第47話 置いてけぼりの姫様一行、小休止
──リヴレットは周囲に霊力の網を張り巡らせて警戒しながらも先を歩いていた。背後の魔族達からの視線はまだ痛い。だがその中に迷いのとれる視線の持ち主がいた。北の人狼族、ラルフだ。
心細いのもあるのだろう。なにせ主戦力のマスターはいつの間にかはぐれ、アーシュとヴィンフリートはクレスト親衛隊と対峙していた。
自分たちが護衛しているのは魔族の王の血を引く姫君なのだから、不安が勝る。
「オイラたちに守りきれるかな」
「君がそんな調子でどうするんだ、ラルフ。北の人狼族は逆境に強いんだろう?」
「雷鳴騎士のアンタに言われちゃ形無しだなぁ」
頭を掻くラルフに、リヴレットは想像していた人狼族との乖離に眉を寄せた。もっと粗暴で野蛮、喧嘩腰なものだと思っていたが、ラルフの物腰は低い。
「そのー、レオブレド大将軍のことなんだけど」
「……それがどうかしたのか?」
「オイラ達人狼族にとってもエンディゴ様の仇なんだ。だから手柄を譲ってくれないか?」
「……君たちに勝算が無いのなら、それは出来かねる提案だ」
「ならアンタにはあるのかよぅ」
マスターの人選に悪意はない。合理的、打算的、そこに個々の感情を勘定した上で選び抜いた。誰と誰を共に行動させるのかも、不測の事態に陥った際の予防線を張っている。つくづく悪魔じみた頭脳と計算による掌の上であることにリヴレットは軽い溜め息をついた。
足を止めて振り返れば、元々この森で生まれ育ったララフィは涼しい顔をしている。しかし、少し息のあがったミレアの姿を見てリヴレットは休息を提案した。
「ララフィ、ここからエルフの里まではどれほどの距離があるんだ?」
「うーん、わかんないです!」
「元気そうで何よりだ。しかしわからないとは?」
「詳しいことは言えませんが、今の調子だと一日歩き通すことになるかもしれません。あ、道は合ってますよ。バッチリです」
「頼もしい限りだ。とはいえこの調子ではな……」
はぐれたマスターとウェイルズ総長達の相手に踏み出したヴィンフリートとアーシュも気掛かりだ。諜報部のメンバーとも合流できるだろうか。リヴレットが難しい顔をしていると、ルミナリエが指を差した。
「森」
「……なに?」
「この森は、生きてる。色んな声聞こえる。ミルカルド大霊樹が怒ってる」
「……我々が回り道させられているのは機嫌を損ねたからだと?」
「ううん、違う。怒らせたのは、レオブレド。私達は巻き添え」
「……なんとかして機嫌を取れないだろうか?」
リヴレットの頼みに、ルミナリエはララフィに視線を移す。
「やってみる」
できるんだ。と思いながら水分補給をする。
マスターが口うるさく持っていけと全員分に用意した水筒の作りは簡単なもので、密閉した木の容器に蓋をしただけのもの。後ろ腰に寝かせて持ち運ぶものだ。これが意外にも便利なもので軍に支給してほしいくらいだ。
「ミレア嬢。マスターは貴方が呼んだ異訪人というのは本当の話ですか?」
「は、はい。その、正直なことを言うと私も戸惑っています」
「それはなぜ?」
「……だって彼、なんというか……異訪人らしからぬというか……」
非常にわかりみ溢れる。
なんなら下手な魔族や現地人以上に物事をよく理解していた。そのせいで一見すると異訪人とは思えない。だがリヴレットは、そんなマスターに対して憐憫の情を抱いていた。
「彼は一体、どんな生き方をしてきたんでしょうか。元の世界で」
「え?」
「考えた事はありませんか。あれほどまでに有能な人材が、どうしてこれほどの悪逆に手を染めているのか。あ、いえ……決して魔族の革命が悪と言っているわけではなくてですね……」
リヴレットに言われ、ミレアは考え込む。言われるまで考えもしなかったが、マスターは率先して行動を起こしている。そのための計略も準備も何もかも単独で片付けてしまっていた。物事を順序よく、かつ円滑に事を運ぶための下準備も手際が良い。
為政者の隣。参謀役にうってつけの人材。王の右腕に相応しい。だが、そんな彼の口から出てきた言葉は──。
『──辞めたんじゃねえよ。俺は逃げたんだ』
マスターは騎士の責務から逃げ出した。
あれほどの人間が背負いきれない重荷は、一体どれほどのものなのかミレアは想像もできない。
「……、私達は彼の事を何も知りませんでしたね。一方的な都合を押しつけてばかりで。なのに彼の都合も考えずに勝手なことを言って、怒られても仕方ありませんね。これでは──」
身勝手なのはどちらだというのか。
「リヴレット、ありがとうございます。貴方の言葉で、もう少しだけ彼と向き合ってみようと思いました。正直、その……彼と話すのは少々苦手なんですけれど」
「は、はぁ……そうですか」
「だって彼、なんだか私に当たりが強い気がして。ララフィさんはどうですか?」
「え? 私ですか。ララフィねーちゃんって呼んでくれるのがもうかわいくてたまんないですね」
「……どうして……私にだけ……!」
そこはかとなくショックを受けているのかミレアが落ち込んでいた。しかしララフィはニコニコ笑顔。
「一緒の宿で過ごしていた時なんて、彼の手料理が本当にっ、もうっ、絶品で! それに綺麗好きなんですよ、彼。厨房から食堂から寝室までピッカピカで掃除道具も新しいのを考案してくれたりなんかして」
「ララフィ、ララフィ。その、お姫様がだいぶ凹んでいるみたいだからそのあたりで勘弁してあげたらどうだ……」
「私にはただの一度も……そんな風に歩み寄ってきてくれる素振りなんて見せてくれなかったのに……どうして……!」
「みんな。ミルカルド大霊樹とおはなし終わった」
木に触れて目を閉じていたルミナリエが手を離して振り向く。なぜか気落ちしているミレアに眉を寄せて小首を傾げていた。笑顔のララフィとなんともいえない顔のリヴレットと交互に見比べる。
「……ひめさま、いじめた?」
「いじめてない。誤解だ」
「そっか。大霊樹、すごく怒ってる」
「お話できました?」
「むり。げきおこ」
どうやらルミナリエの説得は失敗に終わったようだ。
「怒っている原因は?」
「レオブレド」
「あぁだろうな……」
「あと、雷鳴騎士」
「……私もか?」
「あなたは別」
ひとまず自分の存在が機嫌を損ねているわけではないことにリヴレットは胸を撫で下ろす。しかし、ルミナリエはじっと見ていた。
「あなたに面影があるって言ってた」
「私に? いや、だが。ミルカルド大森林には初めて──待ってくれ」
どういう意味だ? ──リヴレットが思考を加速させる。
レオブレド大将軍は何故、ミルカルド大森林へ逃げ込んだのか。千刃竜ヴァルボルヴォスの襲撃に遭ったのなら反転し、交易都市を目指すはずだ。にもかかわらず、残存兵を率いてエルフの里を目指したことが引っかかる。
なぜ秘蔵の霊薬の存在を知っているのか。ミルカルド大霊樹の怒りを買うに値する非道を働いたに違いない。ならば、それは何か。
そして何故。初めて訪れた土地で、生きた森の長である大霊樹は自分のことを知っているのか。
知らず知らずのうちに、リヴレットの手は白剣の鞘に伸びていた。
「……もしや、私の父は此処で……?」
殺されたのか、とまで言葉にできなかった。自分が気づかぬ内に父親の軌跡を辿っていたことにリヴレットは言葉が出ない。だがそうなると説明がつく。
レオン長官が言葉を濁したのも。望まぬ共犯関係となったことに対する罪悪感からだとしたら。
息を呑むリヴレットに励ましの言葉をかけるかラルフは迷っていたが、鼻を鳴らして周囲を見渡す。
「……近い。コイツは、肉の焦げる嫌な臭いだ」
そして。その直後に森の奥が激しく発光すると、遅れて轟く雷鳴に体を竦ませた。
間違いない。付近に雷鳴騎士が迷い込んでいることに緊張感が走る。リヴレットは立ち上がった。
「私が行きます。ラルフ、ミレア嬢達を任せてもいいだろうか」
「一人で突っ走るのは危険だ。マスターじゃあるまいし」
「この中では一番逃げ足が早い自身があるんだけどな」
らしくもない軽口に、ラルフが面食らう。その間にリヴレットは雨除けの外套を脱ぐと腰を落として一筋の雷光となって駆け出していた。
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