第46話 はぐれた蒼魔、絶好調


 ──高層ビルさながら、頭の見えない木々に囲まれながらマスターは一人で歩き続けていた。

 いつの間にか魔王軍とはぐれていたが、なんとなくそうなるとは予感していた。すでに折り込み済み。

 エルフの森は神聖な場所。自分のような不純物に対して排他的な処置をしてくるだろうとは想定していた。だからこそリヴレットをミレアと行動を共にさせたのだが。


「はぇー」

 感心した声をこぼしてマスターは上を向いていたが、あちこちから戦闘音と思わしきものが響いてくる。短い悲鳴、金属の衝突音、猛獣の唸り声。それに混じって雷鳴が轟く。


「やー、この森ん中居心地いいな」

 過ごしやすい。北方氷獄近辺だけあって、道中は肌寒い気候だったが、ミルカルド大森林の中は吹き込む寒風を樹木が遮ってくれているおかげか過ごしやすい。やや湿っぽい空気だが、肌にまとわりつくような不快感はなかった。

 天然の空気清浄機の中、息を吸い込めば青さの目立つ空気に気分まで清々しくなってくる。

 青々とした葉の隙間から注ぐ木漏れ日も暖かく、まさに昼寝日和。この森の中でなら一日寝ていられそうだ。

 しかし最大の問題は、肌に感じる嫌悪感。

 自分がこの森そのものに嫌われているという感覚だけ、マスターは確信していた。

 だからこそ、ララフィの元から引き離されたのだろう。以前にも似たようなことがあったがその時はその時でなんとかしたので、今回もまぁ多分なんとかなるだろう、という軽い気持ちでマスターはあくびをひとつ。


「……ん、待てよ? ということは俺もエルフに狙われるんじゃね?」

 さもありなん。当然そうなる。

 音もなく降り注ぐ矢を見向きすらせずにマスターは横っ飛びで避け、一目散に駆け出した。黒い棺桶の複合兵装を担ぎ直し、隆起した木の根を足場に跳躍。木の幹を蹴って矢を避けるとぬかるんだ地面を滑る。ブーツの泥を落とすついでに木を何度か蹴ってから、苔の生えた倒木を踏み越えた。

 戦闘音が近いこともあって、その方角へ飛び込む。するとそこでは戦闘の真っ只中だった。


 互いに背を預けた雷鳴騎士達が自分達を包囲するエルフと猛獣の群れを相手に奮戦している。


「おーおーやってるやってる」

 もちろん高みの見物。

 歩き通し、走り回っていただけに小休止がてら腰を落ち着かせた。戦況は一進一退の攻防が続いている。雷鳴騎士が一般兵たちを囮にエルフたちを確実に仕留めているが、猛獣に阻まれて倒されていた。

 その様子を眺めていたマスターに気づいたのか、人間軍の間に困惑の色が見える。その視線に気付いたのかエルフも視線を向けてきた。


「俺のことは気にしないでどーぞどーぞ」

 ヒラヒラと手を振りながらマスターは頬杖をついて眺める。どちらに加勢するつもりもない。

 雷鳴騎士が助力を求めてくるが、欠伸で聞き流した。助けた暁には報酬を出すとも言われたが、鼻で笑い飛ばす。だっていらんもん。


「そこの人間。お前はこいつらの仲間じゃないのか」

「ぜぇんぜん。無関係でーす。俺は人間に加担する気もなけりゃ、エルフの肩を持つつもりもない。なので、そっちの喧嘩はそっちでどうぞ」

 戸惑いつつも、自分たちの邪魔をしないのであればエルフたちは手を出そうとはしなかった。

 マスターは木の根に腰を落ち着かせ、大木に背中を預けて一部始終を見守る。躍起になった雷鳴騎士が反転し、攻勢に出るがそれでもエルフ達の地の利に押し負けて逃げる間もなく駆除されてしまった。


 とはいえエルフ達も無傷ではない。負傷した者もいれば、手負の獣達もいる。それをまとめているのが長身の森人族の女性であることを見定めてから、マスターは腰を上げた。

 いいもの見れたし移動するか、と思って複合兵装を担ぎ上げた瞬間、エルフ達が得物を向けて威嚇してくる。

 はて。俺なんかしたっけ? すっとぼけながらマスターは首を傾げた。


「なにか?」

「まさか我々の森に足を踏み入れて無事で済むと思ってはいないだろうな、人間」

「んー……」

 鼻先を指でかきながら顔ぶれをざっと眺める。眉目秀麗、見目麗しいエルフ達に囲まれてため息が出ていた。


「俺はレオブレド仕留めにここに来ただけなんだけどな。エルフと対立するつもりないんだが、喧嘩売るなら買うけども」

「……そんな言葉を信じろと?」

「この中に、ララフィというエルフの名前に聞き覚えあるやつは? おーわかりやすい」

 名前を出せばすぐ顔に出る。マスターは驚いた顔をするエルフを指差した。


「今ちょうど里帰りでミルカルド大森林のどっかにいるんだが、はぐれちまって困ってる。そっちはそれでいいんだが、俺の目的はあくまでレオブレド大将軍の首だ。案内してくれればこっちもそっちに危害は加えない──が。そっちから手を出してきたなら話は別だ」

 当然、こちらもただで帰すつもりもない。だが相手は一人だ、そう息巻いて戦闘の興奮冷めやらぬまま槍を構えようとしたエルフを遮ったのは長身の女エルフ。伝統的な民族衣装なのか、綺麗な織物に身を包んだエルフは警戒心を剥き出しにしながらも慎重に構えていた。


「おまえ、はぐれたと言ったな」

「理由もなんとなーくわかる。俺が、魔族でも人間でもない、不純物だとこの森が判断したからだ。アンタら森の声が聞けるんだろ? どうなんだ」

 他の人間達と違い、目の前の人間が自然に対する理解が違うことに気づいた女エルフが武器を下げるように命じた。


「おまえ、名前は」

「マスター・ハーベルグ。アンタは?」

「アアルだ。ララフィは元気か」

「そりゃもう」

「ならよかった。森を出て都市で暮らすと言い出した時は心配だったが、そうか……」

 どういった間柄なのか、と踏み込んだ問いをしようとしてマスターは近づいてくる新たな気配に視線を向けた。足音の数からして相当規模、甲冑の擦れる音からして散開していた人間軍が集まっているのだろうとは察しがつく。


 しかし、その先頭を行く雷鳴騎士がファーコートを羽織っていることに気づくとマスターは不敵な笑みを浮かべた。

 クレスト親衛隊のいずれか。誰にせよ獲物は獲物。

 統率の執れた行軍の姿から森の中をさまよい歩いていても士気が保たれていることが窺い知れる。だがマスターにはそんなもの関係なかった。


「エルフのみなさーん、アレは俺の獲物なんで下がってくださーい」

「ここは我々の森だ。我々の手で守る、人間の助けなど借りん」

「あっそ。ならお互い自分の身は自分で守るってことで」

 アアルと肩を並べて一時共闘。クレスト親衛隊も手負いのエルフの群れに気づき、武器を構えていた。その先頭を歩いていた長身、眉目秀麗の跳ねた金髪の男性は余裕のある笑みを見せる。


「やれやれ。また君たちか。まったく困るね、こんななにもない森の中で。この私が誰だか知ってのことかい」

「知らん。誰」

「他人に名を尋ねるのなら自分から名乗るのが」

「質問してんのはこっちなんだが? 質問を質問で返すなよ、これだから凡俗の貴族は話が通じないって言われるんだ」

 ハナから喧嘩腰で会話を進めるマスターの口から、出てくる出てくる。あることないこと誹謗中傷、心無い罵詈雑言。まるでこれまでの鬱憤を晴らすかのような言葉の暴力にクレスト親衛隊が言葉を荒げる。


「き、き、貴様ぁ!! 私を誰だと思っている! クレスト親衛隊副長、アイルトン・ボルトザックだぞ! その侮辱、万死に値する!」

「よーしぶっ殺ぉーす! てめぇ副長ってことは親衛隊の二番手だろう? この数日退屈で寝て過ごしてたから腕鳴らしにはちょうどいい!」

 マスターの手元、複合兵装が装甲を扇状にスライドさせて収納していた刀剣を引き出す。そこから無造作に選んだのはマチェーテ。分厚い刀身に、トップヘビーな重心の鉈は山間部での枝の伐採や雑草を刈り取るのに適している。──だがそれ以上に、マスターはそれを相手の四肢を断ち切ることに用いていた。

 ニッコニコの満面の笑みを浮かべている蒼髪紫眼の青年に、アイルトン・ボルトザックは険しい表情で剣を抜く。


「総員、戦闘用──」

 ──意。と言い終えるよりも先にマスターは一目散に駆け出していた。

 マチェーテ一本で。鎧も身につけていない黒い外套を翻しながら飛び込んできた相手に、兜ごと頭をかち割られて一人が死んだ。呆気に取られている隙に、膝裏に鉈の背を打ち込まれて崩れ落ちた一人が更に殺される。即死させられた相手はまだ幸運だった。

 腕を切り落とされ、片足を断ち切られた人間軍は悲鳴と苦悶の声をあげて転がされている。真に迫る悲鳴が鼓膜を恐怖で彩る、目に映る惨劇が視覚を恐怖で染める。

 もぎ取った腕を投げつけ。ターキーレッグのようにだらりと下がった足で顔面をぶん殴り、マスターは終始それはそれはもう、楽しそうに笑いながら返り血を浴びて手当たり次第に雷鳴騎士を狩っていた。

 一人二人と犠牲者が現れ、それが十人に差し迫ったあたりで恐怖に足がすくみ、勢いが止まらぬままに十五人を越えたあたりで人間軍は恐慌状態に陥って逃げ出した。こうなってしまうともう霊術がどうのと言っている場合ではない。


「ま、待てお前たち! それでも映えある雷鳴騎士の一員か! 私はクレスト親衛隊副長アイルトン・ボルトザックだぞ! 命ある限り戦え、それでも騎士か! 誇りはどうした!?」

 敵前逃亡は反逆罪、アイルトンは引き留めようと声を張り上げるがその声に立ち止まる者はいなかった。不慣れな足場に転ぶものはいたが。


「っはっはっは、どうしたぁ副長様! 案外人望ねぇんだな! 死ぬ覚悟もねぇくせに騎士の名誉にばかり眼が眩んだ連中は素直で結構だ! ヒャッヒャッヒャ!」

「っ~~、おのれ! 私を侮るなよ! いずれはウェイルズを越えて将の座に就く男だ! 貴様の名を聞こうか!」

「だぁぁれが名乗るかバァァカッ! 聞かせてやるほどの価値もねぇよテメェは!」

 うめき声をあげて地を這う騎士の頭を踏み砕き、顔の返り血を手の甲で拭いながらマスターはマチェーテから滴る粘ついた血を振り落とした。


「テメェの命が大事で鎧なんぞ着込んでる半端な奴に負けねぇけどな!」


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