狐面JKとダガー

咲倉露人

 高校卒業したあとの夏休み。もしあの夏休みを普通に過ごしていたらどんな風になったのだろう?毎日家で三度寝ぐらいして、パートに出た母さんが冷蔵庫に置いてくれた昼ご飯をチーンして食べて、友だちのカズと中古ショップで買ってきたゲームで退屈になるぐらい遊び尽くす。バイトは行くかもしれなかったが、大学も実家から出る予定ない僕に引っ越しの準備やお金を貯める必要もなかったから、バイト経験がないと舐められたくない理由で、せいぜいお小遣い稼ぎ程度のものだっただろう。

 そんな平凡で目立たない日々こそが僕に相応しかった。けれども、制服を脱ぎ捨てる最後の夏休みで、僕が初めて家から飛び出して、初めてどうしょうもない理不尽さと暴力と、抑えきれないような怒りと苦しみを体験した。そして、銃弾が飛び交う混乱の中で、僕の目に焼き付いたのは、彼女がダガーで血肉を引き裂く生々しさと、ダガーの刃先よりも鋭いように敵を穿つキツネの眼光だった。



 芳香剤の安っぽい匂いが漂う薄暗いホテルの一室に、一糸まとわぬ男と女がベッドの真っ白いシーツに横たわっている。

 仰向けになった男は初老といった風貌で、額の上の毛髪が見事に薄くなっていて、腹の肉は如何に長年に鍛錬を欠けたことを語っているように弛んでいる。ところが女の方はまるで男とは正反対のようで、頭の後ろにまとめた艶やかな黒髪と、化粧では到底作れない肌の瑞々しさが彼女の若さ訴えている。

 そんな彼女は男の上にその華奢な体で被さり、細くて色白の指が膨らんだ腹の上に這い、口に男のイチモツを含んでしゃぶっている。

 傍らから見れば如何に異様で滑稽な光景だ。

「おお、サツキちゃん!気持ちいいよ」

「うん?気持ちいい?ふふ」

 年の関係か、男のイチモツは完全に勃起しきれていなくて、どこかヘナヘナとしているが、それでも口の中から気持ちよさそうな声が情けなく漏れている。それに合わせて女も笑いをこぼしたり、薄い笑みを顔に浮かべて男の顔を見上げたりをするが、目の奥底はまるで笑っていなく、ただぼんやりと男の両目の間を見ているだけ。

「あっ、サツキちゃん!イキそう、僕イキそう!」

「いいよ、イっていいですよ?」

 口を離れ、サツキと呼ばれる女が男のそれを根元までしっかりと握って上下に激しく動かせる。

「あっ!サ、サツキちゃん!サツキちゃん!あぁ、イ、イクッ!」

 男が足をピンと伸ばし、イチモツから男の液体が勢い弱く男の腹の上にかけられた。最後の力が使い果たされたように、イチモツを中心に下半身が出されたあともしばらく痙攣し続けていた。

「はぁ、はぁ」

 荒い息を途切れなく漏れる男を放って起き、サツキが枕元に置いたティッシュボックスからティッシュを4枚ぐらい一気に引き出して事務的に手に垂れた男の液体を拭き取る。

「今日もいっぱい出したね、お兄さん」

「へへ、サツキちゃんにシコってもらえて興奮しちゃって。サツキちゃんも気持ち良かったかな」

「うん、ありがとう」

 気持ちよくねーよ、という声を唾と共に飲み込んで、サツキが現時点できる最大限の作り笑いで肯定する。

 サツキのような年頃の女子にお兄さんと呼ばれるには恐らく30年も遅かったが、業界ではそういう決まりなので、今更サツキにはその年代の男のことをそう呼ぶには何の抵抗も感じなくなった。偽物とは言え、こういう場所でしか承認欲求を満たされないような男に、サツキもそこまで容赦なく扱うつもりはないから、肯定を最大限に与えている。

 ちょうどそこで、机に置かれているスマホが鳴り始めた。男に与えられた時間が終わりを告げるサインだ。

「あっ、時間来ましたね。シャワー浴びましょうか」

 それから二人がシャワーを浴び終え、バスタオルを腰に巻いた男がソファで缶ビールを飲み始めると、サツキは既に清楚な花柄のワンピースに着替え、さっきまで頭の後ろに束ねた髪を解き肩まで下した。

「サツキちゃん、次の出勤いつ?早くまた会いたいよ」

「そうですね。今日終わったらしばらくお休みしますけど、また来たらお願いしますね。じゃあ、今日もありがとうございました」

 と、男に一礼してからサツキが部屋を去った。建物の外には、既にサツキの迎えに来た車が待機している。

「お願いします」

 と、運転手に一声かけてサツキが尻餅をつく勢いで後部座席に腰を掛けた。

「疲れた」

「3時間、お疲れ様!」

 車を運転する小太りした30歳前後の男がバックミラーから席にくたばってスマホをいじるサツキを見て声をかける。

「マジ疲れたわ、あいつの相手毎回一番疲れますわ」

「サツキちゃん今回の出稼ぎで何回相手したんだっけ?」

「今日で4回目ですよ。しかも毎回時間長いよ」

「マジ?うゎ、きっも!」

「超口くさいのに、めっちゃキス求めてくんのマジでやめてほしい。おまけに見た、ヘブンであたしに書いたコメント?」

 運転している男が見れないというのに、サツキがあえてハートマークの絵文字と読点がやたらと多い文面が表示されたスマホの画面を男に見せるように前に持ち上げる。

「見た見た!おじさん構文ジェネレーターかと思ったよ。すんげ鳥肌たったよ」

「まあ、太客やしNGにはしないけどさ。可哀想と思ってあげたいけど、キモすぎて無理やったわ。うちのクソがマシに思えてきた」

「相変わらずお父様に口が悪いね」

「キモい分際で不倫とかするからよ、まあもうほぼ縁切ったしどうでもいいけど」

 鞄からペットボトルのお茶を出して一口飲み、サツキが座席に靠れて目を閉じ、ひと時の休憩に耽る。次の客と待ち合わせするラブホテルがそこまで遠くはないので、休憩を取れるのはほんの少しだが、今回のデリヘルの出稼ぎでこの客でラストだ。

明日の夜に行われる担当ホストが在籍している店の締め日に間に合うように、朝一の新幹線で東京に帰る予定だ。今回の出稼ぎは一週間ちょっとで、相手にして来た客の顔を思い出すと吐き気が促されるが、担当がためにと思うと少し気が楽だった。だから、ほぼ休憩無しでやっているが、少しでも稼げたらと思い、ギリギリまで最後の接客を受けた。

「着いたよ」

 前のホテルを出て、10分も車を走らせていないうちに、もう次のホテルに到着した。今回の出稼ぎで何度も訪れているホテルだが、前のホテルと比べると施設は比較的に新しく、タバコの臭いもそこまで酷くないので、サツキがわりと気に入っている。ここがラストの接客とわかった時、少しはホッとした。

「それじゃあ、90分だっけ?」

「ラストやし、延長してもらうかもですけど」

「了解しました。いってらっしゃい」

「ありがとうございます。行ってきます」

 と、サツキが車を出て、最後の戦場に赴く。既に客が部屋の中に待機しているはずだ。初めて店にかかってきた電話番号だったから、恐らくは新規の客だが、サツキの中には早く終わらせたい一心で、どんな客が待っているのかとっくに考えないようになった。

 フロントの窓ガラスの後ろには何回も見慣れたスタッフの顔。今日でここに来たのは三回目だ。フロントスタッフの一礼し、サツキがエレベーターに乗った。4階まで上る時間が長いようでほんの一瞬だった。

 指定された部屋まで行って、ノックをしたら、しばらく中から何の反応もなかった。

 もう一度ノックをし、こんばんは、と軽く声をかけてもやはり反応はなかった。

「あれ?」

 部屋を間違えた、と一瞬思ったが、ここのホテルは部屋の外で「空室」と書かれた蛍光板が付けられていて、隣の部屋以外の4階の部屋のそれは全部緑色に光っている。中には間違いなく誰か入っている。

「こんばんは」

 ともう一度声をかけてやはり返事がなかったので、ついにサツキが店に電話しようとスマホを鞄から取り出す。

 そしたら、かちゃん、と鍵が開けられる音がして、どうぞ、と男性の声が中から聞こえた。

 とりあえず部屋を間違えていないことに一安心して、サツキが、

「失礼します」

 と言って入室した。

 ドアを開けたら、そこには先ほどの客とは打って変わって若い男が立っていた。若い男性の相手はいくらでもして来たのだが、今回の客が明らかに自分よりは年下で、下手したら高校卒業したばっかりような風貌だった。ここまで若い客の相手をするのもサツキにとっては初めてだから、まずはそこに少し驚いたが、その驚きを顔に出さないようにしてまずはこんばんはとあいさつした。

 男もサツキの顔を見るや否や少し目を見開くが、すぐさま落胆したように目線を床に落とし泳ぎ始まる。

「あっ、はじめ、まして」

 緊張で声が震えている。恐らく風俗を受けるのも、ラブホテルに来るのも、下手したら女の子を相手するのも初めてであろう。たくさんの客の相手をして来たサツキには一目見れば分かる。接客をするには変わりはないが。

「はじめまして。全然反応がないから、部屋間違えたかと思った」

 とほほ笑んで手汗まみれになった男の手を握り、部屋のソファへと誘導する。

「あっ、すみません」

 と謝る男にサツキが無言で笑顔を返し、スマホを取り出した。

「時間はどうしますか?」

「あっ、きゅ、90分で」

「90分ですね、ありがとうございます」

 延長をねだるつもりだったが、そうしたら男が可哀想そうに思えてきたのと、金もそんなに持っていないだろうと思ったから、男に言われたままの時間を電話の向こうの人に告げた。

 こうして彼女の出稼ぎの最後の接客、おまけに僕の最初の風俗体験が始まった。

 こうなった経緯は少し遡らないといけないのだが、これからどんな波乱万丈なことが今回の夏休みに起きるのを、まだこの時点で想像もつかなかった。

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