第八話 黒い侵入者

「うわ」

 目を覚ました桂の視界に真っ先に入ったのは、大穴の開いた天井であった。


 うん、そろそろ強制退去だな。

 次の住まいは、ここに引っ越してきてすぐに決めておいたから――。


 ん?

 桂は奇妙な違和感に、首を傾げる。

 ――が、首が何かにがっちりと固定されていて、傾げられない。


 ああ、これはまた紫音の悪戯か。

 今度は何だ? 首の太さが五倍になる毒薬か?

 首の太さが五倍って、どのくらいだ? 仕事には支障が出るだろうか。

 ああ、そうだ、今日の仕事は米屋の荷積みだから、肩は使えるようにしておかないと。

 桂の頭は、だらだらと戻り道の無い思考を辿たどる――。


「あ、桂兄ちゃん、起きたね」

 大穴の開いた天井の前に、紫音のにこにこ顔が入ってきて、桂は自分が寝惚ねぼけていることに気が付く。

 ――そうだ。

 引っ越しの途中で屍者に襲われて、その屍者を紫音がやっつけて、自分は熱を出して――。

 桂はこれまでのことを一度に思い出して、溜息を吐く。目が覚めたばかりなのに、酷く疲れている気がする。


「どうやって、ここに……」

 桂は、大穴の開いた新居の天井を眺めながら、思い浮かんだ疑問をそのまま漏らす。

 紫音一人では、あの林の道からここまで、桂も、桂が寝ているこの布団も運ぶことができない。


「簡単簡単」

 紫音は自慢げに言って、ひょいひょいと人差し指を振る。

「ぼくが、信じられないくらい元気が出ちゃう毒薬を飲んで、荷物と桂兄ちゃんを運んだんだよ。地図は桂兄ちゃんのふところに入ってた」

「あ、なる、ほど……」

 桂は力無く返事をして、乾いた笑い声を漏らす。

 ――つまり、その毒薬の力を使ってここまで移動した紫音が、桂と荷物と一緒に新居に突っ込んであちこちを破壊した。桂も、紫音が飲んだ毒薬が効いている間、その力をもって移動させられたり看病をされたりしたため、全身の骨が折れたり外れたりしたので、首が固定されていて動かせないのである。


「へっへー」

 褒められたと勘違いした紫音は嬉しそうな声を出すと、一枚の書簡しょかんを桂の目の前に突き付ける。

 ――退去願。


「桂兄ちゃんの具合が良くなったらでいいって! 熱は屍者の体液が原因だから、どうにもならなくて十三日かかっちゃったけど、骨の方はばっちり! もうを外せるよ! あとは、ひと月だけ激しい運動を控えれば大丈夫!」

 引き続き嬉しそうにしている紫音と一緒に、桂はまた乾いた笑い声を漏らす。


 紫音は毒薬に関して、尋常でない程度の知識と技術を持っている。つまり、毒薬が作用する生物の身体に関して、尋常でない程度の知識と技術を持っている。つまり――。

 紫音は紛れもなく、この世界で一番の医者である。――それを知っているのは、桂だけであるが。


 だが、紫音の知識と技術が、今回は凶と出た。

 普段であれば、新居へ引っ越してすぐに次の住まいを探し始めるのだが、桂はここへ来てから十三日間、熱に浮かされ眠り続けていた。もちろん次の住まいなど探せていない。

「ごめんな、紫音。大家さんには、まだ治ってないって――」

「今朝、今日には良くなりますって言ってきたよ!」

 元気にはなった紫音は、桂の布団と浴衣ゆかたまくって、全身に巻かれた包帯を解きにかかっている。


「あ、そう……」

 紫音は悪くない。

 これまでずっと、桂が独断で住居を決めてきたのだ。紫音にその事情が分からないのも仕方ない。身体は治ったのだから、今から急いで考えるしか――。

「誰だああああああああああああああああっ!」

 桂は叫ぶと同時に、中途半端に固定された全身を無理やり動かして紫音を抱きかかえ、大破した部屋の隅に逃げる。


「どしたの桂兄ちゃん」

 桂の腹の下にかばわれた紫音は、解いたばかりの包帯を手にしたまま、きょとんとして桂を見上げる。

「だっ、誰だっ!」

 桂は、もぞもぞする紫音を押さえ込みながら、さっきまで紫音がいた場所の少し後ろに向かって怒声を吐く。


 そこに立っているのは、一人の男――。

 全身を黒装束くろしょうぞくに包んだ小柄な男で、顔も覆面に覆われており、底なしの黒い目だけが暗く光っている。

 しかし、一体いつからいたのだ……!


「名乗れ! 何が狙いだ!」

 桂は無茶苦茶に怒鳴りながら、紫音を、はだけていた自分の浴衣の中に隠す。

 ――この子だけは。

「この子だけは奪うな!」

 しかし、黒い男は瞬きもせずに立ち上がり、こちらへと歩いてくる。


 ――まるで、しのびのような動きだ。

 音が無い。

 風も無い。

 匂いも無い。


 姿以外に何も無い男は、桂の一歩手前でぴたりと動きを止める。

 黒い男と桂の視線がぶつかる。

 二つ重なった視線は、一本の蜘蛛の糸のように鋭く、硬く――。


「ぷは」

 紫音っ……!

 桂は浴衣から顔を出した紫音を慌てて仕舞しまうが、遅かった。黒い男は作り物のように無駄のない動作で足を動かし、距離を詰めてくる。


「消えろ! 金はねえ! 家も今日で無くなる! 何も取るもんなんか!」

 男を威圧せんと、起き抜けの割れた声で怒鳴り続ける桂の前から、男が消える。


「は……」

 ――消えていない。

 男は音も風も無く片膝をついて低く屈み、桂に真っ白な紙の書簡を差し出していた。


「何の罠だ」

 むがむが言いながらじたばたしている紫音を自分の身体で隠したまま、桂は男を睨む。

「何か言いやがれ」

 しかし、男は黙ったまま、書簡の宛名書あてながきの部分を桂の顔の前に持ってくる。

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