あけるエクスペリエンス
深海くじら
あけるエクスペリエンス
朝起きたら
こう書くと、寝癖だとかお腹の上に乗る猫だとか知らない蛍光灯だとかと同程度に聞こえてくるから不思議だ。まるで日常の中のわりとよくあるイレギュラーみたいな。まぁ朝起きて天井見上げたら知らない蛍光灯ってゆーのが日常だったりすると、それはそれで結構マズいかもしれないけど。
いや、シンジくんの話はこの際どうでもいい。
とにかくその日の朝目覚めたときには、あたしはすでに男になっていた。最悪なことに。
ごめん。ちょっと突っ走ってた。
これ読んでるあんたはなにがなんだかわかんないよね。そもそもおまえは誰だって話。こんなとこに投げ出してる以上、あんたがリアルなあたしのこと知ってるとは限らないもんね。ていうか、そうでない可能性の方が高いかな。
というわけで自己紹介。
名前は、
実家は一関で兄弟はいない。ひとりっ子だから、まあ可愛がられて育ったかな。その割に背は小さい。体型も、ちょっと起伏に乏しい。そこ、あんまツッコまないように。
背は小さいけど気は強い。口喧嘩なら勝率七割いける、と思う。ただし仲間内だけ。知らないひととかあんま話したことの無いひととかは、正直苦手。高校までは
男子と付き合ったこととかも無い。てか、男子キライ。あいつら馬鹿ばっかしで。下心見え見えのくせにかっこつけて美寿々に話しかけたりしてマジうざい。この世から男を消してくれるんなら、子どものころから貯めてたお年玉半分つっこんだっていい。創作サークル選んだのも、男子がほとんどいなかったからだし。
その点、女の子はいいよね。やーらかいしふにゃふにゃだし。おまけに言ってることもまあまあ理解できるしね。女の子そのものの美寿々に抱きついて胸に顔を埋めてたら、このまま窒息死してもいいってマジ思ってたもん。
あたしの見た目、美寿々からはよくリスに例えられた。でもどっちかって言えばリスよりもマングースの方が好き。毒蛇のハブと戦ってやっつけちゃう奴。例えられるならあっちがいいな。
他には……。ま、いっか。これくらいで。要するに、コミュ症が入ったチビの内弁慶女子ってこと。あの日までは。
あの前の晩、サークルの飲み会であたしはめちゃくちゃ興奮してた。なにしろ憧れの珠緒先輩がわざわざ隣に座ってくれたんだから。
珠緒先輩はホントにかっこいい。背はあたしより頭ひとつ上だから、めちゃめちゃ高いってわけじゃないけれど、とにかく美人でスタイルがいい。入会以来ちゃんとお話ししたことは一度も無いからどんなひとかはわかってないけど、あんなに素敵で誰からも恨まれることのないひとが人格者でないはずがない。でもなんで、こんな地味でチビで陰キャのあたしの隣に?
「俵星さん、楽しんでる?」
涼やかな風鈴のような、それでいてちょっとハスキーに響く素敵な声で話しかけられ、あたしの緊張カウンターは過去最高に跳ね上がった。
「はひっ」
つやっつやの黒髪ロングをホワイトアスパラのごとき細指が掻き上げる。ヤバい。珠緒先輩、いい匂い過ぎる。
「ほんのり茶髪のふわふわショート、かわいい。俵星さんの髪の色って染めてるのとは違うのね」
「ふへぇ」
失語症に罹った不審人物の呻きなどお構いなく、正統派超美人は言葉を続ける。
「私、前から俵星さんとは仲良くなりたくって。なかなか機会が無かったから今日は押しかけちゃった。ていうか、俵星さんってなんか語感固いから、あけるちゃんって呼んでいいよね。あらためてよろしく」
麦茶が入ったあたしのグラスにビールグラスをチンとぶつける珠緒先輩。なにこのお洒落シチュ。ファーストネームで呼んでいただけるなんて、畏れ多過ぎて息が出来ない。あたし今日、死ぬかもしんない。
「あけるちゃん、夏休みはどうするの?」
「は、はひ。実家、実家に帰ります。明日か明後日あたりに。い、一関なんで、チケットの予約とか気にしなくてもいいんで」
「そっかぁ。そんなにすぐ帰っちゃうんだ。夏休みはいっしょに遊びに行きたいって思ってたから、ちょっと残念」
後出しのサービストークとわかっていても胸がうち震える。珠緒先輩、まさに神。
「でも、予定が変わるようならいつでも連絡してね。あと困ったときとかも」
珠緒先輩はそう言って、スマホを取り出した。
「はい。LINE交換」
おこりのように震える手で、あたしもそれに応じる。十八年生きてきて、初めて夢心地って言葉の意味がわかった。
「社交辞令じゃないから。なにかあったらすぐに連絡してきてね」
口もきけずにこくこくと首を振る。あまりの神展開に、あたしの理解が追いつかない。硬直したまま首だけを振り続けるあたしの姿は相当に異常な絵面だったと思う。
上座からの呼び声に応えた珠緒先輩は、じゃまたね、と言い残して席を立った。
そこから先の記憶は、無い。いつ飲み会が終わり、どうやって部屋に帰り着いたのかまったく覚えていないのだ。
気がついたら、部屋のベッドで朝になっていた。
おしっこがしたくなり、ぼけぼけの頭のままトイレに向かった。いつ着替えたのかも判らないパジャマのボトムをいつもと変わらない流れで下着と一緒に下ろし、便座に座る。あたしの
諸々の気色の悪い確認作業は割愛するけど、驚天動地の混乱をおさめるには半時間ほどかかった。一切の因果関係は藪の中だけど、現実はこれ以上でも以下でも無いってあきらめたのだ。
あたしだって創作者の端くれだ。まだ一作も完結させてないけれど、一般的なラノベやウェブ小説ならそこそこ履修してる。だからわかる。これはTSジャンルだ。今いるターンでやるべきことは原因究明なんかじゃない。もっと即物的な、あるがままを受け入れるのと、この先の予定の修正。そして次に打つ手を決めること。
まずは周辺環境から整理しよう。季節は夏、夏休みに入ったばかり。カーテン越しの明るさから、本日は晴天なり。時刻は午前九時前で、あたしは独り暮らしの部屋にいて他には誰もいない。ベッド周辺、ライティングデスク、床、本棚、脱ぎ散らかした衣服の山、台所、ユニットバス、玄関。どこを探しても不審な勾玉やヒントを書いた紙切れなんかは見当たらない。スマホにも見知らぬアプリのアイコンが追加されたりはしてなかった。
と、いきなり耳慣れないリングトーン。思わず取り落としちゃったけど、ベッドの上だから被害無し。画面に浮かんだのは「実家」の二文字。家の固定電話からだった。スピーカーモードで応じる。
「あける。あんた、まだ寝てたの? 起きてたんならさっさと出なさい。今日帰ってくるんでしょ? こっち着くのは何時ごろね?」
矢継ぎ早やに繰り出される母親の質問は、あたしに現実を思い知らせる。そうだ。最初の難関は帰省だ。一般的常識人である両親に、どうやってこの状況を理解させる?
ちょっと想像しただけで気が滅入ってくらくらする。ダメだ。少なくとも足場の定まってないこの現状で実家に帰るのはムリ。
「あー、それだけど、ちょおっとともだちと出掛けたりするんで、そっち帰るのはもうしばらく先になるかな」
とりあえずの先延ばし策。なるべく不自然にならないように。
「風邪でもひいてんの? なんか声がへんよ」
しまった。声帯も変容してるのか。声を出してなかったから気づかなかった。
「
「あんた唄とか歌うようになったの? あんだけカラオケ嫌ってたのに」
「大学生になったんだからつきあいくらいは」
「へえ。成長したのね。じゃあ今度聴かせてもらわんとね」
めんどくさいフラグを立ててしまった。
「で、お友だちとのお出かけっていつまで行ってるのよ? おともだちって、まさか男の子?」
「んなわけない。女の子に決まってんじゃん。行き先と日程はまだ決まってない。そ、そう。今日、このあと打ち合わせして決めるんよ」
「あ、そう」
意外にも母親はあっさり引き下がった。
「日程決まったらこっちにも教えて。あんたが帰ってくるのお父さんが楽しみにしてんだから、なるべく早くね」
通話を終えたあたしは安堵の溜息。とりあえずの猶予は確保できた。とはいえ今後の行動予定は早々に、できれば今日中に決めないと怪しまれる。でも次の一手は思いつきそうにない。この状況を一緒に考えてくれる友だちなんて美寿々くらいしか思い当たらないけど、当の彼女は夏休みいっぱい蔵王の温泉宿で泊まり込みのバイト。美寿々の線は消えた。
途方に暮れたあたしの頭にひとつの記憶がよみがえった。
――困ったときとかも、なにかあったらすぐに連絡してきてね。
LINEを開く。ともだちリストの一番上にその名前はあった。
たまおるい
さすがに躊躇う。
昨日の今日で、しかもいきなりこんなわけのわからない状況を持ちかけるとか、非常識にもほどがある。しかもこちとら陰キャだし。
でも、とあたしは考え直す。非常識というならこの状況の方がよほどそうだ。ならば、相談する非常識などたいしたことじゃないんじゃない。
万策尽きたあたしの指は、曼荼羅を背景にスナフキンのアイコンを置いた彼女のページの「通話」を迷わずタップした。
*
窓を開け放った軽自動車は高原のくねくね道をひた走る。助手席に座るあたしは、下界とはまるで違う爽やかな風を受けながら、ときおり運転する黒髪美人を覗き見ていた。
あたしが話す早口で意味不明の説明を、珠緒先輩はすべて受け入れてくれた。そして、その通話での言葉通り、ほんの十五分ほどで迎えに来てくれたのだ。
「ひとまず、私の実家に行こ。離れがあるからしばらくゆっくりできるよ」
珠緒先輩はその場であたしの母親に電話して、大館の実家に一緒に行くことになった旨を伝えてくれた。先輩の大人びた口調は母親を安心させたみたい。
憧れの先輩が運転する車にふたりきりで乗ってると、身体が男の子に替わっちゃったことなんてどうでもいいように思えてくるから不思議。
お話によくある体格丸ごとの大変化は、あたしに限ってはとくになかった。身長も体重もそのままだし、顔つきも大きくは変わってない。服だってそのまま着られたから、今も元々もってたカットソーとチノパンだし。ただ、以前には影も形も無かった機関が股間にちんまりとぶら下がってて、ささやかでも一応主張はしてた胸の皮下脂肪は完全なぺったんこに成り下がってる。
前は男の子みたいって言われた容姿が、単なる男の子に変わった感じ。それも中学生くらいの。
「私の望みが現実になっちゃったって感じ」
珠緒先輩の呟きは風音にかき消されること無くあたしの耳に届いた。
「私ね、こう見えて実はショタコンなの。あけるがうちのサークルに入ってきたとき、私の理想が顕現したって思ったのよ」
「珠緒先輩・・・・・・」
先輩の声を聴いてると、新装備機関が固くなってくる。もしかして、これが勃起ってやつ?
「あけるには、珠緒先輩じゃなくて
ちょっとハスキーなその台詞に反応して、アレはますます固くなる。ちょっと痛いみたいなへんな感じ。ルイさんにバレないようにしながら、チノパンごしにそっと触ってみた。未体験の質感。
沿道の中華そば屋で遅めの昼食を食べてるときに、顔を寄せてきたルイさんがあたしに囁いた。
「さっき、車の中で触ってたでしょ」
あたしは真っ赤になって下を向く。
しょうがないでしょ。気になっちゃうんだから。
「これ、弟の
ルイさんに紹介され会釈するアキくんは高校二年生だという。ルイさんよりも背が高く、痩せ型だけどしっかり男の子の体格。ルイさんに似たイケメンで、まるでモデルかなにかみたい。ふたり並んでるのを見てると、創造の神のえこひいき極まれりって思う。
「はじめまして。お姉さんの後輩の
車を降りる前に、あたしはルイさんに念押しされていた。ここでは男の子で通すこと。一人称も「あたし」ではなく「ボク」にすること。
「名前はそのままでいいよ。男子でもぜんぜんありそうだから」
あたしの肩に軽く手を置いたルイさんは、そう言って笑顔を見せた。
アキはいいやつだった。
これまでボクが忌み嫌ってた男子とは全然違う。も、別のカテゴリーなんじゃないかって思うくらい。
年下ということもあり初めこそ敬語だったけど、どうみても中学生にしか見えない、しかもぜんぜん男っぽくないボクに馴染んでからは、まるで兄貴のごとく振る舞うようになった。男子という生き物の勝手がわからないボクにとってはむしろそれは心地よい扱いだったかな。
ボクにあてがわれた居室は、ルイさんが話したとおり母屋の向かいに建つ離れの一室。珠緒家はこの地域の本家だったようで敷地も相当広かった。歩いて十分くらいにある清流も山ごと珠緒の土地だと言うから、その資産はかなりのものなんだろう。
晴れた日の午後は、三人してその清流で遊んだ。ルイさんはビキニ、アキとボクはカーゴパンツ。といっても今のアキとボクとでは体格が違いすぎるので、アキが中学のときに使っていたお下がりを借りている。
「ほら、あける。そっち追い込んだから掴まえろ」
アキの指示にあわせてボクは網を伸ばす。手応えがあった。と思ったら水流に足を取られて頭まで水に浸かった。
「あけるはとろいなぁ」
大口を開けて笑いながらも、アキはちゃんと助けに来てくれる。岩の上で甲羅干しをしてるルイさんも、こっちを見て笑っていた。
捕まえた山女魚を枝に刺して、河原で焼いて食べる。たったそれだけのものがこんなに美味いだなんて、今まで知らなかった。
夜は夜で、ボクの部屋にお菓子や飲み物を持ったふたりがやってきて、遅くまでトランプやボードゲームで遊ぶ。昼間の疲れでアキが居眠りをし始めると、それまで離れてビールを飲んでいたルイさんがボクに寄り添ってくる。ときおりだけど、膝枕だってしてくれる。
うん。男でいるのも悪くない。
ていうか、サイコーッ!!
結局、珠緒の家にはひと月ほど逗留した。その間ボクは女を忘れ、ひたすら男の子を愉しんだ。多少の乱暴も許容する身体は少々のかすり傷など気に留める必要も無い。自由で活動的で、生理もない肉体。ひとりのときには自慰だってやってみた。たぶん筋肉だって少しはついたと思う。
「また来年も来いよな」
そう言って手を振るアキに見送られ、ルイさんとボクは珠緒の家をあとにした。
軽自動車の助手席でルイさんと手を繋ぐボクは、自分があたしに戻りつつあるのを感じてた。確証などなにも無いけど、この旅が終わる頃、あたしの身体は元の女に戻る。前よりもひと月分筋肉をつけて細かい傷が少しある、でも十八年慣れ親しんだあの身体に。
「ホント言うと、ショタのあけるとしたかったな」
右からの西日を受けた逆光のルイさんが、そうつぶやいた。彼女も予感してるんだ。
「そうですね。あたしも男になってたんだし、一度は経験してみたかったかも」
でもきっと、それはいけないことなんだろう。ひとつの人格が両方の機能で快感を体感する。人間そんなに便利にはなっちゃいけない。ていうか、あたしはどっちの立場でも未だ体感してないわけで。
「なぁに笑ってるのよ」
横目を向けて口を尖らせるルイさんが妙に可愛い。そう感じるのはあたしなのか、ボクなのか。
女の身体に戻ったあたしは、たぶんアキに恋すると思う。それはきっと、あたしの成長。まぁ性徴でもある、かな。来年の夏、女に戻ったあたしが訪ねていったときにアキが受け入れてくれるかどうか。それはまた別の話。どっちに転ぼうが、自分の気持ちだけは真っ直ぐに伝えられる、そんな女になれればいいな。
というワケで、あたしの手記はこれで終わり。ちゃんと伝わったかな。ま、伝わんなくてもいいんだけどね。どうせ独り言だし。
* * *
宵闇の林道を、二本の光芒を頼りに突き進む軽自動車。中の人影はふたつ。前だけを見据えて運転する黒髪ロングと助手席で船をこぐショートカット。ナビシートに届くかどうかわからないくらいのハスキーヴォイスでドライバーがつぶやいた。
「知ってた? 私、ショタっぽい子なら男の子でも女の子でもどっちも好きだし、どっちもイケるんだよ。たぶん」
あけるエクスペリエンス 深海くじら @bathyscaphe
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます