第49話 蒼魔と合流、魔王軍諜報部
ミルカルド大森林各地で起こる戦闘は、人間軍が追い込まれる形で展開していた。大霊樹の怒りを買い、生きた森は物言わず形を変えている。それを正しく認識できるのはこの森で生まれ育ったエルフだけだ。
各地に戦力を分散させられた人間軍を追い立てるエルフ。
同じく魔王軍諜報部の奇襲によって彼らはすでに壊滅的打撃を受けていた。辛うじて生き残った兵士も戦意を喪失し、出口の定かではない森の中で途方に暮れている。しかし、彼はまだ幸運だった。聞き慣れた軍靴の音に顔を上げて地面から盛り上がった木の根に登る。
そこから見えたのは、クレスト・コートを預かった雷鳴騎士の一団。負傷者多数。だが足取りは確かなようだ。これを天の助けと言わずしてなんと言おう。
「おぉい! ここだ! ここにいる!」
彼は一目散に駆けつけた。最初こそ敵かと警戒されたが、すぐに武器を下ろす。
「お前だけか。他の仲間は」
「みんなやられちまった。クソ、魔族共め……」
「魔族? エルフじゃないのか」
「最初はエルフの襲撃に遭った。でも途中からいつの間にか魔族達に襲われてたんだ。なぁ、こんな森からさっさと逃げ出しちまおう。いくら命があっても足りねぇよこんなの」
「俺達はそのつもりだ。ウェイルズ総長からの命令でな。お前も一緒に来い」
「ウェイルズ総長はどうしたんだよ」
「……魔族の追手を足止めするために残った」
きっと戻って来る、そう信じて彼らは撤退の命令を守った。
森の中を進むうちに霊圧を感知して、それが自分たちのような並の兵士ではたどり着かない境地のものであることにクレスト親衛隊のいずれかが戦っているのだと知った彼らは顔を明るくする。
絶え間ない雷撃と風切り音に、これこそは「閃撃のアイルトン」副長であるとますます士気を高揚させた。
「駆け足、急げ!」
不慣れな足場にもつれながらも、百剣士率いる残存部隊は戦闘音の聞こえてくる方角へ走る。
「アイルトン副長、ご無事ですか! 我らも加勢に──」
しかし、そこで見たものは凄惨な戦場跡。
腕を失い、足を損ない、骸は転がされ、新緑の大地が赤く彩られていた。その犯人と思わしき蒼髪の青年に向けてアイルトンはクレスト・コートを翻しながら刃を閃かせている。
防戦一方かに思えたが、違う。どういうわけか、攻め手を緩めていないはずのアイルトンの顔にはじっとりと汗が浮かびあがっている。蒼髪の青年は黒い外套を翻しながらも、笑みを崩していない。
「はっはぁどうした副長様! 大口叩いた割にゃずいぶんと手こずるじゃねぇか!」
「お、のれ! おのれ! どこまでも私を侮辱するか貴様ぁぁぁっ!!」
「だってアンタ弱いだろ」
「ッ~~~、くぅぅうううっ!!! もう許さんっ! ボルトザック家を敵にして生きて帰れると思うなよ貴様ッ!!」
「それは。テメェが、生きてこの森から出られたらの話じゃねぇの?」
煽る煽る。口を開けば神経を逆なでする筆舌に尽くしがたい罵倒の売り言葉。怒りのあまり顔を真赤にしたアイルトンは、その名に相応しい閃光の連撃を繰り出す。だが、それをまるで宙に舞う紙のようにのらりくらりと避けながら刃を弾くマスターの剣術は手品でも見ているようだ。
「ど、どうなっているんだ……?」
息巻いて刺突を繰り返すが、それが一向に当たらない。いや、掠めてはいるのだろう。頬や腕に浅手を負わせている。
相手をからかい、卑下し、嘲笑の的にしていたマスターが不意に息を吐き出した。手にしていたマチェーテを振り払う。
「あー、おもんな。もう反撃していいか?」
「反撃? 反撃だと。これまで私の動きについてこれず逃げ回るだけで精一杯だった貴様がか! 笑わせるな!」
「そりゃ確かに。アンタは速い。一目散に逃げ出したら追いかけるのは一苦労だ。ところがだ」
無造作に投げ放ったマチェーテが大地に張り巡らされている木の根に突き立つ。ちょうどそこはアイルトンが足をかけようとしていた場所だったのか、盛大に足を引っ掛けて地面を転がる。
マスターは森林浴さながら、投げたマチェーテに向かって軽い足取りで近づいた。何が起きたのか理解できていないアイルトンは口の中の土を噛んで、そこで自分が転んだことに気づく。
「アンタ今、すげぇ速度で動き回って、俺に向かってきてるんだろ? じゃあ別に俺が動く必要ねぇじゃねぇか。そっちが勝手に突っ込んでくるんだから。もーちょっと頭使ってくださーい。考えりゃわかることだろうが。バカが。頭に血が上って周り見えてねぇ証拠だろ、なに勝手にすっ転んでんだか」
怒りで気が触れそうになりながらも、アイルトンは立ち上がり、幾度となく繰り返した加速戦技でマスターに刃を突き出す。だが今度は避けることも防ぐこともしない。その代わりに身をわずかによじっていた。
切っ先が胴を貫いたことで顔が笑みを形作りそうになった瞬間、マスターの手がアイルトンの手首を鷲掴みにする。
「は、!?」
「足の速さが自慢のくせに、相手にとっ捕まってどうすんだ?」
逆手に持ち替えたマチェーテで刀身を砕き、それからアイルトンの腕を肘から叩き切った。右腕の感覚の喪失と、灼熱の激痛に襲われると霊力が霧散するのが感覚でわかる。
「怒りは精彩を欠く。せっかくの剣捌きも形無しだ。テメェみてぇな無能が上に立たれたんじゃ勝てる戦も勝てねぇだろうなぁ!」
ダラリとした右手を捨てるとマスターはアイルトンに迫り、顔を鷲掴みにして大木に頭を叩きつけた。残った左腕で抵抗しようともがくが、ビクともしない。万力のように徐々に力を込めて頭蓋が軋む音を聞くと、アイルトンは明確に死期が迫っているのを痛感する。その顔はすでに涙を浮かべ、懇願すらしていた。もはや貴族としての姿も、騎士の風格も無い。
「た、たすけ……!」
「──テメェの命より大事な誇りを守るために、命も捨てられねぇなら騎士を名乗るな。二流どころか三下がいいとこだ、親衛隊副長」
生理的嫌悪を掻き立てる鈍い音を立てて頭蓋骨が熟れた果実のように握り潰された。マスターはゴミでも捨てるように死体を転がすと、人間軍に振り返る。
その顔は返り血で真っ赤に染まっていた。その口元は笑みで固まっている。
「クレスト親衛隊副長ってのも大したことねぇんだな」
そこでようやく、胸に突き立っていた刃を引き抜いて投げ捨てた。
アイルトン副長の死を目の当たりにした百剣士は絶望的な戦況に目まぐるしく思考を加速させる。
ウェイルズ総長の言葉を思い出し、頭を振った。
仇討ちなどよりも生存を最優先事項とするだけの冷静な判断力が彼にはあった。
「総員、この場より撤退だ──!」
反転し、どれほどの仲間が逃げられるかはわからない。しかし、勝ち目のない戦いが待ち受けていることだけは確かだ。
マスターは逃げようとする人間軍を追いかけずにマチェーテから血を払う。その素振りを見ていた百剣士は眉を寄せながらも踵を返して、仲間にぶつかった。
「なにをしている、撤退だと言った……」
はずだ、と。言おうとする。
だがそこに立っていた仲間は、冗談のように首から赤い血を噴水のように噴き出していた。
グラリと、傾く身体が横たわる。
それを呆然と見下ろしていた仲間たちの顔は、恐怖で引きつっていた。
トントン、トントン。
肩鎧を叩く指に振り向く。
そこに立っていたのは、波打つ白髪が顔の半分を覆った女性。ニッコリと無邪気な笑みを向けている。しかし──、まさに今。食事を終えたばかりだと言わんばかりに口元が真っ赤に染まっていた。
頬に指を当てながら小首を傾げている。滴り落ちる血を拭いもせずに、笑う。
「はぁい♪ んー、貴方はぁ……どんな味がするのかしらぁ?」
ギチギチと音を立てて目の前で大顎が開かれる。
百剣士はわけもわからないまま死を迎えた。
咀嚼音を聞きながら、人間軍は恐怖で足が動かず立ちすくんでいる。鉄兜と骨と肉を噛み砕き、喉を鳴らして飲み込んでいた。その顔は眉を寄せて不満そうだ。
「ん~……あんま美味しくなぁい。やっぱり若い子の方がいい」
──噂には聞いたことがある。人間を生きたまま“捕食”することを生き甲斐とする魔族の暗殺者がいる、と。人を食糧としか見ていない怪物を見たら逃げろと彼らは聞いていた。
神よ、と誰かが祈る声が聞こえる。祈ってどうなるというのか。哀れな子羊を救いたまえと言ったところで、相手は【屍食姫】だ。
食事に彩りを添えることは変わらない。
「……あなた達は、食べてもいい人類よねぇ?」
メリフィリアが振り返ると、ある者は逃げ出した。ある者は立ち向かおうと剣を構えた。また、ある者は頭を抱えてうずくまった。
どうせ死ぬのなら、もっとまともな形で死を迎えたいと思うのは人として当然のことだ。なにもおかしなことではない。
「くぉーらぁー、メリーーー!!! なんでキミは! そうやって! 毎回ひとりで突っ走って食い散らかしちゃうんだよーーーぅ!」
「あらクロム。来てたの?」
そういう意味では、クロムの刃に倒れる人間たちはまだ幸運だ。
木の上から飛び降りてきたクロムの足場にされて首の骨が折れて一人が倒れ、続けて二人目は首を刃で掻き切られる。猫らしく機敏な動きで次々と仕留めていった。
「くっ、この……!」
「おやおやおやぁ、いいのかなぁ? いくらボクがかわいいからって見惚れてると──大怪我するぜぇ?」
獣の爪のように大きく湾曲したナイフを回しながら弄ぶクロムに視線が集中する。だが、そんな人間たちの頭上からはすでに諜報部がまさに仕留めようと飛び降りてきていた。
メリフィリアを囮に、クロムが撹乱、指揮系統を麻痺させてから一撃で仕留める。この戦法の考案者もクロムだ。
横たわる人間軍、その唯一の生存者は綺麗に畳まれたクレスト・コートを抱えて後退り、樹木に背を預ける。
「あら、お残し」
「メリーに食われるかボクに殺されるか。好きな方選びなー」
そこへマスターが首を鳴らしながら合流した。アアル達の姿もある。
どうあっても助からないだろうと雷鳴騎士は悟っていた。やがて、おずおずとクレスト・コートを差し出す。
「わ、私の命はくれてやる……! だがコレは。コレだけはどうか、見逃してくれないか」
「それはアンタの命より大事な代物か?」
「そうだ。ウェイルズ総長、グウィンドウェル様より預かったクレスト・コートだ。これを預かることは、命を預かるも同然。私の使命だ! せめてコレだけは外に持ち帰らせてくれ! それを約束するのなら命などくれてやる! どうかお願いだ!」
「んー、私はどうでもいいんだけどぉ……食べていい?」
「ぶっちゃけボクもどーでも。キミに任せるよ」
「あ? 俺? あっそ。なら見逃してやるわ」
意外な判断に、メリフィリアとクロムは思わずマスターの顔を綺麗に二度見した。てっきり容赦なく殺すものだとばかり考えていたからだ。
マスターは雷鳴騎士に歩み寄り、へたり込んだ相手に目線の高さを合わせる。
「ついでだから副長のコートも持っていってくれ。そんでいいか? よく聞け。俺がアンタを見逃すのはただの気まぐれなんかじゃない。少なくとも今アンタは、騎士の矜持を見せた。そいつは副長にはなかった物だ。その一点にのみおいてアンタを評価する。だから見逃す。わかったな」
「あ、ああ……わかった。感謝する」
「礼も感謝もいらねぇよ。アアル、こいつの身包み剥いで外に出してやってくれ」
「わかった。他の者に案内させる」
雷鳴騎士は大人しく鎧を脱ぎ、剣を預ける。しかし、ひしと抱き抱えるクレスト・コートだけは手放そうとはしなかった。
「あー、名も知らぬ雷鳴騎士さん。お節介ついでにひとつ助言を。交易都市の手前、ルクセンハイドにまで辿り着ければアンタの命は保障する。だがそれ以外は知らん」
「ありがとう、名も知らぬ若者よ。正直、君のような人材がこちらにいてくれたらどれほど心強かったか……」
「やだよ、人間についても面白くねぇもの。行け」
エルフ達に連行される姿が見えなくなってから、マスターは一息つく。
(さて、こっちは片付いたが姫さん達は無事かね。足取り追うのは問題なさそうだが、問題はリヴレットだな……バカな真似してなきゃいいが)
考え事をしながら歩き出して、柔らかい壁に頭が埋まった。そのままとんでもない怪力でしがみつかれる。
「ん〜〜〜♪」
「もがーーー!!(意訳 離しやがれ)」
メリフィリアが抱きつき、しきりに頬擦りを繰り返していた。それを見てクロムは呆れ顔。
「メリー、キミの獲物なんて誰も取らないから離してあげなー」
「あら、なんでぇ? こぉんなに美味しそうな子なのに」
「というか珍しいじゃんか。キミがそんなにひとつの獲物に執着するなんて」
クロムに言われてから、メリフィリアは目を丸くして首を傾げる。
「言われてみればぁ……そうねぇ? なんでかしら」
「もごーーー!!」
意訳するとマスターはメリフィリアの胸の中で「離せクソボケ人喰い化け物ねーちゃん」と叫んでいた。心の声も込めて。
敗退魔王軍の革命戦線 アメリカ兎 @usarabbt
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