第48話 対峙する若獅子
──レオブレド・ボルトザック。齢六十を過ぎ、なおも最前線に立つ。
ボルトザック家で生を受け、以来ただの一度足りとて精進を怠ったことはない。
彼は常に飢えていた。満たされぬままに生きてきた。そしてそれが、強欲と呼ばれる大罪であることに気づき、それがとんと理解できぬまま生きてきた。
欲の一体、何が罪であるというのか。
人は腹が減れば飯を食う。眠くなれば眠る。生きていくうえで欲は切っても切れぬ縁ではないのか。それが人一倍強かったところで、罪と謂われる所以はない。
後ろ指をさされることもあろう。だが良しとした。
非難轟々の時もあろう。だがそれを喰らい尽くした。
己の内に決して満たされぬ獅子が眠っているのだとレオブレドは自負している。
ならばそれを良しとした。ならば、そうあろうとした。
自らを万雷の喝采と共に在る大獅子として。
自らを包囲する長い耳の長命種であるエルフ達の数にして三十はくだらない。だがその窮地の只中にあって、なおも口元の不敵な笑みを崩さないレオブレドの手には一振りの剣が握られていた。
柄に霊輝石を埋め込み、幅広な刀身にも装飾品が施されている綺羅びやかな直剣。それは一見すると大剣に紛う大きなものだが、レオブレド自身の巨躯に見合うロングソードだった。
数の有利。地の利、その双方を持ってしてもエルフたちは無遠慮なほどに踏み出す大獅子を前にたじろいでいる。並ぶ大木の上で隠れ潜んでいる仲間達も矢をつがえていた。
その後方。レオブレドの背後では、炭化した人影のようなものが転がっている。
豪傑にして豪商、振るう刃は剛剣にして豪族。纏う霊気にエルフたちは気圧されていた。
「ガァッハッハッハッ! どうしたぁ、私はまだ見ての通り傷ひとつ無いわ! 物の数ではない!」
破顔し、エルフたちの抵抗を一笑に付す。
悔しそうに顔を渋らせると、目配せからエルフたちは一斉にレオブレドに襲いかかる。その抵抗にますます口角をつりあげると、剣を持ち上げて構えた。
槍を持ち、弓矢を放ち、迫るエルフの数にして七人。
レオブレドの剛剣が槍を捌く。穂先を弾き、返した刃が柄を断ち切った。そのまま流れるように稲光と共にエルフの首を刎ねる。
踏み込み、瞬時に加速すると白い外套がはためいた。その端を掴むと大きく翻す。迫る矢を弾き、続くエルフ達の槍を絡め取ると一閃。雷光の軌跡を描いて三人が倒れる。しかし、その上から飛びかかる一人がいた。
決死の覚悟で全体重を乗せた突きが狙うのは襟首。急所を狙うが、毛房に飲み込まれ、その中にある硬い感触に阻まれる。
驚きに身を固くしたエルフの腕を掴んだかと思うと、レオブレドは力任せに地面に叩きつけた。その眼前に刃を突きつける。
「獅子の鬣が何のためにあるか知らんのか? 己の首を狙う刃より身を守るためよ! 残念だったな、そのための外套だ」
鬣の外套「クレスト・コート」の襟についている毛房の中には鎖帷子が編み込まれている。外見以上の防御力を誇ると同時に、それを纏うことは雷鳴騎士至上の誉れ。
無論それは、レオブレドを筆頭として例外はない。
倒れたエルフを仕留めると、突き出される槍を幅広の剛剣の腹でいなした。雷鳴騎士の加速戦技をやらせまいと矢継ぎ早にエルフたちがレオブレドに飛びかかる。
「ハンッ、甘いわ森人共ッ! ──“我が身を鎧え、雷鳴よ”!」
霊力を乗せた言霊が白銀の板金鎧に紫電を纏わせる。
「“轟け”!」
剛剣を地に立てた次の瞬間、エルフたちの体を雷光が貫いた。樹皮が弾け飛び、稲光の棘に貫かれた身体が黒く焦げていく。
地に伏していくエルフ達の姿を見下ろし、レオブレドは顎髭を撫でた。
「この調子では森が丸焦げになってしまうぞ?」
残ったエルフたちは後退り、身を引こうとする。しかし、おもむろに顔を上げた。木々を足場に駆ける雷光を見てゴクリと唾を飲む。レオブレドもそれに気づき、振り返ると見知った顔を見て今度こそ驚愕に顔を染めていた。
雷鳴騎士、リヴレット・シュバルスタッドが駆けつけた現場は凄惨なものとなっている。雷光が駆け巡った跡地は至るところに焦げ跡を残し、倒れたエルフの姿は黒い炭となって転がっていた。酷い臭いに顔をしかめる。
「…………レオブレド大将軍閣下、お久しぶりです」
「──おぉ、おぉ! 久しいではないか、リヴレット! 奇異なこともあるものだ。よもやお前と此処で再会するとは! 私の窮地に駆けつけるとは、孫達よりよほど孝行者よ! 見ての通り、エルフ共の襲撃に手をこまねいていたところだ。加勢するというのなら」
「貴方にお聞きしたいことがあります」
単刀直入に話を切り出す姿に、レオブレドはエルフたちに向きかけた顔を止めた。視線だけで若獅子に振り向く。
エルフたちも二人の間のただならぬ空気に、戸惑いを見せていた。
「私が雷鳴騎士に志願した理由を覚えておいでですか」
「もちろんだとも。忘れることなどない、お前の言葉に私は感動したよ」
「──我が父、ベルモンド・シュバルスタッドの死の真相を見つけるためです。それは今も変わりありません」
「ああ、そうだ。覚えているとも」
「私の父を殺したその時のことも、貴方は覚えていますか」
レオブレドはそこで初めてリヴレットに向き直る。まるで宴の席に冷水を浴びせられたように、破顔していた顔は冷たい眼差しを向けていた。
年季の入った眼光を真っ直ぐに見つめ返す若獅子の表情は険しい。
「この森の何処かで、クレスト親衛隊と共謀して父を殺害。レオン長官を口止めすることで真実を隠蔽した」
「……ほう」
「おそらく貴方がエルフの霊薬を知ったのもその時。違いますか」
「リヴレット。その話、誰に聞いた」
「それは言えません。これが私なりに導き出した結論です」
沈黙の後、レオブレドは深く息を吐き出した。
「私は貴方に加勢するために駆けつけたのではありません。真相を明らかにするために、貴方のもとへ馳せ参じました」
「……もし私が、「そうだ」と頷いたその時は?」
「その時は──その時は、貴方を父殺しの罪で法廷に突き出します」
「敵を討つのではないのか?」
「貴方の口から真実を聞くまでは、貴方が犯人であると断言できません」
「私が真実を濁すと考えはしなかったのか、リヴレット」
「これ以上隠し通すつもりであるならば、私の口を封じる他にないでしょう。違いますか──レオブレド・ボルトザック大将軍閣下」
リヴレットは手を白剣から放さない。
突如現れた雷鳴騎士の名を聞いてエルフたちは囁く。
沈黙を貫いていたレオブレドが、突如として豪快に笑い出した。
「ガァッハッハッハッ! いやはや、ハァッハッハッハッ! よもや、奇なこともあるものだ! リヴレット、お前というやつは自らの父親と同じ軌跡を辿るか!」
「…………では、やはり」
「──ああ、そうだ。お前の父ベルモンド・シュバルスタッドを殺したのは他でもない私だ。正確には見殺しにしたのだが」
半ば覚悟していたことだ。その言質を耳にしたことで迷いが確信に変わった瞬間、リヴレットは白剣を静かに抜き放つ。
「信じたくなかった。貴方を疑いたくもなかった。レオン長官と、父と笑い合って盃を交わす姿を私は覚えている。あれほどまでに仲睦まじたかった貴方が、なぜ父を見殺しにしたのですか!」
「仕方なかったのだ。リヴレット。あの時、ああする以外になかったのだ」
──仕方なかった。しょうがなく。以前も同じ言葉を聞いた。
レオン長官が殺された時にも。あぁまたか、と。リヴレットは自分の胸の中で怒りが満ちていくのを感じていた。
「“仕方なく”で奪われていい命など、この世界のどこにもないはずだっ!」
「それはお前が、物を知らん若輩だから言える言葉だ! お前はその眼でどれほどの世界を見てきた! どれほどの危機と困難に直面してきた! お前は生き延びることしかできない窮地に陥ったことなどないではないか!」
「だとしても! なぜ見捨てた!」
語気を荒げるリヴレットに対して、レオブレドは呆れた顔で首を横に振る。
「リヴレット。お前は見込みのあるやつだ。いずれは私の側近に迎えてもいいと考えていた。もっと未来を見据えろ、大局を見るべきだ。わかるな? ここで悪戯に死に急ぐ必要がどこにある」
「今。俺の目の前にあるッ!」
肩に置こうとした手を振り払われ、間合いを離したリヴレットが剣を突きつけた。
「貴方が父親殺しの犯人であるというのなら、法の裁きを受けてくれ。それが叶わないのなら、俺の手で敵を討つ。たとえ父さんがそれを望んでいなかったのだとしてもだ! 貴方は俺を裏切った!」
「それはレオンも同じだろう。アイツはどうした」
「レオン長官は戦死しました」
「……ふんっ。だろうな。お前が此処にいるということは交易都市の駐在軍は壊滅したのだろう。魔族と共生するなど到底不可能な話だとあれほど言って聞かせたというのに、ベルモンド共々度し難い奴らよ」
「だが貴方はエンディゴ将軍とも交友を深めていたはずではないのですか」
「私が? あぁもちろんだ。あれこそは我が友と呼ぶに相応しい! もっとも、あやつは魔族領地侵攻の足掛かりとして利用させてもらったがそこは合意の上よ!」
「貴方という人は、どこまで身勝手なんだ!」
「覚えておくがいい若輩者! 己の欲を追求する身勝手で傲岸不遜な者だけが大成する。半端な優しさや気遣いなどして弱者同士で群れ合うものほど淘汰されるのだ! それを弱さと呼ぶつもりは毛頭ないが、切り捨てられん甘さを持つ者に私は止められんっ! リヴレット! 貴様が私を父の仇と呼ぶのなら来るがいい!」
レオブレドのプレートアーマーを駆け巡る紫電が迸り「クレスト・コート」がなびく。大気を震わせるほどの霊圧にリヴレットが顔をしかめた。
「雷鳴獅子、万雷の大獅子と呼ばれる所以をその身に刻め! リヴレット・シュバルスタッド!」
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