第6話 赤い紐④

 朝、レバンジは布団の中で目を覚ました。隣にはあの黒髪の女が寝ている。


 女は、ヘイジの話が怖かったので一緒に夜を過ごしてほしいと言って寝床についてきた。異形とわかっていながらよくそんな行動ができるな、とレバンジが言うと、女は周りに美形がいないと嘆いて、異形でもいいから抱いてほしいという。人間の好奇心と性欲と捨て身の行動力にレバンジは驚いた。


 だが、残念ながらレバンジに生殖器はない。仕方なく、女の指示に従って、無いなら無いなりの行為をした。女は満足気だったが、レバンジにはいまいち良さがわからなかった。そう考えると、ユリのためにあんな得体の知れない薬を舐めるヘイジは健気だな、とレバンジは思った。




 朝飯だと言われて座敷に向かい、ヘイジと顔を突き合わせた。ヘイジはより若々しい見た目になり、髪が増え、新しい歯も生えてきていた。顔の筋肉の不均等さも直り、一人の素朴な青年に見えた。


「薬は買い取ろう。今、金を用意している。夜には渡せる」


 ヘイジが言った。

 朝飯が出されたが、ユリの姿はなかった。

 

「それはどうも。では今日は村をぶらつきますね」


「ああ。ご自由に。ただし、変な真似はしないでくださいよ。ワシも好きで悪さをしたいわけじゃないんでね」


 ヘイジはニヤリと笑ったが、もうあの汚らしい老人の狡猾な笑い方ではなかった。



♢♢♢



 レバンジは、村の周りを歩いた。時々出会う村人に、村の草花の手入れや掃除は誰がやっているのかと訊くと、前からセイケンとユリの仕事だという。二人でやるにはかなり大変そうな広さだ。


 林の中に、ニョキっと出ていたヤマユリを見つけた。ふと見ると、根本近くに赤く細い紐が蝶々結びになっている。なるほどコレか、とレバンジは納得した。


「レバンジ殿」


 後ろから声をかけられ、振り向いた。セイケンがそこに立っていた。鋭い目つきでこちらを睨んでいる。


「単刀直入に言います。結界の秘密をお話ししましょう。その代わり、この村にいる山賊を一掃してくれませんか?」


 セイケンの一際低い声。全身からは湯気が立ちのぼっているように見える。どうやら怒っているようだった。


「結界の秘密はもう分かりましたから、結構です」


 セイケンは目を丸くして、え!っと叫んだ。


「どういうことですか?!」


「なんで私がこの村に入れたのかな、と不思議だったのです。ここの結界は、都の結界に匹敵するかなり質のよいものだったので。で、見つけました、この赤い紐。これが結界の綻び。ユリさんとの逢引きの場所ですか?」


 セイケンはハッとした顔をしたが、すぐに苦々しい表情に変わった。


「……そうです……。私は、術師として見習いの時にこの村に派遣され、この結界は師匠と一緒に張りました。結界はその土地ならではの地形と自然物を使うため、術師は定期的に手入れをしなくてはいけません。私はこの村の雰囲気を気に入って、定住することにしました。そして、ユリさんの妹スミレと結婚する予定でした。ですが、彼女は流行病で亡くなってしまい……。悲しんだ私とユリさんは、結界の手入れに回りながら、互いの悲しみを分かち合うようになりました。そして……男女の仲になりました。その紐は、落ち合う時間や場所をユリさんに伝えるための合図です。私の……この未熟な精神が、結界を弱めているのですね……」


 セイケンはうなだれた。


「村長には、申し訳ないことをしたと思っています。スミレさんにも……。でも、どうしようもなかったのです。二人でいるときは心が安らいで、彼女に触れたくて仕方がなかった……。私は、いつでも村長に罰せられることを覚悟していました。なのに、その村長すらいなくなってしまって、あまつさえユリさんはあの汚らしいヘイジのものに……」


 セイケンは奥歯を噛み締めた。今セイケンが怒っているのは、昨晩のユリの嘆きを知ってしまったからだろう、とレバンジは思った。



「……一つ教えてくれたら、お手伝いしますよ」


 レバンジは真顔になって言った。


「……なんでしょうか」


「セイケン殿のお師匠の名前だけ教えてください。あとは自分で調べますから」


 セイケンは、レバンジのガラス玉のような澄んだ目を見つめた。どこまでも吸い込まれていきそうな黒。


 術師としても至らず、人間としても至らず、男としても至らない。何でもない、無力な、子どものような自分。本当は、泣き叫びたいくらい情けなかった。そして今、この得体の知れない異形に、今度は師匠を売ろうとしている。そんな自分が、彼の目に映っている。


「……久遠寺正善……です……」


 喉は渇きで張り付き、掠れた声になった。


「クオンジ、ショウゼン」


 レバンジは、ただ名前を繰り返し言っただけだが、セイケンには今まで聞いたことのない言葉に聞こえた。

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