キレイな先輩お姉さんの焼肉講座、或いは知らないうちに将を射落としちゃっていた後輩クンのお話

井戸口治重

キレイな先輩お姉さんの焼肉講座、或いは知らないうちに将を射落としちゃっていた後輩クンのお話

(ナレーション:週末、土曜日の夜。ちょっと古臭い表現だけど、謂うところのサタデーナイト。ボクはチョット浮かれて都心の繁華街に出かけていた)


//ターミナル駅の雑踏のノイズ。行きかう人々の話し声や車のクラクションや走行音など、様々に雑多な音が四方から聞こえている。


(スマホで時間を何度もチェックして、歩行者信号が青になる度にこちらに向かってくる人たちの様子を伺う。

 傍から見たらハッキリ言って挙動不審そのもの。しかもそれを30分近くも続けているのだから、我ながら「コイツ何やってんだ?」と呆れてしまう。

 もちろん、それにはちゃんとした理由がある訳で……)


//そんな中、一瞬だけ周囲の音が消える。


「あ、後輩クン。いた~!」


(道路を隔てた向こう側から、涼やかな声の主がブンブンと手を振っている。凛とした佇まいの大人な美人のはずなのに、仕草が何と言うのか子供っぽい。

 この少し年上な美人の名前は『佐藤菜々美』さん。ウチの会社のというかボクの所属している部署の先輩社員だ)


「すぐソッチに行くからねー」


//横断歩道の誘導音が鳴り、ヒールの駆ける音がだんだんと近づいてくる。

 横断歩道を急いで渡ってきたのだろう。心なしか息が粗く肩を上下しており、菜々美が掌を団扇のようにパタパタさせている。


「ゴメンね。待った?」


(息を整えながら顔の前で両手を合わせると、菜々美さんが様子を伺うように上目遣いで訊いてくる。確かに待ち合わせ時間からは5分ほど過ぎているけど、そんなモノは誤差の範囲内で気に病むようなことじゃない。

 誘ってくれたのは他ならぬ菜々美さんなのだし、〝余計な気を使わせてはダメだ〟と思い「ボクも来たばかりです」と答えると)


「ハイ、ダウト。減点10点」


(「えっ、えーっ! どうして?」

 いきなりのダウト宣言で焦るボクに菜々美さんが「あのね……」と解説)


「後輩クンはわたしに気を使って〝着いたばかり〟と言ったのだろうけど、もしもわたしが早く着いていたら〝逆に待たせる〟ということになるのよ。ともすれば〝時間にルーズ〟と思われかねないから、発言には気を付けなさい」


(僕の額を突きながら軽く説教。最後に「分かった?」と尋ねられたから、もちろん「はい」と答える)


//芝居がかった真面目口調で

「よろしい。以後気を付けるように」

//直後、何かに気付いたのか、菜々美が小さく「あっ」と呟く。


「休みの日にこれはダメだよね。さっきまで休出していたから、お仕事モードが抜けきってなかったわ」


(苦笑いしながら菜々美さんが「メンゴ、メンゴ」と謝ってくる。可愛らしい仕草とは裏腹にセリフが若干オッサン臭いのだが、指摘するとゼッタイにヘソを曲げるから、空気の読める後輩としてはスルーの忖度は忘れない)


//ナレーションの直後、菜々美が咳払い。

「とにかく。プライベートの場で女性を待たせるのは、社会人として厳禁よ」


(そう言って菜々美さんが指で小さな〝バッテン〟を作る。一緒に「メッ」と囁くのが年上なのに本当に可愛らしい。素直にハイと返事をしたら「ヨロシイ」と鷹揚に返事された)


「ずっと此処で立っているのもなんだし、それじゃ目的の場所に行こうか」


(言うやスッと右手を差し出す菜々美さん。突然のことにボクが戸惑っていると「コラっ」と小さくお冠)


「レディーが手を差し出して来たら、ちゃんと腕を組まないとダメじゃない。その辺の高校生だって、もっとスマートにエスコートするゾ」


(「でも。それだと、まるでデートみたい……」


 だったら嬉しいけれど……じゃなくて、カン違いするような言動を取らないで!

 緊張して心臓バクバクのボクだったけど、菜々美さんは「?」と怪訝顔でボクを放置)


「ホラホラ。後輩クンはレディーに恥をかかせる気かな?」


(挑発するように右手の人差し指だけをクイッと突き立てる。

 そこまで煽られて黙っていたら男が廃るというモノで、ボクも何食わぬ顔で左手を差し出すと、手慣れた風を装いつつ自然な形で腕を組んだ。


 ……けど……

 近いよ。メッチャ近いよ!


 腕を組んでいるから菜々美さんの手の感触がダイレクトに伝わってくるし、彼女の長い髪がボクの腕にハラリとかかると、微かなくすぐったさと甘い香りが五感と鼻腔を直撃する。

 それでも未だ触れていのが腕だけだったら良いのだけれど、なぜか距離感がバグっている菜々美さんは必要以上に腕をグイグイと寄せてくる。そうすると彼女の肢体にも腕が接触する訳で……)


「どうしたの? 顔が真っ赤だよ?」


(誰の所為だと思っているんだー! 菜々美さんの胸部装甲が僕の腕に当たっているんだよ!

 て、言えたら楽になるんだけど、あいにくボクの根性はこれ以上ないくらいの小心者のチキン野郎。ゆえに返す言葉は「少し、緊張しているだけです」と、当たり障りのないもの)


「そう? 仕事じゃないのだから、緊張なんかしなくてもいいのに」

//何食わぬ口調だが、当の菜々美が心なしか声が緊張している。


(「と、とにかく予約の時間が迫っているのですよね。こんなところで油を売っていないで早くいきましょう」)


「そ、そ、そうね」

//ここで微かにしていた動揺を取り戻す。


「それじゃ、レッツゴー」


(菜々美さんが意気揚々と右手を突き上げる。その言いかたがオッサン臭いのだけど……)


「何か言った?」


(「イエ、ナンニモ」

 

 目が三角に吊り上がった菜々美さんに引っ張られ、ボクたちは夜の街に繰り出したのである)







//路地の雑踏(SEは抑え目に)


(ボクの名前は……えっ、男の名前なんてどうでも良い? ですよねハイハイ省略しますよ、菜々美さんと同じ会社の新入社員です。で、いちいち説明しても誰も聞いてくれないだろうから端折るけれど、なんやかんやとイロイロあって、今夜は菜々美さんと二人っきりで食事をすることになった次第でして……

 ま、菜々美さんにしてみれば〝コミュニケーションのため後輩を夕食に誘った〟って程度なんだろうけれど、ボクにしてみれば〝菜々美さんと夕食デート〟で気合の入り方が段違い。

 それは服装にも表れていて、ぼくは休日にもかかわらずフォーマルを程よく着崩した格好なのに対して、菜々美さんは暖色系のフレアスカートに淡い色使いのブラウスと薄手のカーディガンという通勤仕様。

 あくまでも後輩に飯を食わせてやろうというスタンス)


「えっと、コッチね」


(なので緊張する様子も皆無の平常運転。ちなみに今夜のお店は菜々美さんのチョイス。曰く「若さに任せた学生のノリも楽しいけれど、もう社会人になったのだから、少し落ち着いた雰囲気も楽しもう」とのこと。なのでかどうかは知らないけれど、お店のある場所は目抜き通りから少し奥まったところにあるのだとか)


//路地を1本奥に入ったのか、雑踏の音が少し小さくなる。


(たった1本路地を奥に入っただけなのに、さっきまでの喧騒がウソのような落ち着きよう。繁華街だから人の往来はもちろんあるのだけれど、行きかう人たちも目抜き通りより少し大人っぽく映るのだから不思議)


「ジャーン。今日のお店はこちら」


(「って、焼肉屋さん?」)


「そ。美味しいお店だから、こうご期待」


(「エッヘン」と胸を張る仕草は可愛いけれど、焼肉って服とかに匂いが移るから男女二人きりで行くのには不向きじゃなかったっけ?

 セオリーと異なるシチュエーションにボクが首を傾げていると、クスリと笑った菜々美さんが「チ、チ、チ」と指を振る)


「〝服に匂いが移るのに、こんなところに来ても良いの?〟って戸惑っている? 後輩クンが懸念する通りファーストデートみたいなシチュに、焼き肉屋さんは良い選択とは言えないわね。でもそれは、男の側から誘う場合ね。女の子から誘ったのなら気にする必要はないわよ」


(「そういうものなのかなぁ?」)


「そういうものよ」

//キッパリと言い切る。


(やっぱり〝後輩を夕食に誘った〟程度のノリなんだろうな。分かってはいたけどガッカリするボクの気持ちを知ってか知らずか、菜々美さんが「それに美味しいは正義なんだからグズグズ言わない。さあ、入るわよ」と堂に入った仕草で店の扉に手をかける)


//店の扉を開ける音。店員さんの「いらっしゃいませ」の挨拶。


(菜々美さんに背中を押されてお店に入った途端、不覚にもボクは硬直した。

 明るさを押さえて落ち着いた雰囲気を醸し出す照明に、品の良い内装と黒御影石で作られたテーブル。店内にドリンクバーカウンターの類がないことから、バイキングスタイルの店でないことは明らか。そして極めつけは店内の客層がメッチャ落ち着いている!


「な、な、菜々美さん。ココ、高級焼き肉店じゃないですか?」


 敷居の高い店に腰が引き気味なボクを、菜々美さんが可愛いものを見るように「クスリ」と笑う)


「そんなに畏まらなくても大丈夫よ。ぱっと見高そうに見えるけれど、オーダーバイキングのお店よりも、ちょっとお高い程度なんだから」


(そうなの? 訝るボクに「本当だって」と菜々美さんが断言)


「本気のブランド和牛の専門店だったら、わたしだって腰が引けちゃうわよ。ここはチョット見栄を張ったり、頑張った自分へのご褒美なんかにちょうど良い雰囲気のお店なの。ここまで来たらジタバタしないで、早く席に座りなさい」


(覚悟を決めろと言わんばかりの菜々美さんに背中を押され、ボクたちは『予約席』のプレートがあるテーブルに案内されたのだった)






「とりあえず、生2つね」


(席に着くなり菜々美さんが飲み物をオーダー。曰く「仕事帰りの1杯は何物にも代えがたいのだから」だそうで、「最初のひと口に関しては、ビール以外の飲み物は認めないわ」とのこと。

 そう豪語した割には、給仕さんが持ってきたのはジョッキじゃなくてグラス。そんな少しで良いの? と訝ったら「もう。後輩クンは解ってないわね」とチッチッチッと指摘が入る)


「ジョッキだと量が多いから、飲んでいる途中でビールが温くなっちゃうでしょう。それにビールは飲み過ぎるとお腹が張って、何も食べれなくなってしまうわよ」


(言われて、なるほど。得心していると「もたもたしていたら温くなるから。ほら、ほら、乾杯をするわよ」とせっつかれました)


「乾杯」

(「乾杯」)


//グラスの重なる音。ビールが喉を通る音(ボクと菜々美の2人)

 ビールを飲み干し、グラスがコースターに置かれる。菜々美の「ふぅ~」の声。


「やっぱり仕事上がりの1杯は格別よね~」


(「菜々美さん、オヤジ臭いですよ」


 地雷を踏んだらしく、言った途端に菜々美さんの顔から表情が消えた)


「ハイ、ダウト! コレは大幅減点、30点モノね」


(「30点! そこまで……」狼狽えるボクに菜々美さんは「大失言よ」とキッパリ。

 人差し指をボクの額に突き付けると「レディーと同席なんだから、相手を気持ちよくさせるセリフを言わなきゃダメ」とお小言)


「次、ダウトしたら赤点・補習が待っているから覚悟しなさい」


(とか言いながら「さあ、お肉焼くわよ」って、やっぱりオヤジ臭いですよ。

 減点されるのが怖いからそこは黙って、代わりに「後輩なんだからボクが肉を焼きますよ」と言ったら「ダーメ」と却下されてしまった)


「お肉を焼くのって実は繊細な作業なのよ。ここは黙って経験者に任せて、後輩クンは美味しいお肉をご相伴しなさい」


(表情は笑顔だが有無を言わせぬ迫力でテーブルに載ったトングを掴むと、通りかかった店員さんに肉をオーダーする)


//店員さんの「お待たせしました」の声に被るように「来た来た」と菜々美のテンションがあがる。

 そして肉が焼ける音。


「先ずは定番の〝タン塩〟よね。これはサッと炙る程度がいちばん美味しいから、お喋りに夢中になり過ぎないようにね」


(言葉通りに軽く焙ってミディアムレアに焼けた肉が「さあ、どうぞ」の声とともにボクの取り皿に載せられる)


「いい塩梅に焼けたと思うわよ。タン塩は表面に焼き色が付くくらいがちょうど良いの」


(焼き役を買って出るだけあって絶妙な焼き加減の職人技。これはレモン汁でさっぱり風味が合うと箸を伸ばしたら「それは未だダメ」と菜々美さんのチェックが入る)


「レモン汁もさっぱりして美味しいけれど、せっかくの脂がレモンの酸味で消されちゃうから、先ずはお塩で脂の旨みも堪能して欲しいな」

//トングをカチカチさせてのレクチャー。


「こうやって塩をひと摘まみだけ振るの。量が多いと塩が勝っちゃうから注意してね。レモン汁も悪くないけど、塩で食べると脂の旨みが口の中に広がるから、塩タン本来の旨みが堪能できるわよ」


(言われたとおりのやり方で塩タンを食べると、本当に旨みが口中に広がり思わず「美味しい!」と声をあげた)


「そうでしょう、そうでしょう。脂の旨みが分かるようになったら、焼肉ストとしても一人前よ。さて、次はこのお肉。でも食べる前にお口の中を清めてリセットしましょうね」


//菜々美が喋り終わるタイミングに合わせて、店員が「お待たせしました」とグラスをコースターに置く。


(あれっ、ビールじゃない。

 訝るボクに菜々美さんが「今日はちょっと大人。がテーマでしょう?」とクスリと笑う)


「ビールも良いけれど、口の中をキレイに〝消毒〟するのなら日本酒もお勧めよ。好みにもよるけれど焼肉との相性だったら、どっしりと芳醇な吟醸酒よりも軽やかな純米酒の方が合うと思うな」


(「アレっ。でもコレ「シュワ、シュワ」していません?」)


//グラスから炭酸の弾ける音。


「そりゃあコレ〝スパークリング日本酒〟だからね」


(グラスの縁をなぞりながら菜々美さんが解説。良く冷えているのかグラスには涼し気な露が滴り、中の液体からは泡が弾けて爽やかなリズムを奏でている)


「シャンパンみたいに炭酸ガスを含んだ日本酒だから、お口直しにはもってこいと思ってチョイスしたの。物は試しに、まあ飲んでみてよ」


(勧められて飲んでみる)

//ボクがお酒を飲む音。


「飲み口が軽やかでしょう? 原料が米だからワインよりも味わいがさっぱりしているし、ビールのような苦みも残らないないから、後口がスッキリしているのが特徴ね」


(菜々美さんの言う通り口当たりがとても軽やかで、口中に残っていた脂がきれいに洗われていく感じがして美味しい)


//その間も別の肉が焼かれている。


(全体的には赤身が多いけど、程よくサシが入っている。厚みは1センチくらい? バイキングスタイルの焼き肉屋まずお目にかからない厚さだ。

「あのう、このお肉って?」)


//恐る恐る訊くボクに菜々美は何でも無いように答える。


「ん? シャトーブリアンよ」


(「ちょっと待った! メッチャ高級肉じゃないですか!」

焦るボクに菜々美さんがなんでもない風に「まあまあ」と言って落ち着かせる)


「シャトーブリアンといっても、別にブランド和牛じゃないから思ったほど高くないわよ。それに量だって2人前で200グラム切っているの、だから安心して食べてくれるかな」


(そう言って差し出された肉は、これまた良い塩梅のミディアムレア。食べかたについても「塩・胡椒を振ってあるから、基本的には何も付けずに食べてね」とのお下知。

でもって食べてみたら、口いっぱいに肉の旨みが広がる。当然のように「美味しい」と正直な感想を口にしたら、菜々美さんも「でしょう」と満足げ)


「美味しいでしょう? 厚みがあるから食べ応えはガッチリあるのに、噛めばスッと切れていくほどお肉が柔らかい。味付けも塩・胡椒だけだから、肉本来の旨みがこれでもかというくらい感じられるはずよ」 

(「というか、食べ放題だとシャトーブリアンなんて置いて無いですよ」

 あったとしても確実に別料金だと断言できる。

 ボクが嘆息していると菜々美さんが「だよね」と同意)


「食べ放題のお店だと、ついついコスパを考えて食べかたが雑になっちゃうのよね。時間の制限もあるし。せっかくのお肉なんだから、ちゃんと美味しく味わって欲しかったの」


//蘊蓄を語るその間も、菜々美が別の肉が焼いている。


(満面の笑みにボクは「ひゃい」なんて噛んでしまったら、菜々美さんのツボに入ったのか「ククク」と上品に笑う。でもひとしきり笑った後で「可愛い」なって呟くのは反則でしょう!)


「今度はリブロースね。これはワサビかレモンで食べてくれると美味しいかな?」


(菜々美さんが勧めてくるので、先ずはワサビを少しつけて食べてみる)


「辛いはずのワサビなんだけれど、なぜかお肉の甘みを引き出してくれるのよね。あとからチョット鼻にくるけれど、それほど不快感は無いでしょう?」


//肉を食べて喉が鳴る音。


(「本当に脂が甘く感じます」)


「でしょう。次はレモン汁で食べてみて。レモンの酸味が良いアクセントになるはずよ」


(言われたとおりにレモン汁で食べたら、これも余計な脂分を感じずさっぱりとして美味しい。そしてまた菜々美さんがチョイスしてくれた日本酒が良く合う。これがいつもの食べ放題バイキングだったら、ビールで乾杯したらひたすら肉を焼いて、バカ話をしながら焼肉のタレをベシャベシャと付けて食べるの繰返しになっていたはず。

 アレはアレで楽しいし肉を食ったという気分にもなれるが、今日のお肉のように〝味わって〟いるかと訊かれたら答えに窮す)


「そろそろガッツリとお肉を食べたくなった?」


(まるでボクの心を見透かしたかのように、悪戯っぽい笑みを浮かべながら菜々美さんが訊いてくる)


「若い胃袋だとパンチのあるモノも欲しいよね。そう言うと思ったから、ちゃんと用意をしてあるわよ」


(ニコニコしながら菜々美さんが金網に投入したのは、ある意味お肉で作るおにぎり〝ハンバーグ〟だった)


「美味しいわよ。牛のランプ肉をベースに豚のウデ肉を7対3の割合で、細挽と粗挽の割合を8対2にしているの。そのうえで淡路島産の玉ねぎを食感が残る程度にソテー、つなぎのパン粉は街中で評判のパン屋さんから直接仕入れているのよ」


//喋っている間もハンバーグが金網で焼けていく。


「焼き肉屋さんのハンバーグの良いところは、網で焼いているから余分な脂が網から落ちていくのよね。それでいてハンバーグ本体は事前に焼しめてあるから、切ったら肉汁がジュワッと口の中に広がっていくの」


(そう言って軽く舌舐めずりをしながら、菜々美さんが焼きたてのハンバーグを取り皿に載せてくれる)


「溢れ出る肉汁を味わうのだから、デミグラスソースみたいに「これぞソース」と主張するようなのは無粋。このお店は焼しめる際に出た脂と醤油を煮詰めたソースに、ワサビを乗っけて食べるのを推奨しているの」


(菜々美さんが小皿を差し出してくれる。そこには溜まり醤油のようなソースが小さじ2杯くらいと卸したてのワサビが少々)


「先ずソースにワサビを溶いて、程よく混ざったらハンバーグを箸で割るの」


(割った途端、金色に輝く肉汁がじゅわりと溢れる)


「溢れた肉汁を逃さないようにハンバーグの肉片に付けて、小皿のソースをチョンと付けるの。肉の旨みを引き出すのが目的だから、ソースは控えめにしてね。もう噛む度に口内に肉汁があふれ出して、ひと時の幸せを実感させてくれるわ」


//菜々美の小さな咀嚼音とうっとりとした口調。


「どう、肉肉しかったでしょう? でも、後輩クンは〝せっかく焼肉屋さんに来たのだから、もっと焼肉らしい焼き肉を食べたい〟って顔をしているわね? ふふ。大丈夫よ、ちゃんと用意してあるから」


(焦らしに焦らした真打登場みたいに、テーブルに少し大きめの皿が給仕されて来た)


「わたしも最後はガッツリ食べてみたいから、カルビと肩ロースはちゃんと注文しておいたの」


//続けて肉が焼ける香ばしい音。


「付けるのは何って? 最後だからタレを付けるわよ。ここのお店の付けタレは砂糖を使わず、フルーツの果糖で甘くしてあるからお肉の旨みが際立つの」


//菜々美が肉を取って食べる音。「ん~」という満足げな唸り声。


「繊細な旨みを感じる食べかたも粋だけど、オーバーカロリーな肉をガッツリこそ焼き肉の醍醐味。抗えない美味しさよね」


(ダイナミックにガッツリも良いらしく、菜々美さんが嬉しそうに肉を頬張る。本来見せちゃダメな姿なんだろうけど、唇が肉の脂で濡れていて妙に艶やか。

 お酒を飲みつつ肉を存分に楽しんだら、あっという間に時間が流れて、そろそろラストオーダーの時間)


「スミマセン。〆のアレを2人前」


(堂に入った態度で菜々美さんがラストオーダーをする。

 程なく現れたのは、大きめの碗に控えめによそられたご飯と、急須。それに三つ葉と白髪ねぎとワサビの載った三品皿)


「多分、後輩クンは〆は冷麺やビビンバとか、或いはジェラードみたいなスイーツなんだろうけど、このお店は〝お茶漬け〟がお勧めなのよ。ご飯にカルビ肉と薬味を載せて、さっぱりとしたお出汁を注ぐの。そうするとお出汁に肉の旨みが溶けて、あっさりしているのに旨みを味わえる至高のお茶漬けがラストを飾ってくれるから」


(「そのためにカルビ肉を残していたとか?」ボクが尋ねると、周囲に花が咲き誇ったような満面の笑みで「もちろん、そうよ」と菜々美さんが答える)


//お椀にカルビ肉を載せる音、急須で出汁を注ぐ音。


「さあ、食べて食べて。ワサビもほんのチョット乗せるのなら、良いアクセントになるわよ」


(心の底から美味しそう、に菜々美さんがお茶漬けについて熱く語る。

 そして戴いたお茶漬けは豪語するにふさわしい、あっさりとした中にも旨みの引き立つ逸品でございました)







//引き扉の閉まる音と店員の「ありがとうございました」の声が聞こえる。

 屋外に出て再び雑踏の音が聞こえ始めてくる。


(店を出るなり菜々美さんが「ん」と言って左手を差し出す。さすがにぼくも学習したので、落ち着いた仕草で右手を出して菜々美さんと腕を組む。

 行きと違って動揺していないのはさすがに2回目で少し慣れたのと、幸か不幸か菜々美さんにも焼肉の匂いが染み付いて、行きの時ほど香りにオタオタしなくて済んだからという消極的な理由から)


「どう、美味しかった?」


(「ハイっ、堪能しました」と答えられる位には心の余裕も出来ていた)


「良かった」

//菜々美さんが安堵したように小さく呟く。


(「でも良かったんですか? こんな美味しいお肉を奢って貰って。お腹いっぱい食べさせてもらって、メッチャ恐縮するんですけど?」)


「ああ、良いの、良いの。コレは後輩クンへの〝ご褒美〟なんだから、素直にお姉さんに奢られていなさい」


(意固地に「ボクが出します」も格好悪いので「それじゃ、お言葉に甘えて」と素直にゴチになったけど、やっぱり菜々美さんに対してボクは〝後輩ポジション〟なんだよなぁ。

 目をかけて貰って〝嬉しい〟思いもあるが、弟分扱いに言葉にならない忸怩たる思いもある)


//二人の足音。


(当たり前だけど徐々に駅が近づいてくる。菜々美さんにとっては後輩にメシを奢った程度かも知れないけど、ボクにとっては憧れの先輩とのお食事デート。しかもファースト。

 出来ることなら「もう1杯、飲みに行きませんか」と雰囲気のあるバーかラウンジに誘うか、せめて「次はどこに行きましょう?」とアポを繋ぐべき。

 でも相手は社内きっての美人と誉れ高い高嶺の花。その一言が言い出せない己のチキンハートが恨めしい……)


//目抜き通りに近づいてきたのか、雑踏の音が徐々に大きくなる。

 ともすれば周囲のノイズにかき消されようとする中、菜々美が「誰にも言っていないけれど」と不意に切り出す。


「あそこは料理が美味しいところにもってきて、ちょっと隠れ家的な雰囲気もあるから、わたしのお気に入りのお店なの」

//少し意を決したような口調。


「だからね。みんなに知ってもらいたい気持ちもあるけど、誰にも教えたくないお店なの」


(「矛盾しているけど、その気持ちは何となく分かります」)


「でしょー」


(満足げに菜々美さんが頷くが、言いたいことはそこではないようで、少し逡巡するような息遣い。少し考えた末に「だから、ね!」と一瞬声が高くなり、ちょっとだけ勿体ぶる)


「このお店に誘ったのは後輩クンだけ。そして他の誰にも教えないで欲しいな」


(耳元で、本当に囁くような声で、でもしっかりとした口調でボクに語りかけてくる。

 

「えっ、それって?」


 訊き返すよりも早く、菜々美さんの腕がするりと抜けていく。

 絡まった腕が離れるとき、不意に耳たぶに)


//一瞬雑踏の音が消え、チュッと唇が重なる音。再び雑踏の音が聞こえだす。


「今度は後輩クンが奢ってねー!」


(とんでもない爆弾を投下したかと思うと、右手を掲げてピースサイン。フレアスカートを翻しながら颯爽と改札を抜けていく。



 あのさぁ。右手で耳を押さえながら改札前で間抜け面を晒している後輩の始末をどうしてくれるの?



「明日、どの面下げて会社に向かおうか?」


 本気で心配しているボクと、次のデートは〝しゃぶしゃぶ〟が良いのかなぁ? とお店探しにワクワクしているボクがいた)


//駅の雑踏が徐々に小さくなっていきエンディング。

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