第七話 毒薬の子

 ――無茶はやめろ。頼むから――。

 桂は紫音を信じつつも、兄としてそう思ってしまう。

 やめろよ――。


「おりゃああああああああああああああああああっ!」

 場違いに楽しそうな声と同時に、桂は、自分の身体の上に軽い砂のようなものがそそぐ、くすぐったい感触を覚える。

 これは……?


 その瞬間、はがねのように固かった屍者の手が緩んだ。

 首をめていた手も――。

 桂は、激しくんだ。

 途中で、吸った息と吐いた息がぶつかって、余計に咳き込んだ。


「まったくもう、桂兄ちゃんてばぁ! 息止めてって言ったでしょー!」

 紫音の声が近付いてくるが、桂は咳き込むばかりで立ち上がれない。

「ねえ兄ちゃん! 桂兄ちゃん! 約束守らないバカ兄ちゃん!」

 紫音が普通の悪口を言いつつ肩を思いきり揺さぶってくるが、桂は応えてやることができない。

 喉に絡み付いた屍者の手が外れたら、何故か息を吸ってしまって、何故か咳が止まらなくなったのだ――。


「あっ、忘れてた!」

 冷たい。

 ――水か。

 横から顔面にぶっかけられた水が、顔にかかっていた砂と混ざって大小のしずくを作り、踏み固められた地面に落ちてにぎやかな音を立てる。


「はい、けて、息していいよっ」

 紫音の合図で目を開けると、不思議と少しせきが収まっている。

 そして、夜のせいか、自分のせいか、ほとんど真っ暗な目の前には、紫音の顔と、水の入った竹筒たけづつを持つ小さな手が、かろうじて見えた。


「はっはあ! 桂兄ちゃん、そんなに目を細めてもさ、暗いんだから見えないよ!」

 ぼんやりした紫音の影が大笑いして揺れると、ぼふ、と危険な音がして、太陽も驚くほどに白くて強い光に照らされた紫音の顔が現れる。

 ――箸もまともに持てないくせに、毒薬作りと、そして普通の子供と同じように火遊びが大好きな紫音は、先日、「へんな色の、ギンギラギンに燃える松明たいまつをいっぱい作る!」と意気込いきごんで、家を半分ほど燃やしたのだった。


「もう少し咳が収まったら、これでうがいして、残った水は全部飲んでね」

 桂は竹筒を受け取るが、それどころではない。

「し、しお、すっ……」

 だが、喉が思うように動いてくれなくて、上手くしゃべれない。


「あ、屍者はね、ぜんぶ毒でやっつけたよ」

 紫音は当然のように言って、真っ白すぎる火がともった松明の後ろの部分で、自分の足元にあるものをつつく。

「う、がうっ」

 つつかれた物を見た桂は、変な風にいきんでしまう。――折角せっかく止まりかけていた咳が、ぶり返してくる。


 紫音が楽しそうにつつきまわしているのは――。

 薄紫色の粉を被った、屍者だ。


 しかし、屍者は、太陽光に当たっているわけでもないのにぴくりとも動かず、溶けかけていたその肉は、干物ひもののようにからび始めている――。

「あのね、即興そっきょうで作ってみたの。でも、結構上手うまくいったよね」

 紫音は動かない屍者を松明の後ろでつつき続けながら、抜けたりえたりでがたがたになっている歯を見せて笑う。


 ――嘘だろ。

 屍者の駆除団だって、らえて燃やす方法しか持っていないのに――。


「し、死んだ、のか……?」

 紫音は、「うがいして!」と桂の口に竹筒を押し付けながら、質問に答える。

「そんな感じ。でも、ま、最初から死んでるけどね」

 ――紫音はそう言うが、桂はどうにも、一人で動く屍者を『死んでいる』と思うことはできないのであった。


「大丈夫だよ桂兄ちゃん。これをちゃんと処理したら、最初からちてたか、火葬されてたのと同じことだから」

 紫音は裸足はだし爪先つまさきで動かなくなった屍者をしつつ、当たり前のように言う。

「っ、そう、か……」

 桂は紫音に言われた通りに喉を洗いながら、色々なことについて、そういうものなのだと納得しようと努める。


 ざっ。

 まだ残りが⁉

 桂は勝手に揺れる地面に無理やり立ち上がり、音の聞こえた道の先を向いて、紫音を背中にかばう。

 さっきは偶々たまたま上手くいったが、今回もそうなるとは――。

「大丈夫だって桂兄ちゃん」

 紫音がちっこいこぶしで桂の背中をぽこぽこ叩いてくるが、桂は後ろに回した手で、紫音の身体を自分に押し付ける。


 ざっ、ざっ……。

 音が多い。

 ――さっきよりも、多い――!


「大丈夫ですか!」

 その声に、桂の膝から力が抜ける。

「ほらあ、大丈夫だって言ったでしょー?」

 紫音は地面に崩れた桂をごつごつなぐりながら、口を尖らせる。

 紫音の、完全に桂を馬鹿にしている口調はむかつくが、桂は怒る気になどならなかった。


 赤い松明の光に、声、白い人影――。

 屍者駆除団が到着したのだ。


「怪我はありませんか!」

「向こうの墓地から、屍者がこっちに向かっているのが見えたんですが……!」

 重装備をした十五人ほどの駆除団員たちはそこまで言って、桂と紫音と、二人の周囲の状況に言葉を失う。


 ――そんな彼らの前に紫音はぺたぺた走り出ていき、嬉々ききとして喋り始める。

「あのねあのね! この粉は、ええと、名前はまだ決めてないんだけど、毒薬なの! でねでね、これをかけると屍者は干からびて動かなくなっちゃうんだ。でも、雨なんかで粉が全部流れると、そのうちまた動き出しちゃうから、屍者はすぐ袋に詰めて運んで、いつも通りの方法で燃やしてね。ああ、この毒薬は燃やしても有害なものは出ないから安心して。燃やして土に埋めちゃえば、屍者と一緒に土にかえるよ。でも、燃やさない状態で水や土の中に大量に入ると、動物や植物、もちろん動物である人間にも有害で、動物は毒入りの水や土が身体に入るとお腹を壊しちゃうし、植物はれちゃったり、弱って花が咲かなくなっちゃったりするから、扱いには気を付けてね。あと、動物が粉を吸い込んだり、あと、粉が目に入ったりすると、ほら、桂兄ちゃんみたいになるからさ、使うときは、ほんとは覆面ふくめんをした方がいいよ。でもね、ちょっとくらいなら洗い流してうがいして、水を沢山たくさん飲めば大丈夫。あっ、そうそう、これがそのまま水や土の中に入ったときに、有害じゃなくなるまでの日数は、水の場合、温暖おんだん湿潤しつじゅんな春には約四十八日、さらあたたかい夏にはおよそ四十日で――」


 毒薬の説明を明け方まで聞かされた駆除団員たちは、疲れ切った顔で動かない屍者を回収し、重い身体と一緒にって帰っていった。

 ――ともかく。


「よくやった、紫音……」

 ――?

 桂は紫音の頭をでたいのに、腕が上がらない。

 地面に崩れたまま、立ち上がることもできない。

 身体が、熱い――。


「ああもう、桂兄ちゃんてば、屍者に触るからー」

 桂の顔を覗き込んだ紫音の顔が、蜃気楼しんきろうまれたみたいにゆがむ。

 ああ、折角せっかく可愛かわいい顔が――。


 ――見えなくなった。

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屍んだ世界にしあわせの毒薬を 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara

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