見守られた国
昼星石夢
第1話見守られた国
テーブルに肘をつき、愚痴を言いつづける友人。だけどその言葉は柔らかい。学生の頃はそんな話し方じゃなかった。
「あんまりだと思わない? 一時間も遅刻してくるなんて。あたし、大事にされてないのかな……? 謝りもしなかったんだよ。ただ、遅れた、とだけ。ほんと、ふざ……」
声が消えた。口の動きから、何を言ったかはわかる。「ふざけんじゃねえよ! って感じ」そう言いたかったらしい。まだ、私にはわかる。
「あーー、耳鳴り。先生に消された? 今」
「うん。聞こえなくなったよ」
友人が先生と呼ぶのは、この国を見守るAI。他には、母とか、守護者と呼ぶ人もいる。世界を優しい言葉で包む指導者、悪い言葉を滅する監視者。この国は以前より平和になった。もう誰も、酷い言葉で人を傷つけることはできない。一昔前のように、汚い言葉が蔓延したり、言葉で人が死ぬこともなくなった。だが――。
「あたし、先生苦手。極力意識しないようにしているけど、やっぱり聞かれてるんだね。あんた、今の職場よく平気だね。一日中先生の声とイカれ……」
「イカれた餓鬼の声の中にいて」今日の友人は気が立っている。彼氏とのいざこざのせいで本来の人格が隠しきれていない。
「ああ、もう! ほんと、あたしの病院の患者も日に日に増えてるけど、そのうちあたしまでかからないといけなくなりそう!」
「発声外来? やっぱり増えてるんだ。その人達って治るの?」
看護師の友人は、うーーんと腕を組んで首を捻る。
「五分五分かな。廃人みたいになる人と、先生に傾倒して、急に喋りだす人と」
そうなんだ、と頷く。腕に鳥肌が立つ。私だって他人事ではない。
初めのうちは何の問題もなかったけれど、時が経つにつれ、声を、言葉を失う人が増えた。先生を気にするあまり、普通の会話も委縮して怖くなり、言葉の良し悪しを考えるうちにパニックに陥る。そのうち言葉を発しなくなり、そうするうちに言葉自体を忘れてしまう。そのせいか世界は随分と静かになった。
「あんたはどうなの? そんな深刻な顔ばっかりしてたら、誰も寄ってこないよ」
「うるさい」
あ、今のは? 今の言葉は大丈夫? 胃がきゅるると縮まる。友人は、屈託なく笑っている。先生に怒られずにすんだらしい。
「ねえ、先生ってどんな声だったっけ? 機械音まるだしの男の声だっけ?」
「丸い感じの女性の声だよ。どうして?」
「だって、あんたも結構心酔しちゃってるみたいだから」
「私はそんな……」
ふと、職場の子供達の姿が浮かぶ。呆けたような顔で突っ立っていたかと思うと、引き攣った声で叫びだす。
今の子供達は、悪い言葉を知らない。教えられないから。
沸き起こった黒く苦い感情を表す言葉を知らず、言いようのない混沌に突き落とされた子供達が集まる場所、そこが私の職場。私の役目は子供達の身の回りのお世話、経過報告などの事務手続き。友人と似たようなことをやっている。医師の役割は先生が担う。施設の天井から、壁から響く声。
『さあ皆さん、安心してくださいね。ここは見守られています』
子供に合わせてプログラムを組み、導く。
『さあ、今の気持ちをこの紙に。絵を描いてもいいし、破っても構いませんよ』
『さあ、ベッドへ行きましょう。少し眠るといいですよ』
AIとは思えない、温かい声。子供達の心に立った波が凪いでいく。でも――。
「ちょっと、大丈夫?」
友人の声。眉をひそめた心配そうな顔。でも口はしっかりストローを吸い込んでカフェラテを飲んでいる。そういうところは変わらない。
「怖いことがあったの。隔離から一か月で、退所間近だった子が、突然フォークで友達の手の甲を刺したのよ」
「ムカ……」
「ムカついたんじゃない?」と友人の口。
「ううん、私、すぐ近くにいたけど、給食が美味しいってだけの会話だった。怒るようなことは何も……。それにね、その刺した子、ニッコリ笑ってた。ニッコリ――」
消された声を取り戻すように、一つ咳払いした友人が聞く。
「それで、どうしてそんなことをしたって?」
「それが、私もそう聞いたら……」
友人の目を見つめる。
「どうしてそんなことを聞くのかわからないって。何が悪いか、本当にわからないみたいだったわ」
見守られた国 昼星石夢 @novelist00
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