったくらいではかないませんよ」


「お前! なんてことを!」


 髭面男がレバンジに掴みかかったので、レバンジはその手を払った。レバンジの手が触れたところがさっくりと切れて、男の血が地面にたたっ、と滴り落ちた。


「よせ。レバンジ殿は異形の中でも格別なようだ。で、ワシらにどうしろと?」


「ヘイジ様がお買いになるこの小瓶。一滴なら若返り。二滴なら一時的に異形になれます。三滴なら異形の効果は翌朝まで。それ以上舐めたら、異形になり切ってしまい、人間には戻れません」


「……村人が異形になってくるなら、俺たちも舐めるしかねぇな」


 レバンジが小瓶を、ヘイジはお金を差し出して交換した。


「……てめぇはどっちの味方なんだ……」


 髭面男が傷口を布で縛りながら、憎らしげに言う。


「私はただ、商売に誠実なだけです」


 レバンジはにっこり笑った。



♢♢♢



 月夜だったが雲が多かった。風が強くて、流れる雲がときどき月を隠す。草木が揺れて騒々しい。こんな日は、多くの異形の徘徊が起こる。普段なら家に篭って朝を待つだけだ。


 だが、その日ばかりはそんな臆病な人間は一人もいなかった。村人たちは皆、自分の体に漲る力を感じて興奮していた。皮膚は鎧のように硬く、髪はしなる針のようになり、爪は釘のように鋭くなる。



 ヤマユリの前でレバンジに薬をもらったセイケンは、村人を説得した。今しか村を取り戻す機会はない。父、夫、子どもを殺された悲しみ、乱暴に慰み者にされた恨みを晴らすときが来た。村人たちは、迷うことなく全員薬を舐めた。



 戦った経験がない村人でも、異形化したことでどうやって獲物を狙えばいいか本能でわかった。家々の陰や屋根の上に素早い動きで移動して様子を伺う。


 山賊たちが村長の屋敷の中庭に集合している。ヘイジから薬を与えられ、舐めていた。レバンジは中庭を歩いて出て行くところだった。


 村人の女の一人が屋根から中庭に飛び降り、長い髪を振り回して即座に手前の二人の首をはねた。異形化する前で、大根を切るよりも簡単に切れた。


 異形化が終わっていた山賊の大男が、女の腹に一撃を食らわす。女は屋敷の壁に叩きつけられるほど吹き飛ばされたが、すぐさま立ち上がり、屋根の上に飛び乗って逃げた。


 残りの山賊一味もようやく異形への変化が終わり、同じく本能でそれぞれの敵に向かい、散らばった。


 普通の人間が異形になった場合、力は互角だ。各所で殴り合い、斬りつけ合いが起こるが、異形は回復力も強いため傷はすぐに治る。埒があかない。だが、そんなこと考えて状況を把握する者などここにはいない。皆、力任せに殺し合おうとしている。ヘイジとセイケン以外は――。




 二人は村の真ん中の広場で向き合っていた。ヘイジの姿は少年にまで若返っていた。セイケンの見た目は変わらない。


「なぜ、子どもの姿になっているのだ?」


「さあ、これがワシの異形の姿だからなのでは?」


「極悪人から無垢な子どもになるのが異形か。皮肉だな」


「そちらこそ、見た目が変わらないとなると元から異形だったということではないか」


 ヘイジは、ははは、と笑った。


「ああそうだ。私は修行をして、弱き人々を恐ろしい異形から守りたかったのだ。それなのに……」


 セイケンの目から一筋の涙が溢れた。


「立派だな。羨ましいよ、そんな志を立てられるくらい恵まれた人生が」


「勝手に嫉妬していろ。どんな生い立ちがあろうと、お前らの非道は許されない」


 セイケンは呪文を唱え始めた。セイケンの体に光り輝く文字が浮かび上がる。


 ヘイジがセイケンに向かって駆け寄り、攻撃しようとすると、村人の男が数人出てきて、ヘイジを押さえつけようと飛びかかった。ヘイジが振り払うと、男たちは簡単に吹っ飛んだ。あばらが折れ、歯が落ち、鼻が潰れる。


「なんだ……こいつらは、人間なのか?!」


 あまりの脆さに、ヘイジは一瞬動きを止めた。痛みでうずくまる男たちは、確かに人間だった。


 ヘイジの体に痛みが走った。


 体に文字が貼り付いて、じりじりと体を焼いていく。


「うあぁ……なんだ……これは……!!」


 全身の奥にまで響く鋭い痛み。同じ現象は他の場所にいる山賊たちにも現れていた。痛みにのたうち回っている。



「冥土の土産に教えてやろう」


 レバンジが暗闇から現れた。


「セイケンは、クオンジの力を習得するために修行をしてきた。結界を張るだけかと思いきや、異形を祓う術もあるらしい。ただそれはよっぽどすごい修行が必要らしくて、セイケンごときじゃ無理だったのだ。だからそれを反則的に実現したのがこの異形化だ。異形の力で”異形祓い”ができるようになった。だから、もうお前たちは終わりだよ、山賊の皆さん」


 レバンジは笑顔で言った。


「……そうか、終わりなのか……ワシたちは……」


 ヘイジの四肢は焼けて無くなり、頭と胴体だけで地に伏す形になった。


「村人は二滴しか薬を舐めてない。だから異形の効果は短い。人間に戻った瞬間にセイケンが異形祓いの術を放てば、異形化している山賊だけを倒すことができる。もちろん、その瞬間も戦闘中だから、生身になった村人は即死する可能性もある。それでも、村人は全員命をかけて戦うことを決めた。すごく恨んでたんだね、あなたたちのこと」


 レバンジは笑顔で言った。


「……そうか……」


 ヘイジは上半身だけになっていた。


「最期に言いたいことある?」


 レバンジが訊いた。


「……ワシは……死んでも……おっとうと、おっかあと、弟には……会えねえよなぁ……」


「さあ、死後のことはわからないよ」


「……まあ、いい……。なぜか……この光の中に消えることが……心地いい……。こんなワシでも……こんな最期を迎えられるなら……それでいいかと……思えたよぉ……」


 ヘイジは左半分の顔から右半分の顔へ焼けていき、そして消滅した。


「作戦がうまくいって良かったな、セイケン」


 体から文字を失い、呆然と立っているセイケンを見ながらレバンジは言った。




 レバンジから薬を受け取ったあのとき――セイケンは村人みんなで山賊と戦う作戦を立てたが、村人の何人がこんな怪しい話に乗ってくれるかわからなかった。さらに、レバンジは「同じ薬をヘイジにも売るから、その効果を説明しないわけにはいかない」と言った。セイケンが頭を抱えていると、レバンジは「面白半分で異形化した彼らが、村人相手に力試しをすることもあるかもしれませんね」と恐ろしいことを言って煽ってきた。だが、その可能性は十分あった。今までの暴力も機嫌一つだったのだから。


 セイケンはレバンジを連れて家に帰り、師匠の教えを書き写した巻物を読み返した。知識としては知っていた”異形祓いの術”を使えるようになれば、仮に奴らが異形の力を手に入れても対抗できる。だが、祓いの術は人間離れしていて、こんな短時間でできるものではなかった。


 セイケンは巻物の内容をレバンジに伝え、これを習得するために相応しい商品はないかと尋ねた。レバンジは「異形の力があればできそうですね。その薬を四滴舐め、セイケン殿が異形になればいいでしょう」と答えた。四滴になれば人間には戻れない、どんな姿になってしまうのかもわからないとレバンジは言う。


 セイケンは、ユリのことを思い出していた。ユリだけを連れて、村から逃げることを考えたこともある。だが、それをしたら、もう自分は人間でなないだろうとも思った。村長がいて、スミレがいて、優しい村人たちとの平穏な生活があって――。セイケンは、定住を決めたあの時の温かい気持ちを思い出していた。


『我々は、か弱き人間を守るために修行をしてきたのだ。忘れるなよ』


 師匠の声が頭に響く。


「……レバンジ殿……。私は異形となり、この術を使えるようになって山賊に立ち向かおうと思う。だがもし、私がただ殺戮を楽しむ化け物になるようなら、私をすぐに殺してくれないだろうか」


 セイケンの言葉に、レバンジは頷いた。


「祓いの術まで教えてくれたのですから、それくらいお安いご用ですよ。なんなら、彼らが全員異形化するように唆してあげましょう」


 レバンジがニヤッと笑う。


 セイケンは作戦を立て直した。


 村人には二滴舐めさせて、山賊一味の異形と戦い、身を守れるようにしておく。万が一、村人に裏切り者がいて作戦が事前に漏れても、異形同士なら命は落とさないし、山賊側の感覚なら、普通は三滴舐めるだろう。その時間差で村人側と山賊側を分け、異形祓いができればよい……。そう考えたのだ。




 村人たちのすすり泣く声、喜びの雄叫びが聞こえてきた。セイケンはそれを耳にしても、無感動だった。


「……これで、私も異形の仲間入りでしょうか」


 セイケンは、ほほえむレバンジに言った。


「そうだな。仲良くやろう、兄弟」



♢♢♢



 村人は大けがをした者もいたが、全員生き残ることができた。


 翌日、旅立つレバンジとセイケンを見送るために、村人たちが村の入り口に集まっていた。


「ユリさん……村の結界のこと、よろしくお願いします」


 セイケンは、ユリに言った。


「はい。これからは私が村を守ります」


 ユリは、結界を維持する仕事を担うことになった。毎日、あの薬を一滴舐め、異形の力を使いながら手入れをする。一滴舐めたときの若返りの効果とは、つまり異形の回復力の結果なのだ。


「セイケン様……本当にありがとうございました……」


 ユリが泣き、村人も泣いた。


「いえ、私は本当は何もできていません。でも、これからまた修行をやり直して、今度こそ久遠寺一門の名に相応しい術師になりたいと思います」


 セイケンは穏やかにほほえんで言った。




 二人は歩き出し、村の外の道を並んで歩いた。


「……レバンジ殿……」


「何でしょう?」


「なぜ、異形祓いの術は貴方に効かなかったのですか?」


「簡単な話です。セイケン殿の術が未熟だったからです」


「……そうですか……」


「これからどうするおつもりで?」


「術が使いこなせるように修行をします」


「頑張ってください」


「レバンジ殿は?」


「旅商人をやりながら、久遠寺正善殿に会いにいきます」


「何のために?」


「会えたら面白そうなので」


 レバンジは相変わらず、うっすらほほえんでいた。


「……そもそも、レバンジ殿は何者なのですか?」


「異界に住んでいましたが、好奇心が勝ってこちらの世界に。人間って面白いな、とつくづく思います。だから、正善殿に危害を加えようとか、そんなことを企てたりはしてませんよ。ところでユリさんへの気持ちはいいんですか?」


 レバンジは、前を見つめて歩くセイケンの横顔を見ながら言った。


「……異形になってから、冷めてしまいました」


 レバンジは急に大笑いした。


「いいと思いますよ、それで。修行が捗りそうですね」


 レバンジはツボにハマったらしく、しばらく笑っていたが、街と山に向かう二股の道に着き、二人は軽く挨拶をして別れた。




――闇の旅商人の若返りの薬 (完) ――

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久遠寺と闇の旅商人レバンジ 千織 @katokaikou

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