竜を討つ

@QuantumQuill

竜と刀を持つ男

宵。月明かりが雲を伝って静かに流れる。風の音と虫の声あるのみである。

寺があり、木造のそれは深い苔に覆われている。湿った寺の中からは、小さい蝋燭の影がゆらゆら揺れている。

その寺の、門には長い長い石造りの階段が敷かれている。それを、さっさっと上っていく男がいる。男は深い菅笠を頭に付けていて、顔を見ることはできない。大きい風呂敷を背負っているが、体幹はぶれることはない。

男は門を二度強くたたく。しばらくして、門は空く。中からはひとりの僧が顔を見せる。

「はて、かような宵のさなかにどなたにございますか」

細々と千切れるような声で僧は言う。

「旅の者だ。宿を頼まれても構わんだろうか」

男の声はずいぶん野太い。

「なりません」

僧は言う。どこかの何かを畏れるように続ける。

「貴方は本当に残念な時に来なすった。この御寺は今呪われております。私の信心が足りなかったのです。私の所為でございます。二夜前に、そばの川から竜が冥界よりお出でなすったのです。それはこれまで止むことなくわたくしを狙って、舌なめずりをしながら寺の周りを徘徊しておるのです。貴方はどうぞお引き取りくださいませ。わたくしの業に貴方を巻き込めませんから」

僧が言い終えると、森のどこかから大きい咆哮が聞こえた。それは森全体の葉を忙しなく騒がせ、心臓にぬるま湯を掛けたような悪寒が走る。

「ひいぃ……」

と僧は頭を抱えてうずくまる。

「竜とな。それがしを泊めてくだされ」

「なりませんと言ったでしょう」

それがしがその怪異祓ってみせよう。中に入れよ」

と男は言う。僧は遂に折れて、門を開けた。


それから、男と僧はふたり本堂の中で竜を待つ。男は堂の中心で風呂敷を閉じたまま横におき正座して待ち、僧は部屋の隅で竜に怯えながら時を待つ。その時は永遠のように長く続く。

僧は

「御食事でも御持ちしましょうか」

と言ったりする。しかし男はいつも

「いけない。竜は今も我々を見ている」

と言う。


月は傾き始めた。宵は終わりに差し掛かる。森がやや目を覚まし始めた。

ふと、虫や鳥が鳴くのを止める。風が止む。堂の中に赤黒い朝焼けの光がうち入る。

男は言う。

「来たり」

男は風呂敷を解き、中から二尺ばかりなる刀を持ち出し、外の方へひっそり歩み、境内が最もよく見えるところに行く。朝日に相対して、長い長い影を作る。男は刀を胸の前に掲げて叫ぶ。

「竜よ。それがしを見ておろう。見よ。荒れ狂う神たる其方を打ち倒さん。姿を見せよ」

男の声は境内の中に消えていく。また静寂が戻る。

僧は息を飲む。

途端、僧のすぐ横の堂の壁が大きな音を立てて割れ、大きな竜の頭が現れた。僧は竜と目を合わせてしまい、動けなくなる。竜の目がくりくりと動き、僧の姿を舐め回すとき、境内から強い蹴りが飛ぶ。竜は恐ろしい声を上げて後退する。

男は再度叫ぶ。

「姿を現したな荒神め。貴殿の珠を絶たせたまえ」

男は鞘から刀身を抜く。だんだんと姿を見せる刀身は、やや寂びて黒ずんでいる。男は床を蹴り、一目散に竜に向かう。竜はさらに後退し、堂の外に出る。男もそれを追う。しかし、男が目撃する外の光景には竜の姿はない。男は身構える。止んでいる風の成り行きを気に掛ける。

すると、男の背後から凶暴な音が鳴り、竜が巨大な口を開けて襲い掛かってきた。男はそれを受け止め、相当後ろまで押された。男は押される力が弱まるタイミングで竜から離れ、境内の開けた場所で竜と相対する。

男と竜は緊張状態に入る。互いに攻撃を止め、相手からの攻撃の防御に心がける。互いに円の軌道を描きながらだんだんと近づく。近づくたびに、彼らの緊張は深まる。

僧はもはやそれを見ることさえできない。

遂に、男と竜の間は三尺を切る。竜の荒く臭い口の匂いが、男の全身を包む。

そして、男から切り出す。

男が刀を持っていない左手を拳にして突き出すと、竜はそれに釣られてそちらを噛もうと乗り出す。そこに、男は体を右に反らし、右手の刀をがっちり握り、竜の首元めがけて振り下ろす。しかし、竜の固い鱗に刀は通じなかった。竜も刀の感触を察知して、目玉を男の方に向ける。それを見て、男はすぐさま竜から離れる。男がいたところには、凶悪な尻尾の鞭が飛んできていた。

男はある程度竜に離れたことで、森へ駆けていく。竜もすぐさま体を向けて、境内のあちこちを壊しながら前進する。

男は流星の速さで森に入る。森の古い木たちによって、竜は幾分か速さを失ったが、依然人を外れたものである。

男は深い森の、物陰に駆け込む。竜は後ろからそれを追う。竜はその物陰にたどり着き、その恐ろしい形相を物陰の中に向ける。そこには男がいる。しかし、刀は持っていない。代わりに、竜の強大な口ほどの長さの木の柱を持っている。竜が嚙みついて来ようとするときに、男はそれを口の中に放り込む。それはうまいこと竜の口が閉じないような突っ張り棒として働いて、竜は一時攻撃ができなくなる。かといって、生身の男にも攻撃手段はない。竜はその獰猛な口で、木の柱をかみ砕こうとする。柱はぎしぎしと音を立てて、だんだんと木目に沿って割れ目ができていく。そして忽ち、柱は折れてしまう——だが、竜はその途端と大きな口を開けて、うめき声を出してのたうち回り始める。男はそれを見るとすぐさま竜の口へ飛び込む。竜が何かに苦しんでいるおかげで口を開けるのはいとも簡単だ。男が目指したもの、それは刀だった。竜の上顎には、男の刀が刺さっていた。男は木の柱の陰に隠れて刀を括り付け、竜が柱を嚙み切ると同時に竜の脳を貫いたのだ。男は竜に刺さっている刀を抜く。竜の頭からは猛烈な血しぶきが上がる。竜は更に声を大きく喚く。男は抜いた刀の先を大きく天に掲げて、次に、竜の咽に突き刺した。刀身は喉を貫通して、しばらくして竜は完全に息の根を止めた。


男は刀を竜から抜き、討伐の証である牙をひとつ抜いて、寺に戻る。寺では僧が戦いの行方を今か今かと待っていた。僧は森から出てくる男を見ると、すぐさま駆けよる。

「竜は?どうでしたか」

男は牙を僧に見せる。僧は顔面一杯に安心を浮かべて、静かに喜びを噛みしめる。男は刀の血を払うと、鞘に納め、そそくさと本堂の風呂敷に入れて、それを背負い、寺を後にしようとする。気付かない内に帰路に就こうとする恩人を見て、僧は言う。

「貴方様は、いったい何者ございましょう」

男は、ひとつだけ口にする。

「旅の者だ。それだけでよい」

男はどこかに去っていく。

早朝のほのかに温かい風が吹いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜を討つ @QuantumQuill

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ