第九話 護衛役

 紫音殿 桂殿

 助力願 護衛派遣ノ件


 黒ずくめの男が差し出してきた書簡の宛名には、そう書かれていた。

 そして、その次には――。


「かっ……?」

 ここ、芳賀野国はがのこくのおかみ本人の名前と、その身の上を証明する書判かきはんが記されている。


「本物、か……?」

 紛れもなく本物である判を前にしてそうきながら、桂は震える手を伸ばす。

 書簡が男の手から離れる時にも音がしない。

 桂は男を気味悪くも思いながら、恐る恐る書簡を開く。そこには――。


 芳賀野国第五十二駆除団より、紫音の毒薬が屍者をたおす強力な助けとなった話を聞いた。

 なので、紫音とその兄の桂に屍者駆除への助力をたまわりたい。

 紫音は前線に出ることはなく、毒薬の製造と開発に注力してほしい。費用はこちらで全て負担する。

 引き受けて頂けたあかつきには紫音・桂兄弟の衣食住を保証し、そして紫音に護衛の者を派遣する。

 護衛の者とは今回の使いとして送った十斬トギリである。彼は元駆除団員であり、現在はこの国で要人の護衛役として雇っている。


 ――と書いてある。


「ぼくは別にいいよ」

 いつの間にか顔を出して書簡を読んでいた紫音が、黒い男――十斬とぎりに可愛らしい笑顔を向ける。

 十斬は変わらず底の無い瞳で、紫音を見返す。

「毒薬作るだけでしょ。そんなのいつもやってるもん」

駄目だめだ」

 即座に断言した桂に、十斬は視線を戻すが、その表情はぴくりとも動かない。


「紫音はまだ子供だ。いくらお上のめいだって、屍者相手だって、これ以上ころさせることはできない。俺が許さない」

 紫音がケチだのなんだのと文句を言い始めるが、桂は紫音の唇をつまんで黙らせる。


 いくら頭が良くても、毒薬を作るのが上手うまくても、紫音はどうしたって子供なのだ。御伽噺おとぎばなしのような経験をさせてしまった所為せいで、何でもできる、何でもやっていいという気になっているだけだ。

 そして、桂にとっては、相手が屍者であったとしても、殺しは殺しなのである。紫音は、食べる為でもない、ただの殺しに手を貸したのだ。


 だが、あれは確かに、自分たちの身を守る為だった――。桂はそう思っていない訳ではない。あのとき紫音が毒薬をばらいていなければ、確実に紫音も屍者に襲われていた。

 ――しかし、桂がもっと急いで、日が沈む前に新居に紫音を連れていっていれば、あの屍者たちと出会うことはなかった。


 ――紫音もいつかそう思うようにならないとは限らない。

 紫音は大きくなってから、子供の頃におこなった殺しについて激しく苦しむことになるかもしれない。

 それは、桂が約束してやれることではないからこそ、桂が責任を持たなければならない。


 欲を言えば、桂は紫音に、一生ころしには関わってほしくない。

 だが、せめて、せめて紫音が一人前の大人になって、自分に対して責任を持てるようになってから、決めさせてやりたい。


「駄目だ」

 桂が紫音を背中に隠し直して宣言すると、十斬は初めて表情を変化させた。

 ――目で頷いた。

 桂にはそう見えた。


 そして十斬は、どこからともなくもう一つ、別の書簡を取り出す。

 ――その宛名書に書いてある名前は一通目と同じだが、題は『御断リノ場合』となっている。

 お上がここまで手厚い配慮をするということは、毎晩の屍者騒動に相当まいっているのだろう。桂は張り詰めた頭のすみにそんなことを考えながら、二通目の書簡を開く。内容は――。


 紫音と桂がこちらの提案を断る場合でも、衣食住の保証と護衛の派遣はさせて頂きたい。

 これは将来の協力を強要する為のものではなく、既に紫音の能力に関する噂が各地に広まり始めており、今後紫音の能力を狙って他国より攻撃が加えられる可能性がある為である。紫音が人質ひとじちに取られてからでは、余裕の無いこちらがすべは無い。

 争いを起こさない為にも、紫音と桂を、安全な場所に保護したい――。


うそきやがって」

 桂は書簡をそそけた畳に投げつけるが、十斬は瞬き一つせず、桂の目を正面から見据みすえている。


「こんなこと言っておいて、ちょっとったら、やっぱり状況が変わった、ここまでのことをしたんだから協力しろって、ひらかえすつもりだろ」

 どの国でも、政治など――人間など、そんなものだ。

 屍者が跋扈ばっこするこの世が混乱しているのは当然だ。何もかもが不足することも理解できる。治める者あってこそ守られる平安があることも知っているし、桂は、何でもかんでも否定したいわけではない。

 だが、桂がひねくれた視点を持たざるを得ないのも事実なのである。

 それだけ、約束された約束の無い世の中なのだ。


「断る。帰ってくれ」

 桂は、畳の毛羽けばに埋もれていた二通目の書簡を拾い、一通目の書簡と合わせて十斬に返す。

 返しながら桂は、「わざわざ来てもらったのに悪いが」と付け足す。

 十斬はただ命令されて来ただけだ。彼に言ってもどうしようもないことを言ってしまった。


 しかし、十斬は二通の書簡を受け取ったきり動かない。

「……何だよ。まだ何かあ」

 ……!

 動けない。

 ――なさけない。

 紫音に脇差わきざしが向けられているのに、桂は何もできず、ただその冷たい刃を見ている。


 逆手さかてに脇差を握った十斬が、桂の目を一瞬だけにらむ。

 ほんの一瞬であったのに、桂は両目を焼き潰されたような心地がした。

 十斬は一言も喋っていないのに、桂には、彼の言葉が聞こえた。


 ――お前ごときにこの子は守れない。


「分かった……」

 乾いた息と共に吐き出した桂の声を聞いて、十斬は、衣擦きぬずれの音も立てずに脇差をさやに納める。

 紫音はすっかりおびえてしまったのか、桂の腕の中で動かない。


「だが、衣食住を恵んでもらうことだけは断る」

 あれだけ貧乏であることを気にしていた桂から、何故かその言葉はよどみなく出てきた。

「まだ、ほどこしを受けるまでの信頼はしていない。俺は自分の仕事に集中する。俺がいたら足手まといだろうしな。お前は紫音の護衛に集中してくれ」

 そこまで言って、桂はふと疑問を覚える。

 十斬は一言も喋らないが、こちらの話は聞こえているのか?

 ――いや、さっきから聞こえているような様子はあるが、ここまで長い話を理解して覚えられるのか? そしてそもそも、こちらの話をお上の方に伝えることができるのか?


「……書いた方がいいか」

 桂の問いに、十斬は少し間を開けてから、ふ、と一度だけ首を左に振った。

 ――まあ、お上に護衛役として雇われているくらいだから、何かしらの伝達方法は持っているのだろう。


「……じゃあ、頼む。あと、つぎ来る時は、いつのにかいるのはやめてくれ。びっくりするから」

 十斬は初めてはっきりと頭を下げ、そして上げると、桂にくっついて硬直している紫音の方を見る。

 ――こんな風だが、彼は彼なりに、子供を怖がらせて申し訳ないと思っているのだろうか。


 一方桂は、ほとんどこちらの事情で話を進めてしまったが、果たして紫音は十斬を受け入れてくれるだろうかと、紫音の表情をうかがう。しかし。

 ……ん?

 ――紫音は丸っこい目をきらりきらりと輝かせて、十斬を見ている。


「おじさん、かっこいい……」

 紫音の言葉の『おじさん』の部分で、十斬の覆面の下の眉が、ほんのわずかにだけ揺れた。

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屍んだ世界にしあわせの毒薬を 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara

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