顔が見えるまで

大和田よつあし

顔が見えるまで

 夏の強い日差しは光と影を明確に分けていた。

 海風が運ぶ蒸した空気は、呼吸するのも重苦しく、少しでも影になる場所を選んで歩いていく。

 見知った町の、見知らぬ道を探して。


 越智十灯おちとうかの高校三年の最後の夏は暇だった。

 仲間は進学するための勉強で、予備校か図書館で缶詰となっている。卒業後は家業のコンビニを手伝うことが決まっている俺とは、時間が合わない。


 邪魔しちゃ悪いしな。


 そんなわけで夜勤明けの朝から、住んでいる町を散策している。

 小さな町だ。五キロ程の浜辺、その両端はゴツゴツとした磯に崖。海岸沿いには国道が走っており、国道から山間に向かって、歩道が整備されている道がある。突き当りは小さな駅、ラッシュ以外は一時間に二本のローカル線だ。これといった目玉になる観光名所もなく、時折、釣りの穴場として訪れる客ばかり。

 駅前と歩道沿いには店舗が並んでおり、俺の家はその中の昔ながらの酒屋だった。黒い瓦、杉板の壁の古い家屋を俺は好きだったが、三年前に取り壊して、三階建ての鉄筋コンクリート造のコンビニとなった。三軒先の畳屋はクリーニング屋、向かいの八百屋はチェーン店のコーヒー屋となり、町は少しずつ変わっていく。

 寂しくもあるが仕方ないのだろう。


 学生最後の夏休みはこの町の全てを知っておきたい。そんな風なことをいって散策をしている。

 とは言っても、この町は、子供の頃に探検し尽くしている。俺は子供の頃の記憶を頼りに、改めて確認しているに過ぎない。

 夜勤明けで山道は登りたくなかった俺は、浜辺に出た。ぶらぶらと浜辺を歩いていると、子供の頃に秘密基地として使っていた、放置されている船小屋があった。

 船小屋とは文字通り、漁船を仕舞っておく小屋のことだ。昔の漁師は船を雨ざらしにしない。海側の正面の壁は全開放し、それ以外は壁と天井で覆って、大事な船を傷まないようにしていた。

 だが、この船小屋の持ち主は、俺が知っている限り、十数年放置している。十メートル前後の立派な漁船も、今や見る影もなく傷んでいる。

 このまま海に出せば沈むだろう。


 子供の頃はここに貝殻やサメの歯と称した甲イカの骨とか隠していたっけ。


 何となく、気になった俺は船小屋に入っていった。何もかもが巨大に見えた船小屋は、高校生の俺には狭く感じたが、懐かしくもあった。


 奥の壁に、巨大な白いなにかがある。


 外からは見えないように、奥まった壁には白い組み重なったようなものが、立て掛けられて置かれていた。絵画のようではあるが薄い立体的なものだ。


 なにか彫られている。


 ここからでは薄暗くて見えにくい。奥へと入っていくと……。


「触らないでくれよ。すごく脆いんだ」


 船の上から声がした。見上げるとぼさぼさの長い髪を掻きながら、欠伸をしている顔。

 どこかで目覚えがある。


「お前……佐々木か」


 佐々木嬰子ささきえいこ。同じクラスの同級生だ。だが、五月から学校には来ていない。佐々木の親父の寝煙草で、住んでいるアパートを全焼させてしまったのだ。親父は焼死、嬰子は行方不明のままだった。

 佐々木の親父は、年中酒に酔い、暴力を振るっては、よく警察に厄介になる問題のある人だった。母親は小さな嬰子を置いて、家を出ていった。誰もこの親子には係わりを持たず、腫れ物のような扱いだった。

 当然、誰も親類縁者の連絡先も知らず、嬰子と連絡先の交換をした友達もいない。クラス担任の連絡も不通だった。小さな町では何でも噂になる。

 

「ずっと、ここにいたのか。何でまた……」


 理由は聞かなくても分かる。

 誰も頼れないのだ。誰も信用できないのだ。


「そうだよ。アパートが燃えているのをみた時、クソ親父のせいにされると直感したからね。逃げたんだよ。近所の奴らは、問題があるとみんな僕たち親子のせいにしたからね。僕が居なければ困るだろう。くっくっくっ……。

 三日程隠れてから、町に買い出しに行った時に噂を聞いたよ。案の定、クソ親父のせいにされていたよ。寝煙草が原因だってさ。親父は煙草なんか吸わないのにさ。……笑っちまう」


「警察は?」


「警察だあ。親父がクソ親父になった原因がその警察だよ。相手の言い分ばかり聞いてさ、逮捕しやがった。そのせいで仕事はクビ。年中、酒飲んで暴力を振るうようになった。彼奴等は立場の弱い奴の話は聞いちゃくれねえよ」


 その目は憤怒で溢れていた。この世の全てに怒っていると確信した。


「だからさ、ここに僕がいることを黙ってくれると嬉しい。お礼にチューくらいならしてやっても良いぞ」


「そういうのは間に合っている」


「そうか、お前は女に縁がなさそうな顔をしていると思ったがな」


 楽しそうにマウントを取ってくる。


「余計な御世話だ」


 ああ、その通りだよ。くそったれ。


「そんなことより、食べ物は大丈夫なのか」


「……金はある。食べ物は深夜のコンビニで買っている。お前のところでも買ったぞ。あと、漫画を読んで大声で笑うのは止めたほうが良いぞ。気持ち悪い」


「う、うるせい。それならいいんだ。金に困っているなら、賞味期限過ぎの弁当でも持ってきてやろうと思っていたんだが……」


「是非ください。よく見たら越智くん素敵♡」


「現金だなあ。まあ、いいや。それより、奥にある、あの白いものはなんだよ」


「サメの歯だ」


「はあ!!」


「拙い字で箱に書いてあった」


 指さした箱を見る。間違いない。あれは小学生の俺の字だ。


「あれはイカの骨だ。俺が小学生の時に集めていたやつだ」


「イカに骨はないだろう」


「甲イカにはあるんだよ。靴底みたいな大きなやつが……この浜は甲イカの産卵場なんだよ」


「そうなんだ……知らなかった」


 俺はがっくりしながら、奥にあるものを間近で見た。


 なんだこれは。


 全体で40号(1000×800mm)くらいの大きさになっているが、甲イカの骨を繋ぎ合わせて出来ている。骨のひとつひとつが200×50mmの長方形に削られ、よく見ると上下左右の接続部分には凸凹に加工されて、噛み合わせている。

 その骨の全てに深く細かく紋様が浮き彫りされ、その渦巻く流れは、中央の人魚姫へと昇華されていた。人魚姫の繊細な身体のラインは艶めかしくもあり、儚くもある……美しい、だが。


「日中、暇だったから彫っていた……」


 佐々木は顔を赤くさせながら、横を向いて、こちらをチラチラと見ている。


「凄いな……三ヶ月でこれを作ったのか。佐々木にこんな才能があったなんて……」


「三ヶ月じゃない。三年だ。モチーフはその頃から考えていたし、彫る練習もしていた。下絵は燃えちゃったけどね」


 佐々木は嬉しそうにニヤけている。


「顔は彫らないのか」


 そう、この人魚姫には顔がない。


「彫れない。顔がわからないんだ。半端なものを彫るなら、待ったほうが良い。今は周辺部分を詰めている。完成しないかもしれない」


 こいつ、意外と饒舌だな。俺とはそんなに仲が良かったわけでもないのに、人が恋しかったのかもしれない。

 今日はここ迄だな。あまり詰めると、逃げられるかも知れん。野良猫と一緒だ。先ずは餌付けをしよう。


「お前、風呂とかどうしているんだ。まさか三ヶ月入っていないとか言うなよ」


「し、失礼な。ちゃんと深夜に海や公園で身体くらい洗っている」


「ああ、最近、噂になっている痴女の幽霊はお前のことか」


「なっ、そんな噂が流れているのか」


 顔を真っ赤にしている。


「嘘だ。そんな噂が流れないように気をつけろよ。夏でも風邪ひくなよ」

 

「うるさい」


 佐々木は手元にあった練習用のイカの骨を投げてきた。見事におでこへヒットしたが、全然痛くない。


「じゃあな。次に来るときは弁当を持ってくるよ」


「さっさと帰れ!!」


 俺は片手を上げて去って行った。




 さて、どうするか。

 当面は様子見と弁当の餌付けだが、大人は頼れない。あれだけ不信感があると、手を借りたと口を滑らしただけで逃げられそうだ。今は夏だから何とかなっているが、冬になれば最悪死にかねん。

 佐々木の話だと、ちょくちょく買い物とかしているようだが、誰にもバレていないみたいだ。あのゴワゴワの髪はバンド野郎にも見えるし、胸もぺったんこで女に見えないから、なんとかなっているのか……ぺったんこは正義だな。今度、服の差し入れでもするか。

 金はあると言っていたが、増える当てがなければ減る一方だ。こちらも考えなければ、行き詰まるな。

 何で佐々木はこの町にこだわっているのだろう。あの船小屋に思い入れがあるのか。

 分からん……今日は寝よう。




 あれから三日経った。


「お〜い、佐々木。差し入れ持ってきたぞ」


「ば、馬鹿、声がでかい。誰かに聞かれたらどうするんだ」


「誰もいなかったし、朝も早いから大丈夫だろう。気になるなら早く呼び名を考えてくれ。ほら、弁当の余りだ。おまけにデザートも持ってきてやったぞ」


「やったー。デザートなんて半年ぶり」


「お前が行方不明になったのは三ヶ月前だろう」


「私んちは貧乏だったんだよ」


 俺が渡した弁当には目もくれず、デザートのプリンを取り出した。


「なあ、スプーンは無いの」


「箸は適当に入れたけど、スプーンは入れ忘れたかもしれん」


「まあ、いいか」


 佐々木はプリンの蓋を取り、指で掬って食べ始めた。なかなかワイルドだ。


「なあ、佐々木。昨日の話は考えてくれたか。夏が終われば、ここにいられなくなる。お前がその気になれば、部屋で匿うぞ」


「いやらしい。絶対に嫌だ」


 駄目か……しかたない、方針を変えてみるか。


「なあ、佐々木。お前は何でここにいるんだ。雨露を凌げるだけじゃないだろう。あの骨のレリーフも理由ではないのだろう」


「越智には関係ない。どうでもいいだろう」


 指についたプリンを舐めながら、横を向いた。


「あれが完成するまでだ……それ以上は待たない」


 今日はここまでか。


「明日来るよ」




 父親から新しい情報を手に入れた。

 佐々木のアパートの火事は、寝煙草が原因ではなかった。消防署の検証で失火場所を特定したら、二階の佐々木の部屋ではなく、一階だったことが判明した。その部屋の主婦の長電話による失火が原因だった。最初に佐々木の親父が火事を起こしたと騒いでいた奴が元凶らしい。消防も警察も馬鹿ではないな。

 とはいえ、噂は鎮火していない。佐々木の親父の日頃の行いが悪すぎた。

 この事をそのまま佐々木に伝えても、信じないだろうな。どうしたものだろうか。

 気になるのはもう一つ。佐々木は完成するまで待つと言った。誰を待っているのか。

 推測するならば、行方不明の時点で警察から連絡がいくだろう……母親か。

 あの場所にいると推測できる関係者でなければ、出てこない言葉だ。

 火事から三ヶ月。来るのは絶望的だろう。佐々木も諦めかけている。

 最悪の事態は避けたい……。




 更に三日経った。


「おーい、サコポン。弁当を持ってきたぞ」


 佐々木は船べりから、ひょっこり顔を出す。


「越智、いつもありがとうな。後でチューをしてやるよ」


「そんなものはいらん。ところで骨のレリーフは出来たのか」


「出来てないよ」


 袋を漁りながら、背中で答える。

 いやいや、なんかもの凄く掘り込みが精緻になっている。もう素人の域は完全に超えているぞ。

 紋様の彫りはより深くなり、裏側まで抜けている。黒い裏板に貼れば、骨の白が生きて、より映えるだろう。

 だが、相変わらず顔は出来ていない。


「なあ、このレリーフ、出来たら俺に売ってくれないか。誰にも渡したくないんだが」


「そんなに欲しけりゃただでやるよ。どうせ暇つぶしだし、毎日、弁当を貰っているからな」


「それは駄目だ。価値のあるものには対価を支払うものだ。俺はこれが気に入った。だから、買う」


「そ、そうか。僕の作ったものが欲しいのか……値段は分からないから、越智が付けてくれ」


 照れくさそうにもじもじしている。いつもこれだったら可愛いのに。


「じゃあ、切りよく百万円で良いか」


「ひゃ、ひゃ、百万円って、何いってんだ越智。頭がおかしくなったのか」


「俺も美術品の値段は知らないが、それくらい出しても良いと思ったんだ。だが、顔はちゃんと彫れよ。適当なものじゃ駄目だ。納得のいく顔だぞ」


「ひゃ、ひゃ、百万円って……」


 あれは耳に入ってないな。


「なあ、佐々木」


「な、なに。お客様」


 なに言ってんだ、こいつは。


「お前が待っているのは、母親か」


「…………うん」


「本当は連絡先を知っているのだろう? 三ヶ月待って、来ないのならば、こっちから行ってもいいんじゃないか」


「だ、だって、待っててと言っていた……」


「そんな親の都合は、もうどうでも良いだろう。今、助けが必要なんだから。駄目なら俺を頼れ。でも、レリーフは仕上げないと、金は払わないからな」


 目が右に左に泳いでいる。決心がつかないようだ。


「電車に乗れば直ぐだ。不安なら俺もついて行ってやるよ」


「本当か? 絶対だよ」


「約束するよ。だから、先ず駅前の銭湯へ行け。髪が汚すぎる」


 練習用の骨がおでこに当たった。




 現状を打破する切っ掛けは作れた。

 母親と話が付くのが一番楽だが、今まで放置していたことから、期待できないだろう。

 慰めのセリフは用意しておこう。

 それにしても、あの骨のレリーフに百万円は高すぎたかもしれない。三十万、いや、五十万円でもいけたかもしれないが、自分の作り出した価値にインパクトを与えたかったのだ。佐々木には自分を安売りして欲しくない。

 自分でもよく分からんが……これが勢いってやつか。

 それにしても美術品が高いのも頷ける。足掛け三年、実作業三ヶ月の間に精魂込めて作り上げたものが百万円なら、実質、一ヶ月の給料は三十万円に満たない。手取りは知らんが、普通のサラリーマンの方が稼げている。……足元を見て、安く買い叩いた気がしてきた。喜んでいたから、まあ、いいか。

 佐々木への世話焼きに特別な感情はないと思う。

 俺が出来ることをやったまでだ。

 別に俺でなくても良いが、俺であっても良いのだ。




「なあ、越智。この格好、変じゃないか」


「可愛い、可愛い。さあ、そろそろ行くぞ」


「もう一回、鏡を見てくる」


「何回も駅のトイレに行くと、匂いが移るぞ」


「…………」


 佐々木は無言で蹴りを入れてきた。


 俺は佐々木に考える時間を与えずに、昨日の今日で行動に移す作戦に出た。母親は意外と近くに住んでいて、電車で三十分ってところだ。

 有無を言わさず、朝一番の銭湯に放り込み、佐々木は隠し持っていたお気に入りのスカートへと身支度を整えた。普段はジーパンにTシャツだからか、思わず珍獣を見るような目で見てしまったのが悪かった。


「なあ、越智。いきなり行って、迷惑にならないか」


「そんなの知らん。母親が親の都合を押し付けるなら、お前は子の都合を押し付ければ良い。その反応を見て、頼るか離れるか判断すればいいんだ」


「なあ、越智。駄目だったらどうしよう」


「うちに来れば良い。深夜帯のバイトは年中募集中だ」


「警察に追われている身だよ。迷惑になるよ」


「迷惑になると考えているなら、履歴書に偽名を書けばいい。どうせ、本人確認なんかしないから、それで十分だ」


 本当は警察に確認したから大丈夫だ。遺骨の引き取りだけが問題だった。警察には本人を説得中だからと言って、猶予を貰っている。

 父親にも簡単に事情を説明してある。俺に似て、適当な親で良かった。

 電車を降り、母親の住所をスマホのマップアプリに打ち込む。歩いて二十分だった。駅前で買ったばかりのサンダルだから、靴擦れが心配だが、気持ちを整理するためにも歩いて行く。


「あの角を曲がった所だ。もう直ぐだ。覚悟を決めろ」


「…………うん」


 住所の場所に佐々木の母親は居なかった。


 近所の人に聞き込みをしたら、佐々木の母親は三ヶ月前に引っ越したらしい。何処に行ったかは誰も知らなかった。

 駄目な大人を予想していたが想像以上だった。佐々木はショックを受けてるというより、やっぱりといった諦めの表情をしている。




 帰りの電車を待つベンチで佐々木は無言だった。

 駅の自動販売機で買ったソーダ水を渡した。


「大丈夫か、サコポン。買ったばかりのサンダルで歩いたから、靴擦れはできていないか」


「大丈夫……」


 佐々木はソーダ水を飲もうともせずに、両手で握りしめている。


「越智……付き合わせて悪かったな。これで諦めがついたよ」


「こっちこそ性急に事を進めて悪かった。色々プランは考えていたんだよ。まさか逃げ出すなんて、予想外だよ」


 俺は敢えて戯けてみせたが、俯いた顔は上がらない。


「なあ、越智。船小屋があそこに一軒だけって、変だと思わないか。あれは僕のお祖父さんのものなの。私が生まれる前に亡くなったから直接は知らないけど、とにかく偏屈で、話の通じない人だったらしい。漁師仲間にも煙たがられていて、親父とも仲が悪かった。漁師は継がずに船小屋も船も放置したと聞いたよ」


 佐々木は静かに語り出した。


「親父は親父で口下手で、言葉に詰まるとすぐに拳が飛ぶような人だったから、警察に厄介になることも多かった。母親が逃げ出すのも無理がないと思っていたけど、確信したよ。あの人は嫌なことから、すぐに逃げ出す人だったんだ」


 口約束なんか信じて馬鹿みたいと呟く。


「僕も小さい頃から、どうしようもない家の子と言われ続けていたから、学校で友達を作る気はなかった。行方を晦ましてから、何度も買い物に出掛けたけど、誰にも気付かれない。

 僕には顔がない……そう思ったよ」


 渇いた笑いが小さく響く。


「骨でレリーフを作ったのは気まぐれだ。ひとり遊びで削っていたものを、芸術レベルに仕上げれば、死体のそばにアレがあれば、痛快だと思った。

 モチーフは泡となって消える人魚姫。何もかも捨てて人間社会に来たのに、何も得られず泡となって消えた姫、僕にピッタリだろう。

 でも、顔が彫れなかった。何度も彫ろうとしても、惨めたらしい泣き顔になるんだ。そんなもの……残したくない。

 なあ、越智。何であの時、僕を見つけたんだ。何度もコンビニで買い物していたのに、全然気付いていなかったのに……何でだ。

 何であのまま、終わりにさせてくれなかったんだ。僕のことなんか好きでも何でもないのだろう?」


 ようやく顔を上げた佐々木の大きな目には、静かに大粒の涙が溢れていた。

 ああ、初めてだ。

 初めて佐々木の顔を真正面から見た。


「俺の話をしてもいいか。家は爺ちゃんの代から酒屋だ。昔は漁師が大勢いて、飲み屋も栄えていたらしい。だが、父親の代になると、港が整備された隣町に移っていった。飲み屋も徐々になくなり、酒屋は頭打ちだった。

 父は一念発起して、コンビニを始めたが、二十四時間営業の負担が大きかった。小さな町ではバイトは見つからず、深夜帯は家族で持ち回りだったよ。売上も思った程ではなかった。

 家族の誰が欠けても、立ち行かなくなるのは分かっていた。大学は諦めた。

 良かれと始めたことが、裏目に出ることはある。父親を責める気はない。だが、生まれた町にすり潰される……そんな気がしたよ。

 だから、佐々木を見つけられた。

 俺より先に、町にすり潰されているお前を助けられれば、変えることが出来ると思った。気に入らないことは変えちまえばいいんだ。

 お前に同情もしたが、これは俺の為だ。

 だから、遠慮なく俺を頼れ。

 お前は人魚姫じゃない。助けるのは王様の息子ではなくて、コンビニ店主の息子でも良いだろう?」


 佐々木の目に涙はなかった。真っ直ぐに俺を見ている。

 まるで愛の告白みたいだな。周りの視線が気になるが、今は無視する。


「佐々木……ひとつだけお願いがあるんだ」


「……何?」


 告白を期待しているのか、もじもじしている。


「レリーフの代金を分割払いか、少し負けて……」

 

「絶対やだ。ビタ一文負けない。越智の傍で取り立ててやる」


「だったら、ちゃんと顔を彫らなければな」


「今なら理想の顔が彫れそう。コンビニ店主の息子が助けてくれるのだろう」


「深夜帯のバイトなら、年中募集中だよ」



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